「ハートレー コンサートマスターⅥは、男性か女性か?」と問われたら、「女性・・・」と答えるであろう。
そして、その答えに付け加えて「子供を産み育てた女性・・・子供に限りない愛情を注ぎ、育み、見守っている女性・・・」と表現するかもしれない。
今日はGRFの部屋さんのお宅でハートレー コンサートマスターⅥを聴かせていただいた。お近くに住まわれているAさんとご一緒であった。
送りだしはSONY HD-1。サウンドパーツのプリアンプとパワーアンプで駆動されている。コンサートマスターⅥは、60cmウーファーを要する4ウェイ構成の大型スピーカーである。その意匠及びプロポーションは、古き良き時代を感じさせる。
一番最初にかけていただいたのは、白井光子のブラームス歌曲集・・・その音に対する印象は・・・「これは母親の愛情のような音だ・・・」というものである。
威圧感がない、こちらに迫ってくるような感覚がない。優しく包まれる感じであろうか・・・そして全てを受け入れてくれるような懐の深さがある。辛らつさや批判的な目線が皆無なのである。
高揚感や緊張感をもたらす要素よりも、心の底からの安堵感が醸し出されてくる音楽の流れである。心の中で「音楽の流れが自然だ・・・音楽がゆっくり聴こえる・・・」と独り言を言いながらその音に耳を傾けていた。
ゆっくりと音楽が流れる・・・それゆえ、一つ一つのフレーズを丁寧に味わえる。音楽のほぐれが実に滑らかなので、身体への染み入り具合が抜群に良いようだ。
母親は子供を受け入れる。もともと自分の体に宿した生命であるから当然なのかもしれない。その全てを受け入れ、尽きることのない泉のような愛情が自然と湧き出てくる。
そんな母の愛を思わせる音楽の流れである。誇張や強制がなく、自然な湧き上がりで音楽がたゆたうものだから、こちらも羊水に浸りながら母親の心臓の鼓動を聞くかのように、音楽を耳にすることができるのであろう。
「母の日」は5月の第二日曜日。もうすぐである。特に母親孝行をしている良き息子ではないが、コンサートマスターⅥの奏でる音楽を聴いていると、母の日には美味しいお蕎麦屋さんにでも一緒に行きたい気持ちになった。
アナログや真空管アンプ聴き比べの様子は明日にでも・・・
そして、その答えに付け加えて「子供を産み育てた女性・・・子供に限りない愛情を注ぎ、育み、見守っている女性・・・」と表現するかもしれない。
今日はGRFの部屋さんのお宅でハートレー コンサートマスターⅥを聴かせていただいた。お近くに住まわれているAさんとご一緒であった。
送りだしはSONY HD-1。サウンドパーツのプリアンプとパワーアンプで駆動されている。コンサートマスターⅥは、60cmウーファーを要する4ウェイ構成の大型スピーカーである。その意匠及びプロポーションは、古き良き時代を感じさせる。
一番最初にかけていただいたのは、白井光子のブラームス歌曲集・・・その音に対する印象は・・・「これは母親の愛情のような音だ・・・」というものである。
威圧感がない、こちらに迫ってくるような感覚がない。優しく包まれる感じであろうか・・・そして全てを受け入れてくれるような懐の深さがある。辛らつさや批判的な目線が皆無なのである。
高揚感や緊張感をもたらす要素よりも、心の底からの安堵感が醸し出されてくる音楽の流れである。心の中で「音楽の流れが自然だ・・・音楽がゆっくり聴こえる・・・」と独り言を言いながらその音に耳を傾けていた。
ゆっくりと音楽が流れる・・・それゆえ、一つ一つのフレーズを丁寧に味わえる。音楽のほぐれが実に滑らかなので、身体への染み入り具合が抜群に良いようだ。
母親は子供を受け入れる。もともと自分の体に宿した生命であるから当然なのかもしれない。その全てを受け入れ、尽きることのない泉のような愛情が自然と湧き出てくる。
そんな母の愛を思わせる音楽の流れである。誇張や強制がなく、自然な湧き上がりで音楽がたゆたうものだから、こちらも羊水に浸りながら母親の心臓の鼓動を聞くかのように、音楽を耳にすることができるのであろう。
「母の日」は5月の第二日曜日。もうすぐである。特に母親孝行をしている良き息子ではないが、コンサートマスターⅥの奏でる音楽を聴いていると、母の日には美味しいお蕎麦屋さんにでも一緒に行きたい気持ちになった。
アナログや真空管アンプ聴き比べの様子は明日にでも・・・