AcousticTao

趣味であるオーディオ・ロードバイク・車・ゴルフなどに関して経験したことや感じたことを思いつくままに書いたものです。

ゆく年くる年

2006年12月31日 | ノンジャンル
 いよいよ2006年が終わる。今家族で見ている紅白歌合戦もあと2時間程度で終わる。そして華やかな舞台から、「ゆく年くる年」のオープニングにテレビの画面がスッと変わるのである。「ゆく年くる年」のオープニングは、多くの場合雪国の大晦日である。深々と雪が積もったなか、静かでどこか厳かな感じがする年越しの景色がながれるのである。

 紅白歌合戦の華やかさと雪国の年越し風景の静けさが、好対照であり、毎年このギャップが、「今年も終わるんだな~。」としみじみした心情にしてくれる。そしてテレビから除夜の鐘が響くと同時に、我が家の近くにある円乗院からも除夜の鐘が響き始める。この家に住み始めて10年が経過したが、大晦日の過ごし方はほぼ同じである。

 今年は私にとってオーディオ元年であった。それ以前からオーディオ装置は我が家にあった。しかし、従前はオーディオが「趣味」の対象になるという意味がよく分からなかった。ただデザインの良い機器を選んで応接室に他の家具との調和を崩さないよう設置し、たまにCDを聴く程度であった。オーディオは「音の出る家具」程度の存在でしかなかった。

 「Sound&Life」という雑誌を以前本屋で見かけたが、そのなかに出てくる写真のようなお洒落空間の一要素としてしかオーディオ機器を捉えていなかったのである。それが、今年になってオーディオから音楽の感動を得られるような素晴らしい音を出せるのではないかという気持ちになり、オーディオにのめり込み始めた。

 そして1年がたった。紆余曲折、支離滅裂、猪突猛進な1年であった。ベテランマニアの方からはおそらく「こいつ、オーディオのこと全く分かってないな・・・」と失笑をかいっぱなしであったと思われる。真実全く分かっていないのである。でもこの1年は相当濃い1年であった。そして多くのことを経験した。そういう意味ではとても意味深い1年であった。

 そして私のリスニングルームのラックには、昨年の今頃には想定もしていなかったようなオーディオ機器がラックに整然と並んでいる。これらの機器と来年またいろんな体験をしてみたい。


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cello

2006年12月30日 | ノンジャンル
 2006年が終わろうとしている。この時期は、この1年を振り返って総括する番組が多くテレビで放送されている。その中で必ず取り上げられるテーマの一つがスポーツである。今年は野球が、ドラマチックな展開が多く、おおくの人を魅了した1年であったような気がする。もちろんサッカーなどもワールドカップがあり大盛り上がりではあったが、ドラマチックという観点から見ると今年の野球は凄かった。

 甲子園を沸かせた早実と駒大苫小牧の熱戦。誰かが脚本を書いているとしか思えないような感動的な展開に日本中が沸いた。そして新庄がひぱった感のあるプロ野球。これまた「スポーツは筋書きのないドラマだというが、筋書きがあるとしか思えないようなドラマチックな展開だ!」という気持ちにしてくれた幕切れであった。

 人間はやはり感情の動物である。感情によって大きく左右されるもの。ドラマチックな展開というものに、人はやはり深く感情移入しやすい。あまりに作り物っぽいご都合主義的な展開にはさすがに白けてしまうが、上質なドラマにはいつの間にか入り込んでしまって、どっぷりつかっていたりするものである。その中では心の振幅の揺れが大きく純粋なものとなり、感動の波紋も大きく密度が濃い。

 私自身、音楽もそういったドラマチックな展開のものが比較的好きなようである。どっぷりと感情移入してはまりたいほうかもしれない。そしてオーディオ装置から発せられる音を聴く場合でも、感情移入しやすい抑揚感のある音に惹かれるようである。

 昨日はT氏邸でのOFF会兼忘年会であった。その素晴らしいオーディオ機器のなかで特に目を惹いたというか気になったのはCELLOのプリアンプである。オーディオ雑誌で見かけることはあるが、実物を見るのははじめてであった。何かしら神々しいきらめきを放っている。現在使用しているプリはVIOLAである。CELLOの主要メンバーが独立して作ったメーカーがVIOLAと聞いている。ということで関連性はある。しかし、その精緻でありながら魅惑的な印象といったものはCELLOのほうが数段上のように感じた。

 CELLOもVIOLAも音楽をよりドラマチックに鳴らしてくれる機器のような気がする。ある意味「色付け」と言えなくもないが、どのオーディオ機器も多かれ少なかれ、その機器独特の色はあるはずで、「色付け」は決して悪いことではないはず。その色が自分の嗜好性に合うかどうかが問題で・・・VIOLAの色合いはかなり私の嗜好性に合っているようである。


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今年最後のOFF会

2006年12月29日 | ノンジャンル
 枠にはまらない大きさ、というものを今日は強く感じた。枠にはめると見栄えは良くなる。しかし小さくまとまってしまうきらいがあり、面白みにかけるというデメリットがある。枠にはまらない開放的な広がり感というものは気持ち良い。しかし、バランスが崩れてしまうと収拾がつかない。

 その開放的な大きさとその大きさを活かすバランス感覚というものを今日は感じることができた。そしてオーディオに注ぎ込まれた情熱の計り知れないまでの大きさにも圧倒された。

 今日は私の自宅のすぐそばにお住まいのT氏邸にお邪魔させていただいた。ゴローさんからのお誘いで参加したのであるが、総勢で8名のOFF会兼忘年会であった。そして、そこに集まった方々は「スーパー」という形容詞がつくオーディオマニアの方々であり、T氏のシステムの規模の大きさ同様、今日集まった私以外のメンバーのスケールの大きさにも圧倒されっぱなしであった。

 皆さん数十年来のオーディオマニアであり、お互い切磋琢磨してこられた方々である。そしてその勇猛果敢なオーディオ遍歴等を伺うと、口がアングリ状態となってしまう。非日常的なスケールの大きいオーディオ世界がそこには確かに存在していた。

 T氏のシステムはJBLのユニットを使った5ウェイスピーカーをマークレビンソン・チェロ・ビオラといった蒼々たる駆動系でマルチで鳴らされている。その大掛かりなシステムが20畳以上はあろうかという広い専用ルームにまさに整然とそしてそれでいて悠然と設置されている。さらに電源やケーブルなどのこだわりも半端ではない。

 その音は当然といえば当然であるがスケールが大きい。特に人の声の持つエネルギー感をロスなくストレートに伝える器の大きさがある。T氏は、ジェントルマンである。細やかな気配りと柔らかい物腰でゲストを迎えてくださる。そのオーディオシステムにかける情熱の熱さとその音のスケールの大きさやみなぎるエネルギー感とが、その第一印象とはなかなか調和しない感じなのである。

 おそらく、その内に秘めた力強い意志の強靭さは並大抵ではないはずである。それを声高に主張するようなことは決してないが、目の前に展開されているシステムやその音からするとその強靭さはまさに鋼鉄のような強さをお持ちのようである。

 私もこの1年オーディオというものにかじりついてきたつもりであるが、何かT氏のシステムとその音を前にして「小さいなお前・・・そんな枠におさまって」と諭されているように感じたのであった。
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情熱の蓄積

2006年12月28日 | ノンジャンル
 今日で仕事納め。事務所のスタッフと一緒に焼肉屋で忘年会であった。先日moukutsuさんに教えていただいた「五苓散料」を事前に飲んだ。これはとても効き目があるようで、アルコールを飲んだ後も比較的すっきりとした気分である。いつもはこのくらいの量を飲むと結構酔ってしまい、自宅に帰ってからも酔いが残るのであるが、この薬のおかげで爽やかである。いいものを教えていただいた。それほど頻繁に飲む機会があるわけではないが、今後は飲む前に必ずこの「五苓散料」を飲むことにしようと思っている。

 忘年会に参加する前少し時間が空いたので、事務所の近くにある市立図書館にいった。少し古いStereo Sound誌を読むためである。実は明日は今年最後のOFF会の予定である。ゴローさんの御紹介で東村山市のT氏邸にお邪魔する予定でいるのであるが、その方がStereo Sound誌の「レコード演奏家訪問」に紹介されていると知らされていたので、事前にその紹介記事を読んでおこうと思ったのである。

 T氏邸は、私の自宅から車ならほんの数分のところで、歩いてでも行けないことはない近さにある。こんな近くに凄いマニアの方がいらっしゃったとは・・・そしてその紹介記事を読んでまたまたビックリ。

 JBLのユニットを使用した5ウェイのスピーカーをマルチアンプで鳴らされている。写真を見ただけでため息が出るような凄い機器が整然と並んでいる様はまさに圧巻である。オーディに対する凄まじいまでの情熱と何十年ものキャリアによる試行錯誤の蓄積の深みを感じずにはいられない紹介記事あった。

 先日のゴロー邸でのOFF会のときも感じたのであるが、長年のキャリアにおける試行錯誤の積み重ねや様々な経験の蓄積はその音に深みを与えるようである。その音の裏側に見え隠れする歴史というか「情熱の蓄積」というものが、一種の風格のようなものにまで達している様子は、やはり素直に素晴らしいと感じ入るものである。

 私の実質的なキャリアは1年とまだまだ薄っぺらである。「ローマは一日にしてならず」の言葉どおり、先は長い。情熱を枯らすことなく1年、また1年と試行錯誤を継続することにより、年輪を刻むように成長していければと思う他ない。

 そして、明日もきっと風格を感じさせる音とその音の背後にある「情熱の蓄積」に感じ入る体験ができることであろう。期待感と同時に何故か少し緊張感をも感じてしまう。
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異常気象

2006年12月27日 | ノンジャンル
 まさに「異常気象」と言いたくなるような2日間である。昨日は12月としては記録的な大雨に風。そして夜中には雷鳴も盛大に轟いていた。そして、一夜明けた今日は快晴で、しかもコートが全く必要ないほどの暖かさ。「春が来た!」と錯覚してしまうほどの陽気である。今日は本当に空気の当たりが春のような柔らかさである。

 昨日と今日の天気を体験してふと頭に浮かんだ言葉は、「止まない雨はない。」というもの。これはいい言葉である。人生においてもいろんなことが起きる。良いことも悪いことも・・・悪い状況が一時期続いたとしても、好転して新たな展開が生まれる可能性は常にある。

 しかし、経済的な問題で行き詰まっている人にとって、この年末の時期は「止まない雨はない。」という言葉が虚しく響くことも事実である。今日、ある顧問先の会社の社長が破産の手続きに入った。この社長は人が良い。営業能力は比較的あるのであるが、経営者としてのシビアさが足りなかったようだ。経営者ではなく、参謀や幹部として組織のなかでその役目を果たしていくのが向いているタイプであったのだろう。職種だけでなく、ポジションというものにも、やはり向き不向きというものがあるようだ。

 「止まない雨はない。」・・・今後オーディオに接する際に、常にそう自分に言い聞かせる必要があるようだ。約1年前から、オーディオを「趣味」とするようになったのだが、その過程で雨を避けようとやたらと走り回ったりした。しかし、濡れたままじっとしておけば良かったのに、と後で思い直す経験が結構あった。

 従来のEMM Labsを中心とした駆動系についても、SD05と出会った時期に、「純粋デジタルラインの可能性にかけてみよう。従来のラインナップはすべて処分しよう。」と思った時期があった。

 しかし、紆余曲折はあったがデジタル-アナログラインは存続することとなった。そして「止まない雨はない。」という言葉どおり、純粋デジタルラインに比べて少し違和感を感じていた音が最近良くなってきている。

 音の実体感というか味わい深さというのか、そういう要素は元々持っていたのであるが、音場展開が今ひとつという印象だった。しかし、スピーカー位置の再調整、パワーアンプの足元の見直し等によってかなり改善した。

 まさに両ライン切磋琢磨して相乗効果が出てきているようだ。そして、多少違うポジションにいる純粋アナログラインがこれに加わって3系統のラインが今はどれも比較的良い感じとなってきている。もちろんまだまだ改善の余地はあるはずであるが、気分が晴れやかなのである。しかし、人の心理というものは不安定なものである。また近いうちに昨夜の雨のような嵐に見舞われることとなるかもしれない。
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