AcousticTao

趣味であるオーディオ・ロードバイク・車・ゴルフなどに関して経験したことや感じたことを思いつくままに書いたものです。

4097:ロードサービス

2017年05月31日 | ノンジャンル
 正丸峠を下った。下りで落車したとのことなので、怪我の程度が心配であった。私も一度下りで落車したことがある。

 柳沢峠での長い下りの途中でのことであった。塩山まで行った帰路で、ハードな長距離走行のため疲労感が全身を覆っていた。

 気温は低く、強烈な向かい風が吹いていた。筋肉が疲れと寒さで強張っていた。右カーブを曲がっていると、後輪が道の端に溜まっていた砂利で滑って、バランスを崩した。
 
 その習慣、強くブレーキングしてしまいタイヤがロックしてさらに滑った。あっという間にロードバイクは倒れた。

 かなり派手に落車した。落車した勢いでロードバイクが相当な距離飛ばされたほどである。しかし、幸い怪我の程度は軽く、擦り傷だけで済んだ。

 正丸峠を下り終え、山伏峠の上り返しが始まる付近にメンバーが集まっていた。私が到着した時、落車したメンバーは立っていた。

 そして、痛々しい感じの擦り傷に消毒液を含ませたガーゼで手当てをしていた。どうやら怪我の程度は骨折等の重いものではないようであった。

 ほっとした。道の脇ではリーダーが落車時のダメージで歪んでしまった後輪のホイールと格闘していた。

 歪んだままだと走行不能である。しかし、ホイールの歪みはなかなか矯正できない。亀裂も入っているようであった。

 やはり、ホイールの歪みは直らず、走行不能であったので、落車したメンバーが入っていた自転車保険のロードサービスを依頼することになった。

 どうにか連絡がついて、ロードサービスが来ることになった。車が到着するまである程度の時間が必要とのことなので、皆で一旦正丸峠の奥村茶屋まで行って、昼食休憩を取りながら待つことになった。

 正丸峠まで再度上った。そしてリーダーが一人のメンバーのロードバイクから後輪を外してそれを片手に持って下った。落車したメンバーはその後輪を一時的に借りて上ってきた。

 当初の予定通り「奥村茶屋」に入って、「正丸丼」を人数分頼んだ。下りでの落車という大きなアクシデントがあったが、怪我は幸い軽傷で、ロードバイクが走行不能になるも、自転車保険のオプションであるロードサービスのおかげでどうにかなりそうであった。

 自転車保険は、自身が怪我をしたり、他人に怪我をさせた場合の補償が主たる目的であるが、ロードサービスがオプションで付いていると、落車や機材トラブルで走行不能になった場合安心である。

 正丸丼がテーブルに届いた。いろいろあったけど、正丸丼は相変わらず美味であった。その味わいは、心をほっこりとさせ、疲れた体に染み入った。


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4096:ゴール

2017年05月30日 | ノンジャンル


 ゆっくりと上り始めた。スタートして少しすると片側交互通行区間が現れるはずであった。しかし、随分と長い間続いていた崖崩防止工事はようやく終わったようであった。

 「あれっ・・・終わったんだ・・・」と、ちょっと嬉しかった。以前はこの片側交互通行区間の手前で明らかに2分の1以上の確率で待たされた。

 意味もなく得したような気分になって従前は片側交互通行区間であったエリアを抜けていった。この辺りからペースはゆっくりと上がっていく。

 山伏峠は、上り慣れた峠である。難所は2箇所ある。そこでは道が大きく曲がりながら斜度がぐっと上がる。
 
 前半は抑えめにクランクを回した。それでも心拍数は上がっていき160台の後半で推移していた。ラップパワーは240ワットほど。

 やがて一つ目の難所が現れた。ここはそれほど消耗することなく越えることができた。ペースを維持しながら走ていくと、二つ目の難所が見えてくる。

 道は大きく左に曲がっていく。斜度がぐっと上がる。途中からダンシングに切り替えてここを越えていった。

 隊列は長く伸びていた。前には4名のメンバーがいた。2箇所目の難所を過ぎてからペースをゆっくりと上げ始めた。

 すぐ前のメンバーは少し脚にきているようであった。ペースを上げ始めてすぐに追いついてかわした。

 山伏峠の終盤は鬱蒼とした森の中を走る。頂上手前200メートルほどになってからダンシングでスピードを上げた。

 さらに1名のメンバーをかわして、山伏峠を越えた。山伏峠を越えると、少し下る。下りではスピードが出る。

 2度3度とロードバイクを倒しながらカーブを曲がっていった。そして、正丸峠に繋がる上り道に向かって右折した。

 下りの勢いを活かしてスピードを上げて上っていった。すると前を行く2名のメンバーの背中が見えてきた。

 「あれ・・・スローダウンしている・・・」

 と、その2名に追いついた。「バトルモード」ではなく「まったりモード」であったので、私もその背後に追いついて、スローダウンした。

 「どうしようかな・・・このまままったり行こうかな・・・」と思い始めた頃合いに、「やっぱり頑張ろう・・・」という感じで2名のペースも上がった。

 私もその後ろからペースを元に戻した。正丸峠の終盤は斜度は緩め。しかし、脚には疲労成分が蔓延している。重くなった脚を勢いよく回転させていくと、ゴールが見えてくる。

 ゴールして峠の道標にKuota Khanを立て掛けた。先にゴールした2名の上級者は遅れてゴールするメンバーを応援するために下っていった。



 私はそんな余力はないので、頂上で座り込んでいると、一人のメンバーが上りきって「○○さんが下りで落車・・・!」と言った。

 「それは大変・・・!」と私も立て掛けていたKuota Khanに跨って正丸峠を下り始めた。下りでの落車ならスピードが結構出ているはずなので、怪我の程度が心配であった。
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4095:定番コース

2017年05月29日 | ノンジャンル
 定番コースであるので、道は走り慣れている。8台のロードバイクが連なったトレインは快調に走り始めた。

 まずは、休憩ポイントであるファミリーマート飯能上畑店を目指した。走り始めた朝のうちは、空気が爽やかであった。

 多摩湖サイクリングロードを東から西に抜け、旧青梅街道を走った。天気が良かったせいか、普段の日曜日よりも車の数は少し多かった。

 岩蔵街道に入る頃には、うっすらと汗ばんできた。やはり今日は5月としては暑くなるようであった。今年の5月は例年よりも暑い。地球温暖化の影響であろう、年々暑くなる時期が早くなっているようである。



 岩蔵街道を進んで行くと、目に映る風景に占める自然の比率が多くなっていく。空の青、雲の白、木々の緑が目に鮮やかである。

 ようやくファミリーマート飯能上畑店に着いた。ここにはサイクルラックが設置されている。そのサイクルラックはメンバーのロードバイクで満杯になった。

 ファミリーマートの看板の色合いはグリーン、ブルー、ホワイトである。晴天のこのエリアの色合いと見事にマッチしていた。

 補給食としてサンドイッチとコロッケを選択した。これらをアイスコーヒーで胃袋に流し込んで、しっかりとエネルギー源を補給した。

 リスタートして、山王峠をゆっくりと越えた。山伏峠に繋がる県道70号に出て、道なりに緩やかに曲がりながら、上り基調の道を延々と走った。

 県道70号は名栗川に並走するように続いている。信号がほとんどないので、ノンストップで走っていくと、やがて見慣れた山伏峠の上り口に到着した。

 ここにある公衆トイレでトイレを済ませ、自販機で購入した「リアルゴールド」で体に喝を入れた。

 ここから今日のメイン峠である「山伏峠経由の正丸峠」を走る。走る距離は6kmと少し。山伏峠は4kmと少し上る。斜度はまずまず。決して激坂ではないが緩やかでもない。トレーニングにはちょうどいい。

 山伏峠を上り切ると500メートルほど下る。下りではスピードが出るのでカーブでは慎重さも要求される。

 下りの途中で正丸峠への上り道へ向かって右へ曲がる。そこから1.5km程上ると正丸峠である。「今日は久しぶりに正丸丼でも食べますか・・・」とスタート前に話した。

 「正丸丼」は正丸峠の頂上にある「奥村茶屋」で提供されるどんぶりである。甘辛い特製味噌で味付けされた豚肉は美味である。その「正丸丼」を頭の片隅に思い浮かべながら、スタートした。
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4094:選択肢

2017年05月28日 | ノンジャンル
 朝早く目が覚めた。目覚まし時計を確認すると5時半であった。昨日の天気予報によると今日は雨の心配はない。

 しばし、ベッドの中で悩んだ。「どうするかな・・・富士スバルラインまで車で行って、先週に続いてタイムアタックをしてみるか・・・いつも通りチームでのロングライドに参加するか・・・」

 先週の日曜日は富士スバルラインでの試走会であった。チームで数台の車に分乗して富士北麓駐車場までいって、チームメンバー12名がタイムアタックした。

 私も参加したが、昨年の試走会のタイムよりも3分以上も悪かったので、少々意気消沈してしまった。

 調子が下降局面だったのか、体調がいま一つであったのか、単に年齢による衰えなのか・・・Mt.富士ヒルクライムの本番前にもう一度確かめたいと思っていた。

 富士スバルラインに向かうにしても、チームのロングライドに参加するにしても、サイクルウェアを着用することに変わりがないので、取り敢えずベッドを抜け出て、サイクルウェアに着替えた。

 朝早かったので頭が少々ぼうっとしていた。そのぼうっとした頭の中で先ほどの二つの選択肢を考えた。

 選択肢A:車の荷室にKuota Khanを入れて、約1時間半ほどかけて富士北麓駐車場へ向かい、富士スバルラインでのタイムアタックを行う。

 選択肢B:Kuota Khanに跨って、多摩湖サイクリングロードを走り、チームのロングライドの集合場所であるバイクルプラザに向かい、チームメンバーとともに100kmほど走る。

 車の運転を1時間半、往復で3時間以上車の運転をすることがちょっと億劫に感じられた。体はロードバイクに跨り風を切って走る爽快さをすぐに求めているようであった。

 ということで、今日は選択肢Bを選んだ。来週の日曜日には同じ二つの選択肢を前に悩むことになるかもしれないが、今日はいつも通り7時に自宅を後にして、バイクルプラザを目指した。

 今日の予想最高気温は27度。5月としては暑くなるようだが、朝の空気はとても爽やかなものであった。

 今日の参加者は8名であった。そのメンバーのロードバイクの内訳はORBEAが半分の4台。Ridleyが2台。BHとKuotaが1台づつであった。

 今日の目的地は「正丸峠」に決まった。チームでのロングライドで「都民の森」とともにもっとも数多く行く定番コースである。

 Mt.富士ヒルクライムの本番まであと2週間。定番コースを走れば、現在の調子の具合も分かりやすい。

 メインの峠である山伏峠経由の正丸峠の他に帰路での山王峠と笹仁田峠の上り返しもあるので、それらを全てきちんと走り切れるかで、現在の調子の具合を確かめたいところである。
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4093:歳の差婚

2017年05月27日 | ノンジャンル


 我が家のTANNOY GRFには15インチのモニターシルバーが搭載されている。キャビネットは英国オリジナル。

 キャビネットは、前のオーナーが一度レストアしたようで、とても綺麗な状態を保っている。ニスが塗り直されているので、色合いは少し濃い目で艶が多い。音的にはどうかは不明であるが、見た目的には綺麗である。

 もしかしたら塗り直されたニスによって本来のオリジナルの響きとは微妙に変わってしまっている可能性もある。

 フロントネットにも汚れやほつれがない。これもレストアされたのであろうか。それとも代々のオーナーがとても丁寧に扱ってきたのかもしれない。

 モニターシルバーが搭載されたTANNOY GRFが製造されたのは1954年から1957年の4年間である。その後モニターレッドが登場し、モニターシルバーはその役目を終える。

 1954年から1957年といえば、モノラルレコードの時代である。ステレオ録音のレコードが一般の市場に登場し始めるのが1958年頃であるから、ステレオ時代が到来するのと同時に姿を消している。

 であるので、この仕様のGRFは1本のみを購入してモノラルレコードを聴くことが主たる目的のものであった。

 コーナー型のキャビネットは空間を有効に活用するうえでもとても上手く出来ている。家具調の設えが施されているので、ヨーロッパ調の重厚な内装のリビングルームでもしっくりと納まり、変にその存在を主張しないいでたちをしている。

 後にステレオ時代が到来すると、当時のオーディオ愛好家でこの仕様のスピーカーを愛用していた方は、もう1台同じ仕様のスピーカーを入手して部屋の両コーナーに設置する必要性が生じた。

 我が家の2台のGRFは製造年が明らかに違う。まずぱっと目につくのがエンブレムの違い。さらにフロントネットを外すと、ネットワークの取り付け位置も違っているのが分かる。

 キャビネット自体は外見上は違いがないようであるが、内部構造までは検証できない。もしかしたらキャビネットの構造もイヤーモデルごとに微妙に変わっているのかもしれない。

 もともと2台をペアで使うという前提ではないので、イヤーモデルで仕様の変更があっても支障がなかったのであろう。

 この2台のGRFが我が家のリスニングルームの主になってから3年と2ケ月が経過した。アンプの不調などでリスニングに十分な時間をあてがうことはできなかったが、アンプその他のシステムのラインナップがようやくきちっと固まったので、これからはリスニングタイムも少しは増えるであろう。

 こういった古いスピーカーは、奏でる音楽を少しづつ記憶し、スピーカー自体がそれに合わせていくようなところがあるという。

 我が家でかかるのは100%クラシックである。ハイエンド機器でシステムが構成されていた時代には、オーディオ的な興味からクラシック以外の音源も持っていたが、機器がヴィンテージになってからは、オーディオ的な興味から音源を選ぶことはしなくなり、そういった音源は手元から去っていった。

 聴くのは主に1960年代から1970年代前半に録音されたクラシックのレコード。今年になって、デザインが実に素晴らしいCDプレーヤ、BOW TECHNOLOGIE ZZ-EIGHTが我が家のラインナップに加わったので、最近ではCDも時々聴くようになった。

 モニターシルバーのGRFは、当然のこととしてCDなど影も形もない時代のスピーカーである。しかし、ZZ-EIGHTが多少アナログよりな音調であるせいか違和感なく聴ける。

 ZZ-EIGHTは1996年の製品である。GRFとの歳の差は実に40歳。かなりの差である。21歳の女性と61歳の男性が結婚したようなものか・・・
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