「酒かすプリン」を食べ終え、「ケニア」も飲み終えたので、会計を済ませて店を出ようかと思っていた時に、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第3番が終わり、オーナーがレコードを取り換えた。
「NOW PLAYING」と記された台の上には10インチレコード用のジャケットが立てかけられた。それは、Melodiyaの共通紙ジャケットであった。
共通紙ジャケットには、曲目や演奏者などは印刷されていない。いわば「レコードの包装紙」でしかない。紙質も悪く、ペラペラである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/6c/648bccb82f2578f359cab2649918afe8.jpg)
PIONEER CS-E700から、バッハの「半音階的幻想曲とフーガ」が流れ出した。PIONEER CS-E700はサランネットに覆われていてユニットの様子はわからないが、3ウェイスピーカーである。
密閉型のエンクロージャーを持ち天然木を活かしたウォールナットのオイル仕上げである。その色合いと姿かたちは穏やかで、店内のナチュラルな雰囲気にマッチしている。
バッハの「半音階的幻想曲とフーガ」の冒頭を耳にして、すぐにその演奏者が分かった。マリア・ユーディナであった。このレコードは我が家のレコード棚にもある。
マリア・ユーディナは1899年生まれのロシアのピアニストである。ロシア革命、スターリンの大粛清、第2次世界大戦と激動の時代を生き抜いた女性であった。
マリア・ユーディナはスターリンお気に入りのピアニストだった。彼女が録音したモーツァルトのピアノ協奏曲第23番は、スターリンの求めに応じて演奏されたものである。
ただし、ユーディナは当局とやり合っているような女傑だった。公の場でのコンサートを禁止されたこともたびたびあった。
普通であれば、粛清の対象となったはずであるが、その音楽性に対する賛美者のうちの一人がスターリンだったので、難を逃れたようである。
このレコードが録音されたのは1952年4月10日。その演奏は実に大胆ともいえる。彼女の性格そのままに芯の強い明瞭な音でためらうことなく突き進む感じの演奏である。
しかし、雑然としているところは一切なく、「格調」すら備えている稀有な音楽性を有していて、ついつい惹きこまれる。
「半音階的幻想曲とフーガ」が終わり、同じA面に収録されている「前奏曲とフーガ イ短調」が流れ始めた。
この曲の演奏がさらに凄まじい。いつも呆然とする。1952年のソビエト録音。レコード盤であるビニールの質も悪い。盛大なノイズ、フォルテシモでは音が歪む。
しかし、そんなコンディションの悪さをものともしない音楽性の高さに心奪われながら、その2曲を堪能した。
YAMAHA YP-400はオート機構を搭載している。トーンアームをレコード面上にもっていき「Playスイッチ」を押すと、アームがゆっくりと降りていって演奏が始まり、演奏が終るとアームはアームレストに自動的に戻りターンテーブルも止まる。
その「オート機構」に従ってアームはすっと上がって一旦止まり、アームレストに戻っていった。私はそれを合図に会計を済ませて、店の外に出た。夕刻の時間帯、外はすっかりと暮れていたが、西の空の一部にはまだうっすらと赤みが残っていた。
「NOW PLAYING」と記された台の上には10インチレコード用のジャケットが立てかけられた。それは、Melodiyaの共通紙ジャケットであった。
共通紙ジャケットには、曲目や演奏者などは印刷されていない。いわば「レコードの包装紙」でしかない。紙質も悪く、ペラペラである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/6c/648bccb82f2578f359cab2649918afe8.jpg)
PIONEER CS-E700から、バッハの「半音階的幻想曲とフーガ」が流れ出した。PIONEER CS-E700はサランネットに覆われていてユニットの様子はわからないが、3ウェイスピーカーである。
密閉型のエンクロージャーを持ち天然木を活かしたウォールナットのオイル仕上げである。その色合いと姿かたちは穏やかで、店内のナチュラルな雰囲気にマッチしている。
バッハの「半音階的幻想曲とフーガ」の冒頭を耳にして、すぐにその演奏者が分かった。マリア・ユーディナであった。このレコードは我が家のレコード棚にもある。
マリア・ユーディナは1899年生まれのロシアのピアニストである。ロシア革命、スターリンの大粛清、第2次世界大戦と激動の時代を生き抜いた女性であった。
マリア・ユーディナはスターリンお気に入りのピアニストだった。彼女が録音したモーツァルトのピアノ協奏曲第23番は、スターリンの求めに応じて演奏されたものである。
ただし、ユーディナは当局とやり合っているような女傑だった。公の場でのコンサートを禁止されたこともたびたびあった。
普通であれば、粛清の対象となったはずであるが、その音楽性に対する賛美者のうちの一人がスターリンだったので、難を逃れたようである。
このレコードが録音されたのは1952年4月10日。その演奏は実に大胆ともいえる。彼女の性格そのままに芯の強い明瞭な音でためらうことなく突き進む感じの演奏である。
しかし、雑然としているところは一切なく、「格調」すら備えている稀有な音楽性を有していて、ついつい惹きこまれる。
「半音階的幻想曲とフーガ」が終わり、同じA面に収録されている「前奏曲とフーガ イ短調」が流れ始めた。
この曲の演奏がさらに凄まじい。いつも呆然とする。1952年のソビエト録音。レコード盤であるビニールの質も悪い。盛大なノイズ、フォルテシモでは音が歪む。
しかし、そんなコンディションの悪さをものともしない音楽性の高さに心奪われながら、その2曲を堪能した。
YAMAHA YP-400はオート機構を搭載している。トーンアームをレコード面上にもっていき「Playスイッチ」を押すと、アームがゆっくりと降りていって演奏が始まり、演奏が終るとアームはアームレストに自動的に戻りターンテーブルも止まる。
その「オート機構」に従ってアームはすっと上がって一旦止まり、アームレストに戻っていった。私はそれを合図に会計を済ませて、店の外に出た。夕刻の時間帯、外はすっかりと暮れていたが、西の空の一部にはまだうっすらと赤みが残っていた。