日々草

「つれづれなるままに・・」日々の事を記す。

ある一行

2011-06-26 | リブレリア
ACのCMで一躍、注目された童謡詩人 

金子みすゞ

「こだまでしょうか」や「すずめのかあさん」といえばああと思い出す人も多いでしょう。
繰り返し、繰り返しでうんざりした人もいるのでは?

詩人に罪はない
詩に落ち度はない

ただ、あの繰り返しに嫌気がさしただけ。
言葉は心を刺しただけ。


洗練され選別された特別の言葉のつながりは音色をおび、心に沁みわたる。

ゆっくりとそして確実に。
時にあっという間に。
的確に連なる文字は意志をもつのだ。
あたしは金子みすずより茨木のり子の詩の方が好きだ。



「ある一行」

一九五〇年代
しきりに耳にし 目にし 身に沁みた ある一行


〈絶望の虚妄なること まさに希望に相同じい〉




魯迅が引用にして有名になった
ハンガリーの詩人の一行

絶望といい希望といってもたかが知れている
うつろなることでは二つともに同じ
そんなものに足をとられず
淡々と生きていけ!
というふうに受けとって暗記したのだった
同じ訳者によって


〈絶望は虚妄だ 希望がそうであるように!〉



というわかりやすいものもある
今この深い言葉が一番必要なときに
誰の口の端にのせないし
思い出しもしない


私はときどき呟いてみる
むかし暗記した古風な訳のほうで


〈絶望の虚妄なること まさに希望に相同じい〉








茨木のりこ 詩集 「倚りかからず」より



茨木のり子はこの詩集と同じ題をもつ別の詩の中で
じぶんの耳目、じぶんの二本足のみで立っていて
倚りかかるとすれば椅子の背もたれだけと言う。

あたしにとってその椅子はこの詩であったのだ。

倚りかからず
倚りかかるとすれば


いまこの詩が必要な人に届きますように。
絶望を感じている人に
希望を期待した人に
おかれている現実に目を向ける時を感じた人に。





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