原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

空恐ろしいばかりの岸田政権による安保政策大転換発表

2022年12月18日 | 時事論評
 本日のエッセイでは冒頭から表題に関する2022.12.17付朝日新聞の記事のあちこちを彷徨いつつ、以下に引用することとしよう。


 まったくもって、我が国は急激に“空恐ろしい”方角へと突如向かおうとしているがごとくの暗黒感を抱かされる今日この頃だ。😨 


 私が骨折入院する以前より、この安保政策に関する岸田政権よりの発表の前触れが無きにしも非ずだったのだが。
 膝骨折により未だ人並みのまともな歩行が叶わない我が身にとって、12月16日に発表された岸田政権による国家安全保障戦略(NSS)など安保関連3文書閣議決定の内容は、我が膝の痛みと今後の回復に向けての先行き不透明感に追い打ちをかけるものであった… 😱 


 以下は、朝日新聞2022.12.18付朝刊記事より引用する。

 日本の防衛費は現在世界9位だが、2027年度はロシアや英国を抜き、米中印に次ぐ世界4位になる可能性が高い。 新戦略では国益に鑑みて「専守防衛に徹し、軍事大国とならねばならない」と記したが、この規模は「軍事大国」ではないのか。
 確かに安保環境は悪化している。 ロシアによる軍事侵攻や台湾をめぐる緊張、中国や北朝鮮のミサイルの高度化など、国民にも不安が広がる。 日本も抑止力強化を検討する必要はある。
 ただ、それは国民の不安感に乗るような形で行うべきではない。 一定の歯止めと説明責任、国民的議論が不可欠だ。 しかし、国民に新たな税負担を強いながら、これに応えていない。 顕著なのが敵基地攻撃能力だ。

 日本を取り巻く安全保障環境が厳しさを増しているのは事実で、着実な防衛力の整備が必要なことは理解できる。
 しかし、他国の領土に届く「敵基地攻撃能力」の保有は、専守防衛の原則を空洞化させ、防衛費の「倍増」は歯止めなき軍拡に道を開きかねない。
 国民的議論の無いまま、戦後の抑制的な安保政策を大転換し、平和構築のための構想や努力を欠いた力への傾斜は、危いと言うほかない。

 (以上、朝日新聞2022.12.28付朝刊トップ記事及び社説より一部を引用したもの。)



 救いようが無い虚脱感に襲われつつ、原左都子の私見に入ろう。

 元自民党党首の岸田氏って、一体何者なんだ!?!
 菅首相の次を継いで首相に任命された時点では、“いい人ぶっている”感覚を自民党支持者ではない私も抱かされたものだ。
 何というのか、安倍や菅よりはマシか??? と勘違いさせられる感覚だったが…

 ところがどっこい、国民からの岸田氏に対する支持率が低下の一途を辿るのと並行して、今回の“戦後日本の安保転換”の大発表だ!
 やけっぱちにも程があると言いたくもなるが、これぞ自民党主として生き残るための岸田氏のとるべき最後の砦であったのだろう。
 今後国政選挙がしばらくないのに便乗して、今ぞ良き機会と踏んだとの憶測も飛んでいるが。

 この予算が40数兆円とも見聞している… 
 どこからそんな大それた予算を出すのかと思いきや、戦後より「パンドラの箱」と揶揄されていた建設国債もこれに充当すると言い出す始末…
 しかも財源確保策が思い通りに進まなければ、赤字国債の発行にまで手を付ける可能性もあるとのこと。
 とにかく財源の裏付けが無いままに、防衛力の強化だけが走り出したとの滅茶苦茶ぶりだ。😫 


 こんな滅茶苦茶な国に今後生きてゆかねばならない事実に、絶望感すら抱かされるが。

 膝を負傷していなければ、「安保政策大転換反対デモ」にでも参加したいものだが、それも叶わず。

 私は今後もこの国家に対する大なる失望感と共に、痛い膝を抱え泣き寝入りして過ごさねばならないのだろうか… 
 

発達障害児の一番の指導者は子の特質を心得る親でしかあり得ない! と私も思う

2022年12月17日 | 教育・学校
 (冒頭写真は、朝日新聞2022.12.14付記事「『発達障害』の子8.8% 4割は支援受けず」より転載したもの。)



 私め原左都子が高齢出産(緊急帝王切開・超難産)にて産んだひとり娘が 生まれつきの発達障害である事実に関しては、本エッセイ集バックナンバー内で幾度か公開している。
 娘本人が大学卒業後 自ら志望して IT技術者となり、既に8年近くの年月が流れ、今年5月からは親元を離れ独立して既に8か月が経過している。 
 
 この我が一人娘の発達障害支援に関しては、元医学関係者・教育者であるこの私がほぼ一貫して支援・指導に当たってきたと表現して過言でない。
 今回の表題は、そんな身にしての正直な感想であり結論でもある。



 ここで、冒頭の朝日新聞記事の一部を要約引用しよう。

 全国の公立小中学校の通常学級に通う児童生徒の8,8%に、発達障害の可能性がある事が、文科省の調査でわかった。 このうち4割強は、授業中に丁寧な指導を受けられるようにする配慮・支援を受けていなかった。 (中略)
 保護者からは、個々の児童生徒に応じた支援を求める声が上がる。 だが、特性は様々な上、担当教員は専門知識がある人ばかりではない。
 都内の某中1男子生徒の場合は、地元の公立中の通級指導に疑問を感じ、今春私立中に進んだ。 学力は低くないが、文字を読むことや手書きすることが苦手で学習が進まない。 母親によると、小学校の通級指導では、個別指導の時間と小集団によるコミュニケーション能力を高める指導の時間があった。
 ただ、男子児童はコミュニケーションに支障はなく、途中で参加を中止。個別指導では、担当教員は読み書きが苦手な子についての専門知識が少なく、関連教材の紹介をするなどして理解してもらえるよう頼んだ。

 (以下略すが、以上朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 我が一人娘に話題を戻そう。

 我が家の場合、私自身に医学・教育経験があったことが効を奏して、我が娘の発達障害(当時はそのような呼び方をしていなかったが)に気付くのは早かった。
 早速、2歳の娘を連れて小児専門医療機関を受診したところ、やはり「発達の遅れがある」との診断が下り、早速支援(ケア)を開始した。
 我が子なりにその指導に素直に従いつつ、途中 研究機関を変更して小2の途中まで専門機関にて支援をいただいた。

 その後、専門筋による支援活動はきっぱり・バッサリと中止し、母親の私が娘のケアを一手に背負うこと方針に切り替えた。
 その理由とは上記朝日新聞記事にも記されている通り、発達障害の多様性を勘案した故だ。 一言で「発達障害」と言ったところで、その個性は個々の子ども達により大幅に異なる。
 これをごちゃ混ぜにした中で、我が子の発達を見守ると言う手段も考えようによれば、効果を生むかもしれない。
 ただやはり私としては、我が子の発達障害に特化した指導を効率よく実行せんと欲した。

 ここで我が子の発達障害の特徴に関して、少し解説するならば。
 とにかく我が娘の場合、その発達障害の特質が「寡黙」に特化していた。 
 放っておくとボーーとして何もせず何らの言葉も発せず、静かで助かると言えばそうなのだが、それでは発達が望めないと捉えた私としては、娘の活性化に休む間もなく躍起になったものだ。

 我が娘の場合、持って生まれた知的能力と素直さに大いに助けられたことだろう。
 母である私の指導にそれはそれは素直に従ってくれて、学校生活や学習面では事無きを得て、大学卒業まで比較的順調に渡って来れている。

 それでも今現在も思うには、正社員として勤続8年になろうとしている職場では当の昔に「発達障害」がバレているであろう、との事実だ。

 そんな娘が何故職場を“首”にならないのかを、発達障害の娘の面倒を29年間に渡りみてきた母の私が豪語するならば。


 何よりも、とにかく娘を “誠実な人間” に育て上げた自負があるのだ。

  寡黙でいい、人よりもやることが遅くてもいいから、とにかく常に精一杯の努力を惜しまず自分が出来得る限りの成果を出せ! と発破をかけ続けて来た我が子育ての道程だった。

 そんな私は、我が家の娘は発達障害を抱えているにもかかわらず、今後もIT技術者正社員として独立心旺盛にこの世を生き抜いてくれるのであろうと信じている。
 

松葉杖で大都会の歩道を歩く厳しさ…

2022年12月15日 | 自己実現
 (冒頭写真は、私が左膝複雑骨折の手術を受けた病院から入院中よりレンタルしている松葉杖。)


 参考だが私の場合は松葉杖1本歩行が歩きやすいため、理学療法士氏と相談の上、1本のみのレンタルだ。


 左膝を複雑骨折しその膝に金属(針金)を挿入する手術を受けた後退院してから、早いもので1か月半程が経過している。

 私の場合は手術日より数えて“全治3か月”の診断を受けているため、既にその半分の月日が経過しているにもかかわらず。
 我が感覚では、“治りが悪い”印象があるのが正直なところだ。 (あくまでも、私自身が過去に経験した右手首骨折、左鎖骨骨折の予後と比較しての話だが。 その両者の場合、まさに“日にち薬”のごとく日々回復感があったものだが。)

 この感覚に関して、前回のリハビリ受診の際に理学療法士氏に確認したところ。
 どうしても膝内に金属(針金)を挿入している関係で、よほどリハビリを頑張った優等生でもない限り全治3か月後にも後遺症が残るとの話だ。
 参考だが、金属(針金)の除去手術は早い人で手術から8か月後、通常で1年後の措置となるため、要するにそれまではある程度の不具合を覚悟せねばならないとの事なのであろう。
 理学療法士氏曰く、「全治宣言後も、例えば下り階段がきついと患者さんがよくおっしゃいます。」
 いやはや、この先も厳しいなあ… 😱 

 と思いつつも、それを受け入れねばならない立場なのだろう。


 
 とにかく私が今やるべきことは、自主リハビリに限るのだが。

 手術後3週間後あたりから実施し始めたのが、屋外歩行の実地訓練だ。
  
 昨日は少し遠いところまで出かけようとして、いつものルートではない我が家から遠い路線の駅までの歩行を頑張ろうと欲した。
 このルートは、大都会と言えども交通量がさほど多くはない場所なのだが。
 困惑したことには古い道路なのか、歩道がでこぼこだ。
 松葉杖をついて初めて知ったのだが、松葉杖の先が道路のでこぼこに当たると転びそうになるのだ。 やむを得ず松葉杖を外して手に持ち、自力で歩くこととした。 こうなると松葉杖が邪魔なのだが、かと言って全ての道程を松葉杖無しで歩くのも危険だ。

 困惑しつつも一つ目の目的地(郵便局)に到着した段階で、重労働感にどっと襲われる。
 ATM操作が終ったあと、室内の椅子にて休憩させてもらい。
 最終目的地である駅まで行こうとしたが どうも体力が持ちそうもなく、近くのコンビニにて軽く買い物をした後、自宅へ帰るスケジュールとした。

 たかが1時間程度の松葉杖歩行だったが、自宅へ無事辿り着くとへとへと状態…
 どうしてこんなにも松葉杖歩行が疲れる(体力消耗する)のかは、医学関係者にしても分析不能だ。

 ただ実際問題 退院後体組成計に乗ると、体重自体が2㎏も入院前より増加しているのだが。 その増加の組成のほとんどが 「筋肉」であり、「脂肪」は大幅に減っていることに気付かされる。 
 入院中からずっと運動不足のはずなのに、これどうしたことかと考察するに。
 負傷した脚を無理やり動かす行動により、一時筋肉が発達するのだろうか???  


 そんな信憑性の無い話に糠喜びしている場合ではなく。

 私は来週自治体役所まで、マイナカードを受け取りに行かねばならない。
 その時はタクシー利用ではなく、電車にて事を済ませたく欲している。

 それが叶うか否かは、今後の更なる松葉杖歩行自主トレに委ねられる訳だが…


 全治3か月の膝の骨折を抱える身として、今後も未だ先行き不透明さに苛つかされる日々が続くのであろう…
 

東京で役に立たない奴が地方へ行って、何かの役に立つの???

2022年12月13日 | 仕事・就職
 原左都子の40年来に及ぶ愛読新聞・朝日新聞のネットサービス「紙面ビューアー」とやらに登録して、しばらくの月数が経過しているが。

 今になって尚このサービスの有効な使用法を把握していない私なりに、一応メールにて届けられた情報の確認は時折している。

 まあ要するに、この「紙面ビューアー」の存在趣旨とは有料版である「デジタル新聞」への勧誘なのであろう。
 それが証拠に、記事の本文を少しだけ紹介して「後は『有料版』でご覧下さい」、との文言がいつも末尾に書かれている。

 その手には易々と乗らせられないことには絶対的に自信のある原左都子だ。
 今までにただの一度も、たとえその文面に興味を抱いたとて、必ずやそこで読むのを打ち切っている。

 と言うよりも、その後の記事内容を私なりに想像するのが面白い!



 本日の朝日新聞からのメールにも、その手の文面があった。
 以下に引用しよう。

 
  「俺って役に立っていない」 東京から逃げ出そう、55歳の決断

   55歳の「逃げ恥」体験 無給で働いた1年

 私は現在56歳。アラ還の一記者だ。
 20年以上、医療や介護、年金など社会保障の取材を続けてきたので、専門記者といわれることもある。
 一方で管理職のポジションとはほぼ縁が無く、出世とはほど遠い生活を送ってきた。
 そんな私が2021年春から朝日新聞社を休職し、大分県にある社会医療法人で1年間、無給の「研修生」として過ごした。
 なぜ、そんなことをしたのか。
 「医療・介護の現場での体験を通して、より専門性を深めるため」。こんな、世間体のいい語りもできる。
 しかし1年の休職を決めた理由は、もっと差し迫ったものだった。
 一言でいえば、新型コロナを引き金に、メンタルがだんだんとまずいことになったのだ。
 ここ数年、配属されていたのは社会保障とはあまり関係ない部署だった。必死になって新たな分野を取材して、自分の居場所を見つけようとした。
 だが、自らに「有用感」を持てない状態が続き、少しずつ心に疲れがたまっていった。
 一つ原稿を書き上げても、次の原稿にとりかかるエネルギーがすぐには湧いてこない。でも評価を得るためには、動き続けなければならない。
 常に何かに追われるような気分なのに、心身に力が入らず息切れした。

 (以上、朝日新聞社より日々メール配信されてくる媒体より引用したもの。)



 原左都子の私見に入ろう。

 へえ、朝日新聞社って「休職制度」があるのね!
 やっぱり大手新聞会社って、恵まれてるんだ。
 それを利用して出世とは程遠く、かつ実は新型コロナを引き金にメンタルがだんだんとまずいことになっていた55歳の一記者が、地方の社会医療法人へ1年間、無給の「研修生」へと、“逃げた” って訳だ。

 ところが、現実は甘い世界ではなく。 
 自らに「有用感」を持てない状態が続き、少しずつ心に疲れがたまり、一つ原稿を書き上げても次の原稿にとりかかるエネルギーがすぐには湧いてこず、 常に何かに追われるような気分なのに、心身に力が入らず息切れしてしまったって訳ね。


 さて、その後この朝日新聞社員はどう転んだのだろう?
 まあおそらく、(朝日新聞紙の結論としては)その後何とか巻き返して本社へ復帰したとの結末になるのだろうが。


 いじわるおばさんの原左都子の結論は、そんなに甘くないぞ!

 そもそも、新聞記者とはそれぞれに専門分野がおありなのだろうが。
 その専門とは、原左都子が過去に学んだように医学部にてとことんその専門教育を受け、日々実習に励み、臨床現場である病院等で実地訓練を通過し、国家資格を取得してやっと職場の一員として活躍できる、とのごとくの制度とは大違いであろうと想像が付く。
 
 自らの足で現場に飛び込み丹念な取材をし、一刻も早くその情報を新聞紙上にて伝える。 そんな厳しい日々の繰り返しなのであろう。
 そんな合間に自身の専門分野の知識を増強していく努力も惜しまず、素晴らしい記事を日々紙面にて発表してこそ、身が立つ職業であろうと想像する。

 まさに“生き馬の目を抜く”がごとくの競争世界の中で生き抜かねば、出世も何も掴めないことであろう。

 それが、どうした?!?
 東京で役に立たなかったから、地方へ行って身を立てるって?

 考えが甘いにも程がある!、と地方出身で東京で身を立てた(??)原左都子としては、吐き捨てたくもなる。

 いや、そもそも私の場合は大都会・東京が肌に合っていて、ただの一度とて出身過疎地に舞い戻ろうなどとの発想が全く沸かない人種だ。

 さて、真実はどうなのだろうね??
 それを知りたいならば、朝日新聞デジタル版を見れば分かるのだろうが。

 東京がお気に入りの原左都子にとっては、所詮 二の次でよい話だ。


日本の女子生徒は何故“理系”に進学しないのか?

2022年12月11日 | 教育・学校
 本日も、朝日新聞書評ページよりエッセイの題材を引用しよう。



 その前に、当該「原左都子エッセイ集」開設初期頃の2008.10.08付バックナンバーにて、「1か0かの世界」と題するエッセイを公開しているため。
 まずその一部を、以下に引用させていただこう。

 私は小学生から高校2年生の途中位まで、算数、数学が好きな子どもだった。そのため、大学の進路希望では理系を選択したのであって、当時特段理科が好きだった訳ではない。
 数学の何が好きなのかと言うと、そのひとつの理由は確実に100点が取れる教科であるからだ。 例えば国語の場合、作文等においては教員の評価の偏り等の要因で減点されてしまったりするような不透明性が避けられないのだが、これは評価される側としては納得がいかない。 そういうことがなく評価に透明度が高いのが算数、数学の特徴であろう。(ただ証明問題等において、解答を導く論理に誤りがないにもかかわらず、自分が教えた通りの答え方をしていない等の理由で減点するキャパのない教員もいたが…。トホホ…)

 私が算数・数学がもっと本質的に好きだった理由は、数学とは哲学と表裏一体である点である。(このような数学の学問的バックグラウンドを把握したのは、ずっと後のことだが。) 紀元前の古代から数学は哲学と共に研究され論じ継がれてきているが、数学の概念的理解を要する部分が当時の私にはインパクトがあった。
 一例を挙げると、中学校の数学の時間に「点」と「線」の概念について数学担当教員から(おそらく余談で)話を聞いたことがある。 「点」や「線」を生徒が皆鉛筆でノートに書いているが、これらはあくまで“概念”であり形も質量もないものであって、本来はノートなどに形にして書けないものである。数学の学習のために便宜上、鉛筆で形造って書いているだけのことである…。 おそらく、このような内容の話を聞いたと記憶している。
 この話が当時の私にとっては衝撃的だった。「点」や「線」とはこの世に実在しない“概念”の世界の産物なのだ! (当時は言葉ではなく、五感に訴えるあくまでも感覚的な存在として“概念”という抽象的な思考の世界に私としては初めて触れた経験だったように思う。)
 お陰で数学に対する興味が一段と増したものである。

 同様に、“2進法”を中学生の時に(?)学んだ記憶があるが、これも大いにインパクトがあった。
 「1」と「0」のみの世界! 要するに「存在」と「非存在(無)」の哲学の世界なのだが、世の中のすべての基本はこの2進法にあるのではなかろうか、(と考えたのはやはりずっと後のことであるが…)。
 小さい頃から10進法に慣らされている頭には、この2進法の洗練された世界はまだまだ子どもの私にとってとても斬新だった。 またまた数学の面白さを学ぶ機会となった。
 この“2進法”はコンピュータの計算原理でもある、と教えられ、コンピュータとは電球がONかOFFになることの発展型である、ことを頭に思い浮かべて“なるほど!”と納得したものである。 

 (以下略すが、以上原左都子エッセイ集バックナンバーの一部を引用したもの。)



 さて、朝日新聞2022.12.10付書評コーナーに、「藤田結子の新書速報」と題する記事があった。 以下に一部を引用しよう。

 日本の女性生徒は、国際学力テストの数学の点数で世界のトップクラス。 にもかかわらず、理系における女性の割合はOECD諸国で最下位だ。
 女子生徒の2倍以上の男子生徒が「男は外で働き、女は家庭を守るべきだ」と思っていて、これを肯定する女子生徒は理系を希望する割合が低い。 また、男性の方が数学能力が高い、と思う母親の娘は理系を専攻する割合が低い。 他の要因も含め、日本の社会風土がみえない壁となり、女性の理系割合が低くなっているという。 

 (以下略すが、以上朝日新聞記事より引用したもの。)



 最後に、原左都子の私事及び私見に戻ろう。

 私の場合、親どもが子どもの教育にまるで関心が無い人間だった。
 (私を含めて)自分が産んだ娘どもが学校の成績が良いことは承知していて、それで十分と思っていたふしがあり。
 姉に関しては生来的に人格上問題を抱えていたこともあり、気を掛けていたようだが。 こと次女の私に関しては、実際“放ったらかし”状態だった。

 まあ私の場合、それこそが効を奏したと言えよう。

 冒頭にて紹介した通り、中学生時点で素晴らしい数学教師に巡り会えたことがきっかけで、私は数学大好き少女として成長していった。
 それは高校生になっても続行し、大学の進路は迷いなく「理系」と決定していた。
 とにかく親が教育熱心でない事実が効を奏して、そんな自由度の下に結果として私は医学部への進学が叶った。
 (上記引用文中にも記載しているが、決して「理科」好き人間では無かったのだが、入試時にはおそらく「数学」⦅「英語」も得意でした!!》で点数が稼げたものと振り返る。)


 それにしてもだ。
 上記引用文中の文面を繰り返すが。
 「『男は外で働き、女は家庭を守るべきだ』と思っていて、これを肯定する女子生徒は理系を希望する割合が低い。 また、男性の方が数学能力が高い、と思う母親の娘は理系を専攻する割合が低い。」

 今の時代に尚、未だそんな時代遅れの思想に女子本人もその母親も囚われているのであろうか???
 理系進学女子は増加しているとの報道も耳にするが。

 とにかく私のように何かのきっかけで理系科目に触発されたならば、男女を問わず是非共その進路に邁進して欲しいものだ。