原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

日本の女子生徒は何故“理系”に進学しないのか?

2022年12月11日 | 教育・学校
 本日も、朝日新聞書評ページよりエッセイの題材を引用しよう。



 その前に、当該「原左都子エッセイ集」開設初期頃の2008.10.08付バックナンバーにて、「1か0かの世界」と題するエッセイを公開しているため。
 まずその一部を、以下に引用させていただこう。

 私は小学生から高校2年生の途中位まで、算数、数学が好きな子どもだった。そのため、大学の進路希望では理系を選択したのであって、当時特段理科が好きだった訳ではない。
 数学の何が好きなのかと言うと、そのひとつの理由は確実に100点が取れる教科であるからだ。 例えば国語の場合、作文等においては教員の評価の偏り等の要因で減点されてしまったりするような不透明性が避けられないのだが、これは評価される側としては納得がいかない。 そういうことがなく評価に透明度が高いのが算数、数学の特徴であろう。(ただ証明問題等において、解答を導く論理に誤りがないにもかかわらず、自分が教えた通りの答え方をしていない等の理由で減点するキャパのない教員もいたが…。トホホ…)

 私が算数・数学がもっと本質的に好きだった理由は、数学とは哲学と表裏一体である点である。(このような数学の学問的バックグラウンドを把握したのは、ずっと後のことだが。) 紀元前の古代から数学は哲学と共に研究され論じ継がれてきているが、数学の概念的理解を要する部分が当時の私にはインパクトがあった。
 一例を挙げると、中学校の数学の時間に「点」と「線」の概念について数学担当教員から(おそらく余談で)話を聞いたことがある。 「点」や「線」を生徒が皆鉛筆でノートに書いているが、これらはあくまで“概念”であり形も質量もないものであって、本来はノートなどに形にして書けないものである。数学の学習のために便宜上、鉛筆で形造って書いているだけのことである…。 おそらく、このような内容の話を聞いたと記憶している。
 この話が当時の私にとっては衝撃的だった。「点」や「線」とはこの世に実在しない“概念”の世界の産物なのだ! (当時は言葉ではなく、五感に訴えるあくまでも感覚的な存在として“概念”という抽象的な思考の世界に私としては初めて触れた経験だったように思う。)
 お陰で数学に対する興味が一段と増したものである。

 同様に、“2進法”を中学生の時に(?)学んだ記憶があるが、これも大いにインパクトがあった。
 「1」と「0」のみの世界! 要するに「存在」と「非存在(無)」の哲学の世界なのだが、世の中のすべての基本はこの2進法にあるのではなかろうか、(と考えたのはやはりずっと後のことであるが…)。
 小さい頃から10進法に慣らされている頭には、この2進法の洗練された世界はまだまだ子どもの私にとってとても斬新だった。 またまた数学の面白さを学ぶ機会となった。
 この“2進法”はコンピュータの計算原理でもある、と教えられ、コンピュータとは電球がONかOFFになることの発展型である、ことを頭に思い浮かべて“なるほど!”と納得したものである。 

 (以下略すが、以上原左都子エッセイ集バックナンバーの一部を引用したもの。)



 さて、朝日新聞2022.12.10付書評コーナーに、「藤田結子の新書速報」と題する記事があった。 以下に一部を引用しよう。

 日本の女性生徒は、国際学力テストの数学の点数で世界のトップクラス。 にもかかわらず、理系における女性の割合はOECD諸国で最下位だ。
 女子生徒の2倍以上の男子生徒が「男は外で働き、女は家庭を守るべきだ」と思っていて、これを肯定する女子生徒は理系を希望する割合が低い。 また、男性の方が数学能力が高い、と思う母親の娘は理系を専攻する割合が低い。 他の要因も含め、日本の社会風土がみえない壁となり、女性の理系割合が低くなっているという。 

 (以下略すが、以上朝日新聞記事より引用したもの。)



 最後に、原左都子の私事及び私見に戻ろう。

 私の場合、親どもが子どもの教育にまるで関心が無い人間だった。
 (私を含めて)自分が産んだ娘どもが学校の成績が良いことは承知していて、それで十分と思っていたふしがあり。
 姉に関しては生来的に人格上問題を抱えていたこともあり、気を掛けていたようだが。 こと次女の私に関しては、実際“放ったらかし”状態だった。

 まあ私の場合、それこそが効を奏したと言えよう。

 冒頭にて紹介した通り、中学生時点で素晴らしい数学教師に巡り会えたことがきっかけで、私は数学大好き少女として成長していった。
 それは高校生になっても続行し、大学の進路は迷いなく「理系」と決定していた。
 とにかく親が教育熱心でない事実が効を奏して、そんな自由度の下に結果として私は医学部への進学が叶った。
 (上記引用文中にも記載しているが、決して「理科」好き人間では無かったのだが、入試時にはおそらく「数学」⦅「英語」も得意でした!!》で点数が稼げたものと振り返る。)


 それにしてもだ。
 上記引用文中の文面を繰り返すが。
 「『男は外で働き、女は家庭を守るべきだ』と思っていて、これを肯定する女子生徒は理系を希望する割合が低い。 また、男性の方が数学能力が高い、と思う母親の娘は理系を専攻する割合が低い。」

 今の時代に尚、未だそんな時代遅れの思想に女子本人もその母親も囚われているのであろうか???
 理系進学女子は増加しているとの報道も耳にするが。

 とにかく私のように何かのきっかけで理系科目に触発されたならば、男女を問わず是非共その進路に邁進して欲しいものだ。 


この記事についてブログを書く
« 「恋人」とは自然発生的に出... | TOP | 東京で役に立たない奴が地方... »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 教育・学校