原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

今から100年後に世界人民はコロナ禍を覚えているだろうか?

2022年02月20日 | 学問・研究
 本日のエッセイも朝日新聞記事よりの引用だが。


 朝日新聞2022.02.17付「隠岐さや香氏による まったりアカデミア 100年前は一昔?」と題する記事を、以下に要約引用しよう。

 100年前と聞くと、みなさんは「近い」と感じるだろうか。 私(隠岐氏)は250年程前を専門とする研究者であるため「比較的近い」過去と感じる。 フランス革命やアメリカの独立があった18世紀を大きな時代の境目とみなすからだ。 更に古い時代を扱う専門家なら、18世紀など「最近」だろう。 歴史研究をすると、時間の捉え方が変わってしまう。
 現代人の多くが、市場の要請に基づいて非常に短いスパンで物事を考え、答えを出すよう要求されている。 そうした状況で長期的視野は、無用の長物とみなされがちだ。 だが、コロナ禍がなかなか収まらない今、改めて思うのは集団視野で長期的視野を失うのは危ういということだ。
 世界中で多数の死者を出したスペイン風邪は約100年前のことだが、不思議なほど人々はそれを忘れた。 先進国の政府は感染症の脅威が去ったかのように捉え、それよりも医療含めた公共サービスのコスト削減に熱心だった。 研究者の側にも、基礎的な感染症研究を時代遅れのように捉える空気はあり、市場のニーズにあう応用研究に頭脳もカネも集まりがちだった。
 市場は私たちに豊かさや活力をくれるが、しばしば、私たちを現在に閉じ込める。 経済というもののこうした性質を忘れるべきではないと思う。 今から100年後の人たちが、コロナ禍のあったこの時代を教訓に、覚えていてくれることを願う。

 (以上、朝日新聞 「まったりアカデミア」より引用したもの。)



 このコラム記事を読んで、元医学関係者だった原左都子にとって一番印象深かったのは。
 <研究者の側にも、基礎的な感染症研究を時代遅れのように捉える空気はあり、市場のニーズにあう応用研究に頭脳もカネも集まりがちだった。>
 この箇所である。

 まさに私が20代の現役医学関係者時代は、当時としてはトピックスだった免疫学の研究開発に励んでいた。
 私が20代にメインとしていた医学対象は、まさにその「免疫学」。
 その中でも免疫細胞サブクラス・サブセットの詳細な分類やそれらの機能等々に関して、日々研究開発を繰り返していた。
 その後、時代はモノクローナル抗体時代へと移り行き。

 更には遺伝子解析へと大きく方向転換していった。

 そして再生細胞研究が盛んに実施されるようになり、ES細胞、iPS細胞、等が人為的に作成可能となり。 今やそれらの再生細胞は臨床医学分野にても大きな役割を果たす時代へと変遷している。


  話題をコラムの冒頭に戻すと。

 100年前は、近いか? 
 と問われると、私の場合歴史研究者の経験は皆無だが、その身にして「近い」と感じる派かもしれない。
 その理由を探ってみると。
 一時哲学に凝って、娘の名前を古代ギリシャ・プラトン哲学より引用したり。
 あるいはアインシュタイン氏のファンでもあり、相対性理論や量子力学的実在論にはまったりした経験がある故であろう。
 これらの学問は現在に至っても少しも古びておらず、今尚燦然と輝く学問領域であろう。



 最後に。

 このコラムのテーマである、「今から100年後に世界人民はコロナ禍を覚えているだろうか?」 に関してだが。

 我が希望としては、「忘れ去っていて欲しい」に尽きる。

 ただ、私の個人的な経験を述べるならば。
 我が医学部にての恩師先生が、初期の頃のインフルエンザワクチン研究創始者であられるのだが。 
 この医学部恩師の専門力の程が多岐に及ぶのに加えて実に教育熱心な恩師であられた恩恵で、私は医学部卒業後医学分野にて十分に活躍可能だったと今尚感謝申し上げている。
 そんな意味では、ワクチン研究者たちの偉業をいつまでも称えたい気もする。

 
 今現在「コロナ禍」に既に2年半もの長期に渡り苦しめられている身としては。
 もういい加減、普段の生活に戻りたいのが実際問題本音だ。

 そういう意味では、100年先に生きている人々にはこんな暗い時代を思い起して欲しくない! と考えるのが通常であろう。


一般人のネット空間常在が日常化した現在

2022年02月19日 | 自己実現
 (冒頭写真は、朝日新聞本日2022.02.19付“書評”ページより撮影したもの。)


 本日は久々に、朝日新聞“書評”ページより。
 TVOD(コメカ+パンス)著「政治家失言クロニクル」に対する、小説家・温又柔氏による書評「戦後日本史 軽妙に辿るガイド」の前半部分を、以下に要約引用しよう。

 今や、「フェイスブックやツイッターが媒介した膨大な量のコミュニケーションは、陰謀論やフェイクニュースの繁殖と蔓延や、フェルターバブル・エコーチェンバー内での言説の極端な過激化をもたらすことになってしまった」。 「敵を指摘して、支持を取り付けるというやり方が定着」し、現職の政治家すら「『ネット民』的な感性のツイートを乱発する」のを恥じない事態が公然とまかり通る。
 多くの人にとってネット空間に「常在」するのが日常化し、誰もが容易に「発信者」になれるので「今この瞬間にどれだけアテンションを集められるか、どれだけ大きいバズを起こせるか、ってところに関心が集中」するのも、ある程度は仕方のないことかもしれない。 逆に言えば不特定多数の人に「承認」されたいといった欲望を一切持たずに「目立とうとしない」ままでいるのがひどく難しい時代をいきざるを得ない私たちにとって、地に足をつけて「自分や自分が生まれた場所にまつわる歴史を踏まえてものを考え」るにはどんな方法が有効なのか?

 (以下略すが、以上朝日新聞書評ページよりごく一部を引用したもの。)



 原左都子の私事及び私見に入ろう。

 私の場合、今現在のネットとのかかわりは当該gooブログのみである。

 少し前までFacebookも利用していたが、友達付き合いは当初よりずっと少人数にとどめていた。
 現在に至っては事実上友達付き合いは実施せず、単にgooブログ上で公開しているエッセイを、Facebook上にてコピーして公開する場としているのみである。 

 このgooブログに「原左都子エッセイ集」を開設したのは2007年9月のことだった。
 それに2か月程遅れて、当時ネット上に存在していた「某ブログコミュニティ」にも我がエッセイ集を登録したところ。
 これが物凄い人気で、あっという間にコミュニティ内より400名程の読者登録が押し寄せて来た。😃 
 ただ私の場合、当初より友達付き合い目的のブログ公開では無かったため、こちらからの読者登録は出来得る限り遠慮させてもらっていた。
 それでもその人気は続行し、2011年秋頃までそのうち気の合う人々とのネット上の交流が続行した。 実に良き関係に恵まれ、私にとっては我がブログライフに於ける“栄光の時代”であったかもしれない。


 ところが時代とは世間の要望に沿って移りゆくものだ。
 そのブログコミュニティは「ブロガー同士の良質な交流」というよりも、「友達登録制度」を充実して“質より量のネット上の関係を煽る組織”と成り下がってしまった…
 それを機に、私は当該コミュニティを脱退したのだが。
 理由は不明だが、当該コミュニティ組織はその後まもなくネット世界より消え去ったようだ。


 我が記憶によれば、当時のネット世界は現在とはまた異質の“大いなる乱れ”が存在していた。
 例えば「性風俗」。 一般女性が平然と自身の裸体を公開して交際相手を募ったり。

 あるいは、ブログ記載内容に対する誹謗中傷。
 我が「原左都子エッセイ集」はこれの恰好のターゲットになってしまい、やむなく2011年11月にコメント欄を閉鎖して現在に至っている。

 現在では過去に受けたコメント欄への誹謗中傷の大いなる反省から、gooブログのコメント欄を閉鎖し。
 また読者登録に関しても、こちらからの登録をごくごく少数に限らせていただいているため。
 事なきを得て私が欲する理想的なブログライフが叶っていると言えるかもしれない。


 そうだなあ、私の場合は「ネット空間に“常在”したい」なる願望が元々無いのかもしれない。

 いつ何時も実質社会にての課題が多い人間であるようだし。 (例えば、高齢者施設入居の義母や実母に介護補助をあてにされたり。 それ以前の問題として、亭主や娘にも日々全面的に依存されたり…)
 
 その種の課題を抱えさせられている人間とは、それになんどきも時間を割かねばならないのだが。

 それって幸運なことと思えてきたりするのが、不思議でもあるなあ。 
 

泣きっ面に蜂、今度は真夜中にトイレが詰まるではないか!!

2022年02月18日 | 自己実現
 昨日の耳鼻科にての義母補聴器修理だが。

 修理時間が短い設定だったため義母は同行しない(同行すると重労働になるし余分な時間がかかってしまう故に)ことを約束していて、それは守られて我が身が助かった。

 さて、短時間にての修理が終了して義母が暮らす高齢者施設に補聴器を持ち帰ると。
 こういう場合いつも玄関先で義母が待ち構えているはずが、義母の姿が無い。
 スタッフの皆さんも多忙そうなため、一人のスタッフ氏に補聴器を預けて、私はそのまま義母に会わずに帰宅した。

 その後も、義母から何らの連絡も入らない。
 今までならばこのようなケースの場合、義母からしつこい程に電話がかかってくるのだが。 それも一切無い。
 まったくもって現在の義母が何を認知出来て何を認知出来ていないのか、掴み処が無くなってしまったとの厳しい現況だろう。
 楽と言えばそうなのだが。 
 何だか不気味な予感がするというのか、義母認知症の行方の掴み処が無くなってしまった。

 亭主とも話し合って、とりあえず義母が大騒ぎしないのを良きこととして、このまま放置することとした。


 とにかく精神的疲労感が溜まると、夜眠れなくなるものだが。 
 昨夜は質の悪い眠りの中、何とか寝付けたと思いきや。


 我が寝室の廊下を隔てた真横がトイレなのだが。
 そのトイレの換気扇が回りっぱなし状態のようだ。
 しかも、いつも聞きなれないカタカタ音が聞こえてくる。 何か作業をしているかのような音だ。
 何だろう???  と思いつつそのカタカタ音を聞いていると、いつまでもそれが聞こえてくる。
 ここは、私が見に行くしかない。
 
 勇気を出して、トイレの前まで行くと。
 ちょうど、娘が出て来た。

 「何してるの?」
 と、問う私に娘が告げる。「トイレが詰まって流れなくなっている。」
 要するに娘はトイレ用柄付きブラシで、その詰まりを解消せんとしていた様子だ。
 時計を見ると、午前3時。
 「貴方は明日自宅テレワークだから、もう寝なさい。後は私がその作業を代わるから。」
 以前にも同じ症状でトイレが詰まったことがあるが、その時は柄付きブラシで何とか流れるようになった。 
 ところが昨日は30分程格闘したが、詰まりが解消されない。
 やむを得ない。 寝ている亭主を起こして助っ人を頼んだ。
 それでもダメで、とにかく明日専門業者を呼ぶこととして。 その間は風呂をトイレ代わりに使用することとした。

 それから2時間ほど経過しただろうか。
 亭主が自室で電話をかけている。 どうやら24時間緊急出動してくれる業者に折衝している様子だ。 その会話を聞くと、結果が芳しくなさそうで…

 その後、台所とトイレからの物音が激しくなった。
 後で判明したが、亭主がネット情報を頼って自力で原状回復している様子だ。  
 5時頃になって亭主に尋ねた。「何してたの?」
 亭主曰く、「トイレの詰まりを直していた。 ネット情報通りにお湯を大量高温に沸かして、それを流し込むと詰まりが解消した。」

 ご苦労様、との結論だが。

 朝になって、再度私が亭主に尋ねた。 「沸騰した湯をトイレに流したというが、配水管がその高温に耐え得るかねえ? 下手すると配水管が損傷して、もっと大変な事態になることも考え得るよ。」
 亭主応えて、「確かに排水管がプラスチック製だったりしたら危険かもしれない。 参考だが、トイレ便器自体はその高温に耐える材質らしい。 排水管はその先だから、多少は熱が冷めているから大丈夫じゃないかな?」


 いやはや、とりあえず我が家のトイレは朝までに使用可能状態となった。

 私も昨夜はほとんど寝ていないが、亭主も午後3時過ぎから寝る時間を惜しんで朝までトイレ修繕に励んだとの事だ。
 実にご苦労様、と亭主をねぎらっておこう。

 それにしても、我が不運は相変わらず続いている様子だ…😱 
 
 この悪しき状況を打破するには、私は何をどう成せばよいのだろうか??😭 
 

認知症義母の補聴器、2月3日の定期点検後たった1週間足らずで壊してしまい…

2022年02月17日 | 医学・医療・介護
 何だかこの原左都子、年明けからずっと“踏んだり蹴ったり”の悪運状態が続いている気がするのだが… 😱 
 (正月に神社にて引いたおみくじは「中吉」で、なかなか良き内容だったのになーー。)😫 

 
 上手くいったのは、1月末頃の義母の不動産賃貸業の「青色申告」のみ。(これで、今年の幸運のすべてを使い果たしたか!?!?)😖 

 その後の亭主のe-Tax確定申告時に、新たなパスワードを取得する時点で躓き。 税務署へ出向かねばならなかったり、税務署から届けられたはずの「パスワード通知書」が郵送で届くのに3日もかかったり。
 結局、e-Taxをパソコンにて作成して提出するのに2週間も要してしまい…
 (ただし、還付金¥64,000- 余りを取り戻せたのは結果としてラッキーだった。)😁 


 そして今度は、表題の通り義母の補聴器故障事件。

 これに関しては義母の認知症状を勘案すると、想定内ではあるのだが。
 それにしてもこの話を義母の施設・ケアマネージャー氏より電話で聞かされた時には、愕然とさせられた。

 ちょうど、e-Taxパスワード事件と同時進行でこの処理に当たらねばならなかった。

 この種の有事の際の対応担当は、やはり私。
 我が家族は人が好い人間ばかりなのだが、有事の際に何の役にも立たない人物ばかりで、私が一肌脱ぐしかない。

 まず耳鼻科へ電話を入れたら、補聴器担当者氏へ直接電話を入れて欲しいとのこと。
 担当者氏が実に親切な方で、2月17日(本日)の午後に耳鼻科へ訪れるのでその日に見ます、とのこと。 ただし既に予約が満杯のため、午後の診察時間の10分程前に担当者氏が休憩時間内に無料労働奉仕(当然修理の実費は発生するだろうが)にて、修理に当たって下さるとのご回答。

 実にありがたいのだが、これが施設の義母には通じない。
 ここ2,3日、この件で義母が施設内で大騒ぎをしでかして…
 この件はケアマネージャー氏が担当して下さっているのに、義母がスタッフの皆に手当たり次第に相談する始末。「私は耳鼻科へ行かなければいけないのか?」等々と。
 当然、義母には「行かなくてよい!」とあらかじめしつこい程説明してあるのに、認知症故にそれがどうしても把握不能で。 スタッフの皆さんも親切で、この義母の問いかけに対して義母の現在の難聴と認知症状を勘案すれば、そりゃ誰とて「ご家族の方が付き添って下さるから大丈夫ですよ」と応えて下さることだろう。
 ところが本日の補聴器修理に関しては、私が一人で対処することになっていて、むしろ義母について来られてはとんでもなく足手まといであり迷惑だ。
 それを何度電話で義母に伝えても難聴故に伝わらず…。

 本日つい先ほど、施設のケアマネージャー氏にその旨を伝えて、やっとこさ、解決にこぎつけた。


 身内に難聴兼認知症者を抱えると、たとえ施設入居とは言えども、まあいつもこんなものだ。😭 

 
 という訳で、本日午後私は義母の補聴器修理のために耳鼻科へ出掛けます。😷 


カーリング女子の“うるさ過ぎる掛け声”、気になりませんか?

2022年02月16日 | 時事論評
 冬季五輪に於いてカーリング競技が採用されたのは、比較的近年の事と認識している。


 最初の頃は実に興味深いスポーツだと感じ、私も熱心にテレビ中継を視聴したものだ。

 日本では、カーリング女子チームの小野寺選手(後に小笠原選手)が中心メンバーとして活躍した時代には、私もカーリング競技のファンだった。
 単に体力勝負ではなく、先を読む頭脳プレーが興味深く。 また、一投で大逆転を狙えるそのどんでん返しも、他のスポーツにはない魅力だと感じた。

 さて近年では北海道のロコソラーレが国内では最強チームの様子で、今回も国内選考で勝ち残り北京五輪に出場している。

 現在のところ、4勝3敗の位置につけているが、さて今後如何に転ぶだろうか?


 ところで、私は当該ロコソラーレチームを好んでいない事実を、当該エッセイ集バックナンバーにて公開している。
 そのエッセイを公開したのは、前回平昌五輪前後の頃だっただろうか?
 (バックナンバーを検索してみたが見つからないため、以降は我が記憶に従って記述するが。)
 前回の平昌五輪の際に、ロコソラーレチームが休憩時間にいちごを頬張ったりする水分補給場面がテレビ放映された。 
 休憩時間には水分補給をするべきだろうが、何もわざわざそんな場面をテレビ放映する必要も無かろうに、と私はかなりうんざりさせられた。
 何というのか、彼女たちには“自分達は可愛い”意識が見え隠れしている感覚があるのが見え見えだ。 五輪競技に於いてそんな二の次でよいはずのことを殊更表に出して一体何を考えているのか!、との嫌悪感すら抱かされた。
 
 加えて、試合中の“あの掛け声”だが。
 カーリング競技とは、試合中の選手同士の打ち合わせが重要となるのは十分に理解している。 しかも石を投げる場所とそれが届く場所の距離が長いため、どうしても両端での連絡が欠かせない。 そのために両端同士で大声を出し合ってその戦略を話し合っているのも十分に心得ている。

 決して、その大声での連絡をやめよと言う訳ではない。

 何というのか、特にロコソラーレチームのその甲高い声質や北海道の方言言葉(?)が気になってしょうがないのだ。 
 特に吉田ちなみ選手(と言ったかな?)の声質が私にとってはかなり受け入れ難い。 (何だか、高校教員時代にクラスに一人うるさい女子生徒が存在して困惑したことを思い起したりしてしまうのだ…)😖 


 本日昼間、自宅で亭主と昨日のカーリング女子試合再放送を視聴した。
 韓国・スイス戦だったと記憶しているが。 
 何故かスイス選手の声は気にならないのに、韓国選手の声が若干気になる。ロコソラーレチームの甲高い声質とダブる部分があるのだ。
 亭主とこの現象に関して話し合ったところ、黄色人種女子の声がその声帯の特徴として甲高いのではなかろうか? との結論が出た。
 ただ韓国チームのその甲高い声は、ロコソラーレほどには気にならない。 それはハングル語のため、何を言っているのか分からない事実に助けられている故と結論付けた。

 小野寺選手(後の小笠原選手)時代のカーリング女子日本チームの声は気にならなかったのに、何故ロコソラーレチームの甲高い声が気になるのか?
 それは、それぞれのチームに対する私自身の贔屓度が異なる故であるのは歴然だろう。


 ところで近年の冬季五輪に於いては、このカーリング競技放映に時間を取り過ぎていやしないだろうか?
 というよりも、特に競技数が元々少ない冬季五輪においてはこの種の競技時間がかかる競技をを採用しないことには、2週間に及ぶ開催期間が持たないのであろう。

 ならば、最初から競技期間を短縮すれば済みそうだが。

 それに関しては世界各国の報道機関との連結や、それによる五輪収入ひいては経済効果と結びつかない事実が歴然だ。

 年を追うごとに、五輪とそれらの経済効果との関連が強まるばかりだ。


 ギリシャ・アテネにて行われた第1回目の五輪開催の当初の目的とは、何だったのだろう??

 五輪運営も、是非その原点に戻って欲しいものだが。