原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

カーリング女子の“うるさ過ぎる掛け声”、気になりませんか?

2022年02月16日 | 時事論評
 冬季五輪に於いてカーリング競技が採用されたのは、比較的近年の事と認識している。


 最初の頃は実に興味深いスポーツだと感じ、私も熱心にテレビ中継を視聴したものだ。

 日本では、カーリング女子チームの小野寺選手(後に小笠原選手)が中心メンバーとして活躍した時代には、私もカーリング競技のファンだった。
 単に体力勝負ではなく、先を読む頭脳プレーが興味深く。 また、一投で大逆転を狙えるそのどんでん返しも、他のスポーツにはない魅力だと感じた。

 さて近年では北海道のロコソラーレが国内では最強チームの様子で、今回も国内選考で勝ち残り北京五輪に出場している。

 現在のところ、4勝3敗の位置につけているが、さて今後如何に転ぶだろうか?


 ところで、私は当該ロコソラーレチームを好んでいない事実を、当該エッセイ集バックナンバーにて公開している。
 そのエッセイを公開したのは、前回平昌五輪前後の頃だっただろうか?
 (バックナンバーを検索してみたが見つからないため、以降は我が記憶に従って記述するが。)
 前回の平昌五輪の際に、ロコソラーレチームが休憩時間にいちごを頬張ったりする水分補給場面がテレビ放映された。 
 休憩時間には水分補給をするべきだろうが、何もわざわざそんな場面をテレビ放映する必要も無かろうに、と私はかなりうんざりさせられた。
 何というのか、彼女たちには“自分達は可愛い”意識が見え隠れしている感覚があるのが見え見えだ。 五輪競技に於いてそんな二の次でよいはずのことを殊更表に出して一体何を考えているのか!、との嫌悪感すら抱かされた。
 
 加えて、試合中の“あの掛け声”だが。
 カーリング競技とは、試合中の選手同士の打ち合わせが重要となるのは十分に理解している。 しかも石を投げる場所とそれが届く場所の距離が長いため、どうしても両端での連絡が欠かせない。 そのために両端同士で大声を出し合ってその戦略を話し合っているのも十分に心得ている。

 決して、その大声での連絡をやめよと言う訳ではない。

 何というのか、特にロコソラーレチームのその甲高い声質や北海道の方言言葉(?)が気になってしょうがないのだ。 
 特に吉田ちなみ選手(と言ったかな?)の声質が私にとってはかなり受け入れ難い。 (何だか、高校教員時代にクラスに一人うるさい女子生徒が存在して困惑したことを思い起したりしてしまうのだ…)😖 


 本日昼間、自宅で亭主と昨日のカーリング女子試合再放送を視聴した。
 韓国・スイス戦だったと記憶しているが。 
 何故かスイス選手の声は気にならないのに、韓国選手の声が若干気になる。ロコソラーレチームの甲高い声質とダブる部分があるのだ。
 亭主とこの現象に関して話し合ったところ、黄色人種女子の声がその声帯の特徴として甲高いのではなかろうか? との結論が出た。
 ただ韓国チームのその甲高い声は、ロコソラーレほどには気にならない。 それはハングル語のため、何を言っているのか分からない事実に助けられている故と結論付けた。

 小野寺選手(後の小笠原選手)時代のカーリング女子日本チームの声は気にならなかったのに、何故ロコソラーレチームの甲高い声が気になるのか?
 それは、それぞれのチームに対する私自身の贔屓度が異なる故であるのは歴然だろう。


 ところで近年の冬季五輪に於いては、このカーリング競技放映に時間を取り過ぎていやしないだろうか?
 というよりも、特に競技数が元々少ない冬季五輪においてはこの種の競技時間がかかる競技をを採用しないことには、2週間に及ぶ開催期間が持たないのであろう。

 ならば、最初から競技期間を短縮すれば済みそうだが。

 それに関しては世界各国の報道機関との連結や、それによる五輪収入ひいては経済効果と結びつかない事実が歴然だ。

 年を追うごとに、五輪とそれらの経済効果との関連が強まるばかりだ。


 ギリシャ・アテネにて行われた第1回目の五輪開催の当初の目的とは、何だったのだろう??

 五輪運営も、是非その原点に戻って欲しいものだが。