(冒頭写真は、朝日新聞愛読者プレゼント “グランマ・モーゼス 素敵な100年人生シリーズ” より、油彩「シュガリング・オフ」。)
早速、冒頭写真「シュガリング・オフ」の解説を以下に引用しよう。
北アメリカ原産のメープル(サトウカエデ)の木から採れる樹液は、その名の通りメープルシロップやメープルシュガーなどの貴重な甘味料として利用されてきた。 グランマ・モーゼスの子供時代、樹液を採取したり煮詰めたりする作業を手伝うのはとても楽しいことだった。
そうした情景を描いた本作では、画面に点在する人々の大きさの違いや鮮やかな色のコントラストが、白一色の雪景色に奥行きと精彩を与えている。 前景中央で、採取した樹液を別のバケツに移し替える作業をしている少年と男性は、モーゼスが所有していた雑誌の写真を参考にしている。
実体験と記憶から紡がれたイメージをかたちにする際に、こうした資料は良い助けになった。
(以上、解説より引用したもの。)
原左都子の感想だが。
この作品の詳細をよく見ると、馬やトナカイ(?)のペアが、その採取した樹液を桶に入れたものを運んでいるようだ。 あるいは、手前では小さい桶にメープルを入れたものを作業員が運んでいる姿も描かれている。
随分と大量のメープルが採取されたことが伺える。
この地域の貴重な甘味料として、農民たちの暮らしを支えたことであろう。
幼少の頃から中学生時代まで、祖父母の家に住んでいた私だが。
元々梨農園だったその家の前庭には大きめの畑があり、また家の周辺の庭には果物樹木が沢山植えられていた。
その果物樹木とは、ミカン、夏みかん、スダチ、グユミ、珍しいところではイチジク、ザクロ等々が毎年実を実らせていた。 大きな松の木もあったなあ。
それらの果物を祖母が収穫しては家族で食していた記憶が、このメープルシロップ採取を描いた絵画で蘇った。
当時はその習慣が当たり前すぎて、それがどうした?との感覚だったが。
取れたて果物をいつも食することが出来るとの恵まれた環境だったことを、今更ながら懐かしく振り返ったりもする。
次なる作品は、油彩「早春の農場」。
解説を、以下に引用しよう。
「早春の農場」というタイトルは、グランマ・モーゼスがドライなユーモアの持ち主であったことを示している。 暦の上で春であっても、アメリカ北部の大地は雪に閉ざされている、そのような農場を描いている。 しかし作品の前景をよく見ると、ガチョウの一群が歩いているあたりでは、確かに雪解けが始まっている。 モーゼスの自伝を読むと、その人生は幸福な日々ばかりではなかったことが明らかだ。 彼女の作品の静けさは、不愉快な出来事を拒絶するのではなく、そうした出来事と折り合うこと、という生き方から生まれている。
(以上、解説より引用したもの。)
確かに作品をよく見ると、左下の雪解け道をガチョウの一群が歩いている風景が描かれている。 春はもうそこに近づいている。
グランマ・モーゼスは、“ドライなユーモアの持ち主だったようだが。
絵画同様に、エッセイ執筆もある意味で自身の人生を描く場となり得る。
原左都子の場合、決して「ドライなユーモアの持ち主」と表現するには無理がある人間であろう。
ただ1本3000字程の字数のエッセイ内に、日々自身の思考や生き様をキーボードにて叩き打つ作業が、我が精神の清涼剤となっている感は十分にある。
(この叩き打ち力が激し過ぎて、既に2台の真新しいノートパソコンのキーボードを壊滅的に壊す、との大損失を計上してしまっている… )😭