新型コロナウィルス騒動感染拡大を防ぐ目的で、一部を除き全国津々浦々の学校が「休校」措置を余儀なくされているが。
朝日新聞2020.03.22内に、「休校中 どうしてる?」と題する記事があった。
それを読んで、私がつくづく思ったのは。
表題の通り、「子ども達って、学校が好きなんだね…」である。
上記朝日新聞記事より、ごく一部を引用しよう。
〇 「どこにも行く所ない」と来校
東京都内公立中学校の3年生担任の男子教諭は、休校後も毎日学校に出て、休校延長時の対応、卒業式のやり方等々、いくつもの準備に追われた。
仕事をしていると、生徒達が「どこも行くとこない」とちょこちょこ学校に顔を出す。 「こんなに居場所がないんだと思った」と教諭は言う。 同時に、学校が居場所の子が予想以上に多いこととも感じたようだ。
球技大会等の学校行事が次々と中止になった。 卒業したら高校もバラバラになるから、集まりたいという子どももいる。 校長が「校庭でなら遊んでいい」と解放してくれて、ぽつぽつと来た生徒達と教諭も一緒にスポーツを楽しんだ。
「本当は家庭に居場所があるのが子どもには一番だとは思う」と教諭。
「でも、大人も日々頑張り過ぎているから、余裕が持てない。 この休校で日本社会のあり方を考え直したら、子どもの居場所も出来るのでは。」と話した。
〇 「眠れなくなった」
片道30分の徒歩通学や体育がなくなり、エネルギーの使い所がなく、夜中に何度も目が覚めてきつい。 自宅でちょこちょこ動くくらいでは足りない。 友人とは面倒なので連絡をとっていない。 (中三 女子)
私事に入ろう。
バックナンバーにて再三記載しているが、とにかく徹底して「学校嫌い」の原左都子だ! (いえいえ「学問の府」である大学・大学院は好きだった。 特に2度目の大学・大学院では積極的に自分でカリキュラムを組み、専攻外の学問分野までにも視野を広げ、学び倒したものだ。)
もしもこの私が未だ子どもで、今回の“新型コロナウィルス措置”に遭遇し学校休校に直面していたならば、如何に転んだだろう??
何分、幼稚園時代から「集団嫌い」だった。 幼稚園も義務感で通った記憶がある私(幼い頃より真面目で律儀な性分であるため、とにかく嫌でも通った。)にして、もしも休園になったとしても何ら困惑しなかったような気もする。
その当時から父母が共働きだったため、帰宅後は一人で過ごしたのだろうか? 今となっては記憶が定かではないが、家にはしっかり者で頼りになる“おばあちゃん”が居てくれたため、何不自由なく安心して日々を送ったことしか思い出せない。
(参考だが私には姉がいるのだが、その当時から仲が良かった記憶も無い。 おそらく別々に過ごしたのだろう。)
小学生になっても、似たようなものだ。
とにかく帰宅後は誰に指示されるでもなく、一番に学校の“宿題”を片付けた。 そんなの“お茶の子さいさい”ですぐに出来上がってしまい、その後は近くの子達と遊んだり、近所の駄菓子屋へ一人で行って小遣いから好きなものを買った記憶がある。 (その小遣いを“貯める”ということを子どもの頃から志向し、実行していた事実もバックナンバーにて披露している。)
加えて、私は子どもの頃より“一人遊び”(と言うよりも、“一人創作”“一人思考”)を愛好していた記憶もある。 例えば、当時「紙で作る“着せ替え人形”」が流行っていた。 学習机の引出しの一つをその“着せ替え人形部屋”にして、洋服やバッグ等の小物類はもちろんのこと、ベッドや机等の家具まで手作りして楽しんでいた。 あるいは、小学校3,4年頃には“家屋の部屋のレイアウト”に凝ったこともあり、一人で間取りを考えてはある程度正確に作図して遊んだりもした。 さすがにいつも子どもを放ったらかしの我が親どもも、その作図を見て「この子、将来建築士にでも成りたいのだろうか??」と思ったようだ。
中学生時代は、様相が大きく変化した。
部活動としてブラスバンド部(過去に全国優勝を果たしている程歴史ある部活だった)を選択した私は、放課後は毎日、土日にもその活動を頑張ったため、平日は親どもよりも帰宅が遅かったし、ほとんど家を留守にしていた。 もしもその頃に学校が休校措置を執ったとしても、おそらく高校受験に向けて頑張っていた時期のため、さほどの弊害は無かった事だろう。
高校も遠距離通学だったのに加え、大学受験のためたとえ休校措置が執られても、何ら変わらぬ日々だったことだろう。
その後時が流れ大きく時代が変遷し、底辺高校(失礼な表現をお詫びします)に高校教諭として勤務した私だが。 幸いな事に、学校好き・教員好きな子ども達と十分に接する事が叶ったため、そんな子ども達の思いも重々理解可能だ。😪
時代が核家族化へと急激に移りゆき、過去の私のように傍らで見守ってくれる祖母の存在すら珍しい時代へと成り果てているのだろう。
学校に救いを求める子ども達…
何とも“不憫な”思いもあるが。
どうかこんな健気な子ども達のために、学校現場は最大限尽力して欲しいものだ。