原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

保健室通いをする児童・生徒の心理

2016年09月26日 | 教育・学校
 私自身、小学校から高校までの12年間に渡る児童・生徒時代に、ただの一度だけ保健室へ行った事がある。

 あれは高校3年生の時だっただろうか。
 その日、体育の授業に於いてグループごとの「ダンス発表」が予定されていた。 
 元々大の集団嫌いの私にとって、この“グループ活動”とやらがとてつもなく苦手だった。 元々音楽・ダンス好きの私だ。 もしもこれを一人でやらせてくれるならば自由に好きなダンスを創作して踊るのに、何で“グループ”なの?? との恨みにも似た感情を抑えつつの活動だった。 
 そんな私が、グループに協力的な訳がない。 そもそもこの種のグループ活動とは、集団内でしゃしゃり出たい少数の生徒が勝手に(下手くそな)創作をして、それを全員に強制するものだ。 しかも、不運には音楽を自分で選べなかったと記憶している。 好きな音楽ならばやむを得ずそれに従っただろうが、そうではなく下手な振付のダンスを皆の前でさせられる屈辱感に耐えられないままにずっと体育の時間を過ごしていた。

 発表当日のあの日、重い足を引きずりながら学校へ行った私は朝から胃腸の調子が悪かった。 
 体育の時間が近づくにつれ、体調が悪化する。 ついに私は担任に保健室へ行くことを申し出た。 その許可が下り、保健室へ行った直後の風景を今尚鮮明に記憶している。
 初めて行った高校の保健室には大部屋に6つ程のベッドが並べて配置されていて、一つを除き満杯だった。 (へえ、こんなに保健室を利用する生徒は多いんだ!)などと妙な感想を内心抱いていると、50代程のおばさん(失礼! 養護教員)が、「貴方は一体どうしたの? どうせ仮病でしょ!」といきなり怒ってかかって来る。 しどろもどろに「お腹が痛いんですが…」と応えると、「しょうがないわねえ。そのベッドに寝なさい!」と相変わらず怒っている。
 (後の考察だが、この対応で昔の保健室は成り立っていたのだと、医学関係者の立場として空恐ろしい思いを抱く。) 
 その後ベッドに寝て、おばさん(失礼!養護教員)の他生徒に対する同様の冷遇対応を見ていると、ますます体調が悪化する。 こんなところで寝ていられない、と判断した私は保健室を退室し、担任に早退を申し出て家へ帰った。 あの時、私の早退現場を見た国語のイケメン先生が、「どうしたの?大丈夫か?」と声を掛けてくれたのが唯一の救いだったものだ。
 で、まあ、結果としては、体育の「グループダンス発表」は出ずに済んだという話だが…。
 ただ後に考察するに、あの時それをサボタージュする少しの勇気があったからこそ、後々私はダンス愛好を今現在に至って尚続行出来ていられるとプラス評価している。


 時代を十数年程手前に変遷させ、我が高校教員時代の「保健室」の風景をレポートしよう。

 と言ったところで私自身が養護教員ではなかったため、あくまでも教室にて授業中に「保健室」へ行きたいと申し出る生徒達の観察に基づくレポートとなる。
 その頃(バブル経済全盛~崩壊期直前頃)の学校の保健室とは、どうやら生徒達のオアシスであったようだ。 おそらくその時代の「保健室」とは、私が高校時代にお世話になった頃より医学面で進化を遂げていた事であろう。 養護教員の専門力や生徒対応力も、昔と比較して格段に上がっていたのではあるまいか。
 当時、保健室内で如何なる対応がなされていたのかは私は露知らない。  だが、養護の先生に「教室へ戻れ!」と言われ仕方なく返って来る生徒が大多数だった。 まあ、真っ当な指導であろう。 が、保健室から返されたその後、それら生徒は教室内で寝る事と相成るのは自然の成り行きだったのだろう。
 保健室から教室へ戻された生徒の中で、真に具合が悪そうな女子生徒に私から声を掛けた事がある。 「大丈夫かな? 本当に具合が悪かったら私に言って。」 そうしたところ、その女子生徒が授業後に職員室まで私に御礼を言うためやって来た。 「先生ありがとう。バイト等で本当に疲れていたんだ。でも先生が声を掛けてくれて元気になったよ!」  この女子生徒は後に私が出産退職後、我が家に“出産祝い”を持参して遠路はるばるやって来てくれた、との後日談もある。


 さて、少し古くなるが朝日新聞2016.9.10 別刷「be」“悩みのるつぼ” の相談は、30代 現役公立中学教師による 「保健室に通うやっかいな子」 だった。
 その内容を端折って説明するならば、この現役公立中学教師は自分のクラスの生徒が保健室通いをする事態を完全否定した挙句、「しょせんよその子」なる思想に陥り、自分にはかかわりのないこの子の事で悩んでも仕方ない。 それでもイライラさせられるのが許し難い。 とまでの結論に達しているようだ。

 まさに、教員失格者とはコイツのことだ。 何でこんな奴が教員になろうとしたのか!?! と私がイラついていたところ、社会学者であられる上野千鶴子氏が我が私論と同様の見解にて、この相談者を一蹴されている事実に胸がすく思いだ! 

 それでは、上野千鶴子氏による回答結論部分を以下に要約して紹介しよう。 
 担任教員と養護教員が、責任をなすりつけ合うのが今の学校なのかと暗澹たる思いだ。 これじゃ、生徒にも保護者にも信頼されそうにない。
 大事なのは「話せばわかる」ことではなく「聴いてあげること」。 子供は大人に聴かれていない。 私自身が学生から「センセイ、ボクの言うこと聴いていない」と言われドキンとしたことがある。
 問題の生徒さんは学校へ来ているのだから、引っ張り出す手間が要らない。 じっくり話を聴いてあげるべきだ。 手のかからない「普通の子」より、きっとやりがいを感じるだろう。
 (以上、“悩みのるつぼ” 上野千鶴子氏による回答より一部を要約引用したもの。)


 最後に、原左都子の私論に入ろう。

 現在の学校教育現場に於ける「保健室」の位置付けとは如何なるものなのだろう?
 既に我が娘が今年の春に大学を卒業している親の身としては、その情報に触れる機会もない。
 ただその娘から最後に聞いた情報によれば、「大学にての健診結果に保護者の立場でご意見がある場合、直接大学の保健室まで申し出て下されば対応する」なる文書が届けられたことを記憶している。

 ただもしも、現在尚特に小中高校現場に於いて「保健室」へ通う児童生徒が数多い実態であるとした場合、その対応を軽視しない対応力を、学校現場は整えるべきではなかろうか。

 その対応策として、例えば非常勤の元医学関係者を学校に配置する等、幾らでも対策が採れるはずだ。
 なのに何故、学校現場がその種の対応を採用しないのかに関しても、私は教員経験者として熟知している。
 要するに学校現場の頂点である “狭い空間内の「先生」の立場” として、自分達の“聖域”である教育現場との狭い世界内で、自らの命を繋いでいる実態を守りたいのであろう。
 そして数だけは多い教育者としてのプライドを保ちたい閉鎖空間で働いている教員達自身が、他分野から教育現場に踏み込まれ、その現実を見直すべく指南される事態を忌み嫌っているとの貧弱な理由により、自らの狭い世界を死守せんとしているのではあるまいか?? 

この記事についてブログを書く
« メダカ飼育歴8年、最後の一... | TOP | 高齢者医療漬け、適切な指導... »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 教育・学校