原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

メダカ飼育歴8年、最後の一匹が天寿全うしました

2016年09月24日 | 自己実現
 (写真は、2013年3月に公開した当時の我が家のメダカ飼育風景。)


 冒頭から、当エッセイ集 2013.3.6 バックナンバー 「原左都子のメダカ飼育実績がギネス級!??」より、現在までの我が家のメダカ飼育経歴を紹介しよう。 

 私がメダカを飼育し始めたのは未だ残暑厳しい9月初旬頃だったのは記憶にあるが、それが果たして何年前なのか、思い出せない程に我が家にメダカが存在する風景が板についている。
 先だっての3月1日、例年より相当遅ればせながら東京に春一番が吹いた暖かい日の翌朝、今春初の赤ちゃんメダカが2匹誕生した! (写真手前の小瓶の中で元気に生きています。)
 それを発見した私が家族に報告すると、何があっても絶対に私を褒めない身内が、「おーー。今年も産まれたか! 〇子(私のこと)のメダカ飼育力はギネスものだね!」 と讃え始めるではないか!
 身内ならずとも、確かに我が家を訪問した人達(親族、あるいはガス水道工事の方々にかかわりなく)が台所のカウンターの上で飼育されているメダカ一族を見ると例外なく驚いて下さる。  「これ、どうしたの!?」 「どうやって飼っているのですか?」 「何で瓶を小分けしているの???」  等々の質問攻めだ。
 ここで私がメダカを飼い始めた当初、当エッセイ集にて公開した 「生命体が共存する風景」 と題するバックナンバーを紹介しよう。   9月に入り子どもの夏休みが空けて昼間一人で過ごす時間が増えた私は、秋の訪れと共に何だか“生命体”が恋しい気分になり、近くのJA園芸センターで「クリームメダカ」(全身の色が淡いクリーム色のため、この名が付けられたと思われる)3匹を仕入れてきた。  係員氏の「育て方の詳細は私も知らないが、それが良かったら長生きすると思う。」との言葉を信じ、マイペットとして購入した。
 ところで、我が家では娘の誕生以降ずっと熱帯魚と金魚を飼育してきていた。  メダカ位の大きさのネオンテトラや、各種金魚に関しては私が育て親として長生きさせてきている実績がある。  エンゼルフィッシュ等の少し大きめの熱帯魚は飼育が難しく概して短命で、3匹に5000円程の高額をはたいたのに数日で全匹に死なれた時には、その出費と共に実に悲しかったものだ…
 上記熱帯魚及び金魚飼育経験がある私だから故に、今回JAで購入してきたクリームメダカに関しても、“女手ひとつで”育てていく自信はあった。   ところが、私が購入して来たクリームメダカを一見した生物物理学が専門の身内が、無常にも冷たく言い放つ… 「(メダカなど)1週間で死ぬよ」
 こうなったら、私も意地だ!  何とかメダカを生かし続けようとメダカの生態系を想像しつつ、水質やその適温や酸素量、エサの量等を試行錯誤しながら、我が“母なる愛情”を注ぐ日々である。  何はともあれ、身近に“生命体”のいる風景はやっぱりいいなあ~~ 
 生物体の飼育の基本原則に関しては、3年半経った後も変化がないことを自分が綴ったバックナンバーから実感させられる思いだ。   要するに、メダカの生態系を想像しつつ 基本事項である「水」「酸素」「温度」「栄養」を適度に維持することがまずは鉄則である。 ただし一旦“繁殖”を視野に入れた場合、飼育者が更なる努力を施さない事には今後の種の繁栄が成り立たないのは自明の理でもあろう。
 そこで原左都子が考案したのが、上記写真のごとくの 「メダカの大きさによるクラス別水槽飼育方式」 である。
 当初は「産まれ順によるクラス別」方式を導入していた。 ところがメダカの発育も生命体の例外ではなく、(特に雌の)体が大きい程産卵数が多いとの我が観察結果となった。 そこで採用したのが上記の「体の大きさ別クラス分け方式」だった。  2年目夏には「近親交配」を避けるためDNA異種メダカを3匹混合した後には、育て親である私自身がどの母体の子メダカがいつ誕生したのかも判別が困難なまま、この「大きさ別クラス分け方式」に頼り現在に至っている。  
 そうは言いつつ我が家のメダカ飼育空間の制限もあった。 DNA異種メダカの追加により60匹近くまで繁殖した一昨年夏には、これ以上増殖されては我が家及び私の飼育力が限界に達するであろう事態も身勝手ながら想像した。   そこで私が取った対策とは、今までのように雌メダカが産んだ卵を別瓶に仕分けする作業をあえて“サボる”事だった。  水槽内でそのまま放置しておくと、親メダカが自ら産んだ卵を狭い飼育空間内で自分で食するとの底辺脊椎動物の生理も重々学習済みである。 そんな厳しい水槽環境内で産卵された卵の中でこの世に生命を繋げない個体には、実に申し訳ないが親のエサになってもらうことも宿命かと判断するしかない。
 そんなこんなで、現在我が家に生息しているメダカの総数は私が判断する適正数である40数匹に保っている。  ギネス登録レベルは敢えて放棄して、その適正数をわきまえながら原左都子一家が自宅で愛でる事を目的に今後もメダカを飼育し続けよう!
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用。)


 メダカ飼育歴のその後を以下に記そう。

 我がメダカ飼育歴に於いて、大きな打撃事件に2度遭遇している。

 その1度目は、2011年3月に勃発した「東日本大震災」だ。

 (我が記憶によると)3月14日に福島原発メルトダウンにより漏出した大量の放射能が3月16日に東京まで届き、東京の上水道貯蔵施設の水道水がその放射能に汚染されるとの被害を受けた。(当時の報道ではその詳細情報が不明あるいは隠ぺいされていた)が、数年経過した後にその水道水汚染被害が深刻だったことが判明しようやく公開された。
 我が家のメダカはずっと水道水を利用して飼育している。 ちょうど原発事故による水道水汚染の直後頃より動きが異様になったり鈍くなるメダカが増え始め、3月末頃に一匹が死に至った後、夏頃までにかけて8匹のメダカが次々と死亡した。 
 この事態を“放射能の影響”と結論付けた私は、その旨バックナンバーに公開したところ、反論等の世の論議を呼んだ。 ただ、私自身はそれまでのメダカ飼育実績から推測してやはり突発的外的要因が大きく、その外的要因とは“放射能汚染”以外に考えられないと結論付けている。

 そして、2度目の打撃とは。

 結論から言うと、これぞ飼育者である私の重過失による事件だ。

 その日ちょうど、水道管工事のために午前中断水が予定されていた。
 ところがこれが運悪く、3日に一度のメダカ水槽水交換日と重なった。 ならば翌日にその作業を持ち越せばよかったものの、自分のスケジュールの都合で私は水交換を開始してしまった。 いつもの断水なら午前中との記述があってもほんの数分間で水が出始めるのに、その時に限って何時間待っても水道水が出ない。 既に一番大きいメダカを入れている水槽の水を廃棄してしまっている。 イラついていた私は、断水が終わると同時に濁った水をその水槽に入れてしまったのだ。
 濁り水に大打撃を受けたメダカが1匹、2匹と死んでいく。 焦った私はすぐさま小さいメダカの瓶に残ったメダカを移し替えたのだが、時既に遅しだったようだ。
 その後、上記放射能汚染同様に濁り水汚染の影響を受けたメダカ達は次々と死を遂げた……
 不運だったのは、濁り水の打撃を受けたメダカの中に、“女王メダカ”が存在したことだ。
 上記バックナンバーでも記しているが、結局体が桁外れに特別大きい(原左都子名付けて)“女王メダカ”が産んだ卵から孵化したメダカこそが次世代を繋いでいるとの我が観測による推論が当たっていると判断した。
 残されたメスメダカが産卵して一応孵化もするものの、どうしても成魚となるまで成長せずして死に至るのだ。

 その後私は我が上記重過失によるメダカ飼育の大いなる失敗をもって、自身のメダカ飼育力の無さを思い知った。
 と同時に、義母及び実母の高齢化に伴う介護保証人責任を負う立場となり、今後しばらくの自分の生き様に於いて何を優先するべきかを問い直した。
 メダカ飼育に関しても、今後は産卵・孵化は一切諦め、残されたメダカの天寿全う責任を果たす事にきっぱりと飼育目的を切り替えた。

 2年前程の事だろうか、残り2匹となった時点で私は2匹ともメスであることに気付いた。  私はこの2匹のメスメダカの残りの人生を見定めようと覚悟を決め、水交換を5,6日に一回に減らし、餌の量も極力少量にした。
 先月8月の台北旅行から帰宅した時だっただろうか。 一匹の大きい方のメスメダカが既に餌を食べなくなっていた。 その後、しばらくして昇天した。 

 そしてついに昨日の朝、最後の最後まで残された少し体が小さめだったメスメダカが、水槽の中で(我が推測でおそらく数年の)天寿を全うしているのを発見した…… 

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