ここのところ「原左都子エッセイ集」に於いて、「遺言」 「相続」 「所有権」関係の記事が続いている。
何分6月末に義理姉が死去した関係で、現在一族間の財産再整理と所有権移転処理中につき、我が頭の中がそのテーマで占領されている事をお許しいただきたい。
昨日も有料老人支援施設に入居している義理母の付き添いとして、「遺言書」書換処理のため再び公証役場へ出向いた。
その際公証人氏との雑談の中で、「遺言」とは何度書き直そうが自由との話題が出た。
確かにその通りであろう。 今回の義理姉のように「遺言」中の相続人が先に死去した場合、当然ながら書き直し作業が必要となる。 あるいは「遺言」内容に異議申し立てをしたい相続人が発生し、それに相続元である本人が応じるような場合も書換えが行われる可能性がある。
ただ相続元である本人の意思が確固としたものでなければ相続人の中に異議申し立て者が多発し、幾度書き直しをしても不安定感・不確実性の強い遺言書となろう。 これでは公証人を通して遺言書を作成する意味あいが薄い。
ところが現実問題として、「遺言」書を作成する本人とは高齢者が大多数と考えられる。 認知症等の関係で高齢者本人の意向よりも、当該高齢者を身近で補佐する相続人の意向が優先される遺言書内容に傾く事例も多いのではなかろうか。
等々…。 「相続」とは実に難儀なテーマである事が身に滲みるような昨日の公証役場訪問だった。
本エッセイ集前回の記事内で、義理姉の相続人である息子氏の実態に関して少し記述した。 以下にその部分のみを反復させていただこう。
つい先だって63歳の若さで他界した義理姉の息子が、生前贈与の形で義理姉の不動産を引き継ぐ事になった。 ところが正直なところ、「不動産取得税」はおろか「固定資産税」の存在すら知らない軟弱者なのだ。 親たるもの死ぬ前に息子にその辺の教育を施してから生前贈与せよ!と言いたいところだが、壮絶な闘病の後死に至った死人に文句が言えるはずもない。 現在残された遺族間でその教育に関して難儀中との、何とも恥ずかしい実態だ…… (以上、前回記事より一部を引用)
この息子氏、上記生前贈与財産に加えて他の不動産物件の相続人でもある。 何分義理姉の死が早過ぎたため、一人息子である氏がその財産を若くしてすべて引き継ぐのはやむを得ないとして、今回の相続が息子氏にとって吉と出るのか凶と出るのか、あくまでも他人事ながら気をもむ私だ。
と言うのも、突然転がり込んだ財産がその知識無き人の人生を歪める事例がこの世にごまんと存在する故である。
折りしも朝日新聞6月29日付別刷「be」“between”のテーマが、「子どもに財産を残したいですか?」 だった。
早速読者の回答を紹介すると、「はい」が57%、 「いいえ」が43% と、やや「はい」が優勢といったところだ。
「はい」派の言い分を紹介すると、「子どもの幸せに役立つ」「親としての義務」「自分も受け継いだ」「他人には渡したくない」「家名や家業を守る」 と続く…
片や、「いいえ」派の言い分は、 「残す財産がない」「子や相続させたい者がいない」「子どものためにならない」「相続問題を起こしたくない」…
なるほど、なるほど。
ここで原左都子の私事に入ろう。
私自身は条件付で「はい」派である。
何故「条件付」かについて説明すると、何分我が子は多少の事情を抱えてこの世に誕生している。 特に我が子幼少の頃は、私の死後にこの子がこの世で命を繋げるべく財産を残す事も親である自分の責任範囲と深刻に考えていた。 それにしても大した財産もない庶民の身で如何なる手段で我が子に財産を残すのか、途方に暮れた時期もある。 とにかく若い頃より「貯蓄」が趣味の私は、我が子のためにちまちまとお金を貯える手段しか思い浮かばなかった。 何分「お抱え家庭教師」の立場の私は、まとまった労働収入を得るべく時間すらない。
両方の親族より毎年賜る我が子への(少なからずの)「お年玉」や各種お祝い金等を陰で貯蓄しつつ、我が子に対する金銭経済感覚教育も日々欠かさない私だ。
「人間が生活するためには『お金』が必要。 それは天から降って沸いてくるものではなく、自分で努力して稼ぐものだ。 あなたも将来大人になったら、自立して自分で生活するお金は自分で稼ぐ事になるんだよ。 そのために今から勉強を頑張っておこうね。」
この言葉を言い聞かせてきた鬼母の私である。
「持って生まれた美人度を有効活用して“いい男”をゲットしろ!」などとは口が裂けても教育していないぞ! アホな男に騙されて、せっかく私が貯めた微々たる預貯金をせびられてどうする?!?
(母親として少しばかりその教育が過ぎたところがあることを反省材料としつつも)、我が子は「お抱え家庭教師」である私の指導通り、着実に自立への道を歩んでくれている。 大学2年生の現在、資格試験合格をターゲットしとして大学の学問に真面目に励む日々だ。
上記朝日新聞記事の最後に、「相続」に関する専門家氏よりのアドバイスが記されている。 それを紹介しよう。
相続に関するトラブル回避の最善策は「遺言を残す」事だ。 その際に、何故そういう分け方をするのか、その理由や自分の気持ちをなるべく詳細に書き残す事に加え、親である自分が残りの人生を如何に生きたいのかに関する自分の「取り分」も含めて考えるべき、とアドバイスされている。
おそらく上記専門家氏とは、相続元の親自体がある程度若い世代である事を想定しておられると推測する。 ところが、その後一族の相続関係が変化する事も多いにある得るのは冒頭で示した通りだ。
結局「相続」問題とは各家庭により様々であり、実に困難な課題である事には間違いない。
今回義理姉の死去によりそれを実感させられている現状の私である。
そうだとしても、私は今後も引き続き我が娘に「自立」こそが今後の生きる道である旨を教育し続る意向である。
先祖の残した財産を巡って親族間でくだらない争いバトルを繰り広げるよりも、自分がこの世で生き抜くべく財産は自らの能力と実力で培わねばならない事を学んで欲しいものだ。
人の財産の“おこぼれ”を狭い親族間で争うより、自らが稼いだ少しばかりのカネで自由にこの世を生き延びる方がよほど面白い事間違いない。
何分6月末に義理姉が死去した関係で、現在一族間の財産再整理と所有権移転処理中につき、我が頭の中がそのテーマで占領されている事をお許しいただきたい。
昨日も有料老人支援施設に入居している義理母の付き添いとして、「遺言書」書換処理のため再び公証役場へ出向いた。
その際公証人氏との雑談の中で、「遺言」とは何度書き直そうが自由との話題が出た。
確かにその通りであろう。 今回の義理姉のように「遺言」中の相続人が先に死去した場合、当然ながら書き直し作業が必要となる。 あるいは「遺言」内容に異議申し立てをしたい相続人が発生し、それに相続元である本人が応じるような場合も書換えが行われる可能性がある。
ただ相続元である本人の意思が確固としたものでなければ相続人の中に異議申し立て者が多発し、幾度書き直しをしても不安定感・不確実性の強い遺言書となろう。 これでは公証人を通して遺言書を作成する意味あいが薄い。
ところが現実問題として、「遺言」書を作成する本人とは高齢者が大多数と考えられる。 認知症等の関係で高齢者本人の意向よりも、当該高齢者を身近で補佐する相続人の意向が優先される遺言書内容に傾く事例も多いのではなかろうか。
等々…。 「相続」とは実に難儀なテーマである事が身に滲みるような昨日の公証役場訪問だった。
本エッセイ集前回の記事内で、義理姉の相続人である息子氏の実態に関して少し記述した。 以下にその部分のみを反復させていただこう。
つい先だって63歳の若さで他界した義理姉の息子が、生前贈与の形で義理姉の不動産を引き継ぐ事になった。 ところが正直なところ、「不動産取得税」はおろか「固定資産税」の存在すら知らない軟弱者なのだ。 親たるもの死ぬ前に息子にその辺の教育を施してから生前贈与せよ!と言いたいところだが、壮絶な闘病の後死に至った死人に文句が言えるはずもない。 現在残された遺族間でその教育に関して難儀中との、何とも恥ずかしい実態だ…… (以上、前回記事より一部を引用)
この息子氏、上記生前贈与財産に加えて他の不動産物件の相続人でもある。 何分義理姉の死が早過ぎたため、一人息子である氏がその財産を若くしてすべて引き継ぐのはやむを得ないとして、今回の相続が息子氏にとって吉と出るのか凶と出るのか、あくまでも他人事ながら気をもむ私だ。
と言うのも、突然転がり込んだ財産がその知識無き人の人生を歪める事例がこの世にごまんと存在する故である。
折りしも朝日新聞6月29日付別刷「be」“between”のテーマが、「子どもに財産を残したいですか?」 だった。
早速読者の回答を紹介すると、「はい」が57%、 「いいえ」が43% と、やや「はい」が優勢といったところだ。
「はい」派の言い分を紹介すると、「子どもの幸せに役立つ」「親としての義務」「自分も受け継いだ」「他人には渡したくない」「家名や家業を守る」 と続く…
片や、「いいえ」派の言い分は、 「残す財産がない」「子や相続させたい者がいない」「子どものためにならない」「相続問題を起こしたくない」…
なるほど、なるほど。
ここで原左都子の私事に入ろう。
私自身は条件付で「はい」派である。
何故「条件付」かについて説明すると、何分我が子は多少の事情を抱えてこの世に誕生している。 特に我が子幼少の頃は、私の死後にこの子がこの世で命を繋げるべく財産を残す事も親である自分の責任範囲と深刻に考えていた。 それにしても大した財産もない庶民の身で如何なる手段で我が子に財産を残すのか、途方に暮れた時期もある。 とにかく若い頃より「貯蓄」が趣味の私は、我が子のためにちまちまとお金を貯える手段しか思い浮かばなかった。 何分「お抱え家庭教師」の立場の私は、まとまった労働収入を得るべく時間すらない。
両方の親族より毎年賜る我が子への(少なからずの)「お年玉」や各種お祝い金等を陰で貯蓄しつつ、我が子に対する金銭経済感覚教育も日々欠かさない私だ。
「人間が生活するためには『お金』が必要。 それは天から降って沸いてくるものではなく、自分で努力して稼ぐものだ。 あなたも将来大人になったら、自立して自分で生活するお金は自分で稼ぐ事になるんだよ。 そのために今から勉強を頑張っておこうね。」
この言葉を言い聞かせてきた鬼母の私である。
「持って生まれた美人度を有効活用して“いい男”をゲットしろ!」などとは口が裂けても教育していないぞ! アホな男に騙されて、せっかく私が貯めた微々たる預貯金をせびられてどうする?!?
(母親として少しばかりその教育が過ぎたところがあることを反省材料としつつも)、我が子は「お抱え家庭教師」である私の指導通り、着実に自立への道を歩んでくれている。 大学2年生の現在、資格試験合格をターゲットしとして大学の学問に真面目に励む日々だ。
上記朝日新聞記事の最後に、「相続」に関する専門家氏よりのアドバイスが記されている。 それを紹介しよう。
相続に関するトラブル回避の最善策は「遺言を残す」事だ。 その際に、何故そういう分け方をするのか、その理由や自分の気持ちをなるべく詳細に書き残す事に加え、親である自分が残りの人生を如何に生きたいのかに関する自分の「取り分」も含めて考えるべき、とアドバイスされている。
おそらく上記専門家氏とは、相続元の親自体がある程度若い世代である事を想定しておられると推測する。 ところが、その後一族の相続関係が変化する事も多いにある得るのは冒頭で示した通りだ。
結局「相続」問題とは各家庭により様々であり、実に困難な課題である事には間違いない。
今回義理姉の死去によりそれを実感させられている現状の私である。
そうだとしても、私は今後も引き続き我が娘に「自立」こそが今後の生きる道である旨を教育し続る意向である。
先祖の残した財産を巡って親族間でくだらない争いバトルを繰り広げるよりも、自分がこの世で生き抜くべく財産は自らの能力と実力で培わねばならない事を学んで欲しいものだ。
人の財産の“おこぼれ”を狭い親族間で争うより、自らが稼いだ少しばかりのカネで自由にこの世を生き延びる方がよほど面白い事間違いない。