原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「ねじれ国会解消」と言うけれど…

2013年07月22日 | 時事論評
 私は「原左都子エッセイ集」に於いて、2010年7月に実施された第22回参院選直後に 「国会はねじれてていいんじゃないの?」 なるバックナンバーを綴り公開している。


 早いものであれから3年の年月が流れ、 昨日7月21日、第23回参議院選挙の投票が実施され即日開票された。(一部開票が遅れた自治体もあるようだが。)

 その結果は皆さんも既にご存知の通り、与党である自民・公明両党が非改選議席も合わせて過半数を獲得し、国会の「ねじれ」が3年ぶりに解消される事となった。

 自民党安倍首相は今回の参院選勝利を受け、昨夜開口一番「ねじれが解消された。これからの自民党はこれまでの経済政策をしっかりと実感のあるものにしてほしいとの、国民の声に応えていかなければならない」とテレビ番組を通して述べたようだ。
 昨年12月の衆院選で民主党から政権を奪回した安倍政権が、衆参で多数派が異なる「ねじれ」の解消により、これまでの「決められない政治」と決別して、消費税率引き上げや環太平洋連携協定(TPP)交渉参加、憲法改正といった国論を二分する重要課題をどう舵取りしていくかが注目される。 
 (以上、ネット情報も参照しつつ記述)


 今回の参院選に際して、メディア情報は上記「ねじれ解消」を殊更取り上げていた印象がある。
 安倍政権自体も当初より、国会の「ねじれ解消」こそが自民・公明与党の真のスタートラインであることを強調し続けていた。 アベノミクス経済政策をはじめとして、消費税引き上げ、TPP交渉参加、憲法改正等々、の重要法案を今後野党の反対をもろともせず成立させていく魂胆のようだ。

 
 ここで、原左都子の私論に移ろう。

 国会のねじれ現象が、それ程までに“諸悪の根源”だとは私は決して思わない。
 単に与党政権が自分達に都合の良い政策に関連する諸法案を、国会で好き放題通過させる事が出来ない故に困惑するだけの状態でしかない。
 ちょっと待って欲しい。 私は基本的に「憲法改正」にも「消費税増税」にも「原発再稼働」にも絶対反対だ。 自民党の中韓外交政策に関しても受け入れ難きものがあるし、アベノミクスに関しては当初から疑義を抱いている立場だ。 故に、今後も各政策に関して私と思想が一致する野党には、是非共自民公明与党政策法案成立打倒に向けて反対議論を白熱させて欲しいのだ。
 
 もちろん、自民支持派にとっては「ねじれ国会解消」こそが理想像だったのであろう。 そして国政選挙を経て自民与党が支持されたならば、国民皆が与党政策に従うべき、との論理である事も理解は出来ている。

 ただ、現実を見てみよう。
 今回の参議院選挙の場合、最終投票率は52、61%。 これは戦後3番目の低さだったらしい。
 しかも、自民・公明党とは昔から産業界や宗教団体の“組織票”に支えられているのが現実ではなかろうか?  要するに、お上からの「自民党・公明党」に票を入れよ!との指示に従っての組織所属弱者の投票行動でしかない。
 もちろん、国民個人の判断で自主的に自民党を支持した選挙民も存在するであろう。 ところがその行動の背景とは、自民党政権政策を重々吟味した訳ではなく、「なんだかよさそう」とのニュアンスが否めないような感覚すらある。
 実際問題、選挙戦に際して何処の政党及び候補者も、その種の国民の“弱み”に訴えるしかないのが現実だ。
 結局、今回与党が過半数を取ったとは言え、その数字上の名目支持率は全国民の1/4程度、実質支持率はそれよりもずっと下回る事が明白だ。 逆の立場から考察すると、(私も含め)今回自民与党政権を実質支持しなかった選挙民こそが国民の大多数であるという事実である。


 それだからこそ、原左都子は思うのだ。
 国会などねじれていた方が健全かと。

 本エッセイの最後に、冒頭で紹介した我がバックナンバー「国会はねじれてていいんじゃないの?」 の一部を以下に要約して紹介しよう。

 国政選挙などというものは、選挙対策や直前のわずかの期間の選挙運動のみで勝てるものでは到底あってはならないはずである。
 昨夏(2009年)の衆院選において国民から奇跡的とも言える大量得票を得た民主党は、真っ先にその大量得票の“根拠”を分析するべきだった。 なのに民主党はその大量得票に有頂天になり国民の真意の分析を怠り続け、その後国政運営を国民の“バブル期待”のみにすがってしまった。 後に党首をすげかえ菅政権となった後、菅氏は国政において何の実績も国民に提示しないまま参院選に突入した。 就任直後菅総理は消費税10%を国民に言及した訳だ。 当時の参院選における敗北の要因に関して菅氏が“自らの消費税に対する言及”だと釈明している事実自体に、表立っての一政策に左右され投票行動に出る多くの国民の“浅はかさ”を思い知らされる思いだ。
 ところで、私論は今回の「ねじれ国会」を歓迎している。 国会において二院制をとっている先進国自体が多くないようであるし、また今後我が国においても国会議員の定数削減と平行してこの二院制自体が議論されることであろう。  一般市民には想像もつかない高額の歳費特権を享受している国会議員の定数削減を早期に実施して欲しい思いは、私とて強靭なものがある。 
 今尚二院制を採用している国において「ねじれ国会」とはある意味で理想型であるようにすら私には思えるのだ。  国会とは国政における最高最大の議論の場であり、そこで各党がとことん話し合った結果を現状で切磋琢磨しつつ国政を実行していくことこそが国の理想像であろう。
 「ねじれ国会」こそが今後の我が国の革新力となり得るのかもしれない!
 (以上、「原左都子エッセイ集」2010年7月バックナンバーより引用)


 日本国家が「選挙制度」を法律上採用している以上、理屈上は選挙に行かない国民こそが一番の悪者かもしれない。

 ただ正直に言うと、「この政党を“全面的に”信頼したい」と思えた事が今までの我が選挙民人生において、この原左都子とてただの一度もない。
 政策の一部にのみ妥協してでも選挙権を行使するか、「棄権」との選択肢を選ぶか、常に我が内心はそのせめぎあいである。

 国を操ろうと志す人材を真に育成して欲しい思いだが、現在の我が国の教育力の貧弱さにも辟易とさせられ続けている。
 結局は、世襲や本人の単なる“勘違い”で国政選挙に立候補した輩に、嫌でも投票せざるを得ないのが現在の我が国の選挙制度の実態だ。

 そうだとすると、むしろ国会とは「ねじれ」ていてこそ、今後我が国が真なる民主主義を貫くための理想像と考えるのが揺ぎ無い我が私論である。
 ついでに言うと、自公与党は組織票のみに依存している故に今後のその生命が脆いとも聞く。 
 この国は今後一体いつの日に、日の目を見る事ができるのか??