原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「所有権は義務を伴う」 教育を庶民にも施すべき

2013年07月15日 | 時事論評
 貧乏だから何をしても許される訳など、あるはずがない。

 ところが、(今となっては一時の幻の時代と化した)前民主党政権が「カネのバラ撒き政策」により庶民より大量票を集め政権交代した頃から、貧乏人が大手を振ってこの世を渡ることが良い意味でも悪い意味でも普通の現象となったような感覚がある。

 いやもちろん、人間は皆法の下に平等であることは日本国憲法でも保障されている。
 ( 憲法第14条 
 1.すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。 )

 そして参考のため原左都子自身も当然ながら「庶民」の一員であることに関しては、バックナンバーで幾度となく記述している。
     

 さて、皆さんの記憶にも新しい事と思うが、去る7月12日に兵庫県宝塚市役所において役所を訪れた男が、市税収納課のカウンター内に火炎瓶を投げつけ火災が発生するとの事件が勃発した。
 幸い死者は出なかったようだが、当時市役所を訪れていた市民や市職員は黒煙の中逃げ惑い、男女5名が怪我をしたようだ。
 宝塚署の取調べによると、現行犯逮捕された63歳無職男性は税金の滞納について職員と話をしている途中で激高し、火をつけた瓶をカウンター内に2本投げつけたらしい。 しかも容疑者男性の言い分とは、「腹が立ってやった。 マンションの固定資産税を滞納して督促状が何度も届いたので文句を言いに行った。」  市職員に対しては、「おまえらが差し押さえするからこうなったんや。俺の人生めちゃくちゃや。俺の答えはこれや」と言い、瓶を投げたという。
 (以上、朝日新聞7月12日夕刊一面記事より一部を引用。)

 ここで一旦、原左都子の私論に入ろう。
 「めちゃくちゃなのは現行犯逮捕されたあんたやろ!」 と言いたいところだが、この世の中、ここまでの犯罪行為に至らずとて、“税金に関して無知”かつ“金欠病”等“似たもの人種”が少なからず存在するのが辛いところだ。


 私事の一例を示そう。
 我が子が小学生の頃の話だが、子どもの習い事教室の場で同級生の一家庭が不動産物件を購入したようだ。 子どもの母親氏がそれはそれは嬉しそうに、習い事に通わせている母親連中の皆にそれを告げる。  当時我が家も新居3度目の買替不動産物件を購入したばかりのタイミングだった。 「偶然ですね。我が家も住居を買い換え転居したばかりです。」と一言返すと、「場所は何処?」「どんな物件?」矢継ぎ早に母親連中から質問が出る。  (言わなきゃよかった…と反省しつつ)プライバシーの問題が大きいため新居の“場所”のみ返答し、後は何とかごまかした。
 そのすぐ後に、上記不動産物件を購入した母親から我が家に切羽詰った電話があった。(当時は習い事教室内で連絡網を作成している時代背景だったため、我が家の電話番号をそこから知ったようだ。) 母親氏曰く、「不動産を購入すると『不動産取得税』とやらを支払わねばならないの? その他にもいろいろ必要費用負担があるようで、今になって不動産会社からその多額の請求書が届き困惑している。 貴方はこの費用負担をどうしたの??」
 我が家の場合3度に渡る不動産買い替え以前に、独身時代に既に不動産物件購入経験済の私としては、その無知なる質問こそに驚かされたものだ。  それでも、ある程度懇切丁寧に対応して差し上げた。  現在は不動産購入に当たり発生する諸経費ローンも組めると思うから、とにかく不動産会社に相談しては如何かと。

 もう一例、私事を述べよう。
 つい先だって63歳の若さで他界した義理姉の息子が、生前贈与の形で義理姉の不動産を引き継ぐ事になった。 ところが正直なところ、こちらも「不動産取得税」はおろか、「固定資産税」の存在すら知らない軟弱者なのだ。  親たるもの死ぬ前に息子にその辺の教育を施してから生前贈与せよ!と言いたいところだが、壮絶な闘病の後死に至った死人に文句が言えるはずもない。 現在残された遺族間でその教育に関して難儀中との、何とも恥ずかしい実態だ……


 「所有権は義務を伴う」 
 この文言を世界で初めて明文化したのは、ドイツのワイマール憲法だ。
 
 これに関して「原左都子エッセイ集」2007年12月バックナンバー 「近代市民法の三原則とその修正シリーズ」より、以下に少し復習させていただこう。
  
 所有権絶対の原則とその修正
   所有権絶対の原則とは
    近代市民法の根本理念 = “自由と平等” であるならば、
    個人が自由な意思で、平等な地位において手に入れた財産権、特に
    その代表的な所有権は何人によっても侵害されない、という原則
                ↓
    この財産権をどのように行使しようが、これまた自由
               = “権利行使自由の原則”
    権利を行使する過程において他人に損害を与えようと、法に触れない
    範囲内でならば責任は問われない。

    資本主義経済の高度発展は、この原則に負うところが大きい。

   しかし…
    資本主義の発展 → 貧富の格差の拡大
     一握りの独占企業がみずからの財産権を行使することにより
     他人に損害を与えてもよいのか?多くの人が不幸になってもよいのか?
       例: 公害問題、現在多発中の賞味期限偽造問題、etc…

    20世紀に入ってから、この基本原理に歯止めがかかった。
     「公共の福祉」 = 社会全体の共同の幸福  の思想の導入
       この枠を超える権利の行使は 「権利の濫用」となる。

        ワイマール憲法153条3項「所有権は義務を伴う」
         (「公共の福祉」を世界に先駆けて明文化した。)


 「所有権は義務を伴う」との上記ワイマール憲法条文は、あくまでも大規模企業等“経済的強者”に対する歯止めの意味合いでの規定である。

 現世においては、所有権を取得した“経済的弱者”に対してもまったく別の観点から「所有権は義務を伴う」教育を施すべきでないかと私は感じるのだ。

 そもそも商業主義を前面に出し、不動産を購入したい消費者誰をもターゲットとして物件を売りつける販売者側の企業理念にも大いなる瑕疵があろう。
 現在では多少の行政指導が行われている様子で、少なくとも「ローン審査」に関しては厳しい難関を設けている様子だ。 ただこれに関しても、私に言わせてもらうと杓子定規感が否めない。
 不動産購入時に発生する「諸経費」に関して一応の説明はあるようだが、むしろ現在では「諸経費ローン」が組めることを売りにする逆転商法がまかり通っている現状ではなかろうか?
 この現状では、一時少しばかりの小金を持つ庶民が易々と不動産購入が可能となろう。さてその後どうなるのだろう。

 人間とは知識こそが身を助けるものだ。
 ここは行政側が庶民に対し、「所有権は義務を伴う」教育をもう少し前向きに実施してはどうなのか。  固定資産税を支払えなくなった庶民相手に機械的に督促状を送り続けるとの手段ではなく、“経済的弱者”である庶民の立場に親身に立って、早めに「所有権は義務を伴う」教育に乗り出す事で、最低限今回のような市庁舎放火事件が防げるような気が私はするのだが…
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