中3の春、私は父母そして姉と共に転居をした。
それまで我々一家は祖父母と同居していたのだが、父と祖父が不仲で、事ある毎に二人が歪み合うのに幼き心を痛めてきた。
母もフルタイムの仕事を持っている共働き家庭だったため、幼稚園の頃より我々姉妹は昼間祖母の世話になっていた。
中2の冬、父と祖父が大喧嘩をした記憶が真新しい頃に、父母から転居をする意向を告げられた。 「新しい家を建てて、家族4人でこの家を出て行く事になる。」
ところが新築の家が出来上がるまで待つ余裕がない程、父と祖父の関係は険悪だったようだ。 新居の完成を待たずして、我々一家は一旦アパートを借りて引っ越す事になった。
姉は既に高校生、私も春から中3。 おそらく親達は、今後は祖母の世話にならずとも二人共もう大丈夫、と判断したのでもあろう。
私は中3の秋まで中学校のブラスバンド部で活躍した。 その活動のため学校からの帰宅時間が大抵は親よりも遅く、家の合鍵を持たずに過ごしてきた。
秋の文化祭の舞台を最後に中3ブラスバンド部員には学校から「引退」勧告が下る。 早春の高校受験に備えるためだ。
その頃より受験補習のない日等、たまに下校時間が親より早い日がぼつぼつと出現するようになった。
秋も終わりに近いある日、親の帰宅時間より早い時間帯に下校した私だが、あいにく家の合鍵を持ち合わせていない。
玄関前で親の帰りを待って当てどもなくウロウロするより、既に肌寒い時期でもあるし、西日が当たる裏の勝手口近辺で受験勉強でもしながら時間を過ごそうと考えた。 勝手口の直ぐ前には畑が広がっていて人目にも付かない。
案の定、裏の勝手口は晩秋の西日の日差しがポカポカと心地よい。
台所前の外壁にもたれ掛かって座り、通学鞄から教科書を取り出したその時だ。
裏の畑から見知らぬ野良猫が顔を出し、私の方を見ている。
体の大きさから判断して既に大人、(記憶によれば)無彩色、おそらく白地に少し黒模様のあるメス猫と私は直感した。 何故メスと判断したかと言うと、私を見るその眼差しが柔らかかったためだ。
その猫にこちらから言葉をかけた記憶はない。 おそらく同じような柔らかい眼差しで見つめ返していると、猫は私の方へ近づいてきた。
何をねだるでもない。 その猫が「ニャー」とないた記憶すらない。
どうも、静かで落ちついたタイプのよく似た二人(正しく言うと“一人と一匹”)である。
(あっ、そうだ。 鞄の中に給食の残りのパンがある。 これをこの猫ちゃんは食べるだろうか?) などと思いながら私はそのパンを取り出して自分から一口食べてみた。 そうしたところ猫ちゃんがその様子を興味深そうに見ているため、一口あげてみると美味しそうに食べてくれた!
それがとても嬉しくて、また一口私が食べた後猫ちゃんに一口あげると、また美味しそうに食べてくれる。 それを繰り返して、給食のパンはなくなった。 お利口さんの猫ちゃんはすぐさまパンが全部なくなった事を理解したようだ。
「もう畑に帰るのかな?」と思ったところ、猫ちゃんは壁にもたれて座っている私の膝にちょこんと座り、気持ち良さそうにしてくれる。 昔家で祖母が猫を飼っていた経験がある私は、猫の顎を撫でてやると気持ちいいことを知っていた。 それを実行してやると、猫ちゃんはグルグル……… と喉から音声を発しながら少し眠りについたようだ。
どれ程の時間が経過しただろうか、我が親が表玄関の鍵を開ける音が聞こえた。
それに反応した私と同時に、膝の上の猫ちゃんの体もピクリと反応しすぐさま私の膝から飛び降りた。 そして畑に戻る道すがら、お互いに何度も何度もその姿を見返しつつその日の(似たもの同士の)出会いは終わった。
あの猫ちゃん、今度私が早く下校した時にも会いに来てくれるだろうか…
なる期待感と共に、私はその後も親には「裏口で勉強しながら待ってるから」と言って、合鍵を作ってもらうことを嘆願しなかった。
そうしたところ、確かに猫ちゃんは必ずや来てくれるではないか!!!
ある時は給食パンの残りが多く、ある時は少なかった。 それにもかかわらず、まずは私がパンを一口、猫ちゃんが一口を繰り返し、そしてその後私の膝の上でグルグル…… その法則と習慣は何ら変化せず、私と猫ちゃんとの勝手口での“秘密の関係”は続いた。
時は流れ、その後私は県内有数の名門校受験に合格し、遠距離通学の高校生となった。
申し訳ない事に、その頃には既に猫ちゃんの存在すら忘れ、新たな高校生活の環境下で勉学に励む日々だった。
もう既に夏の日差しが照りつける頃であろうか。
ある日私が高校から下校した時の事だ。
西日が当たる台所の隣に位置する自分の部屋に入り、勉強机の引き出しを開けた途端 「ギャーーーー!!!」 なるドデカい叫び声を上げた私だ。
既に帰宅していた両親こそが驚いた。 何故ならば、普段私がこんな大声を出す機会が皆無だからだ。
「何かあったか!?」との両親の問いかけに、 「なんか分からないが、私の引き出しの中に動く物体がある!!!」
私の引き出しの中身を一見した父の回答こそに驚いた。
「これは猫の赤ちゃんだよ」
その時開けていた我が部屋の西側の窓の外に、昨年の秋冬に私と給食のパンを分け合ったあの利口なメス猫ちゃんがいるのを発見し、さらに仰天した!
この時、初めて父に伝えた。
窓の外から見ている猫ちゃんと私は昨秋から冬にかけて一時仲良しで、給食のパンを分け合った事実を。
それを聞いて父が言うには、「窓の外の猫こそがこの生まれたての赤ちゃん猫達の母親に間違いない。 動物の母親とは自分が産んだ子どもを“一番安全な場所”に置きたい習性があるものだ。 きっと、○子(私のこと)と赤ちゃんの母親猫は十分な信頼関係が築けていたからこそ、○子の机の引出しに生まれたての赤ちゃん猫を運んだのだろう。」 「それにしても我々はもうすぐ転居するし、2匹の赤ちゃん猫は母猫の生息地の裏の畑に帰してあげよう。」
父の意見に同意し、我々は母猫が私の机の引出しに運び込んだ赤ちゃん猫2匹を裏の畑に運び返した。
その成り行きすべてを親猫である我が友のメス猫ちゃんは、寂しい目をしてずっと見ていた…。
その後、高1の夏休み中に一家4人で新築住居へ引っ越した。
せっかく“信頼関係”を築いたお利口さんの母猫ちゃんを裏切った思いの後を引いていた私も、転居後すぐさまその事実を忘れ去る事と相成る……
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本日「原左都子エッセイ集」に於いて上記物語を綴らせていただいたきっかけとは、昨夜(7月19日)テレビにて放映された、2002年宮崎駿氏企画の映画 「猫の恩返し」 を観た事による。
上記映画とは、主人公が昔空腹の子猫にエサを与えた事に対する、猫よりの「恩返し」を趣旨とした物語であったようだ。
私の場合まったく逆で、昔給食の残りパンを通して信頼関係を築いた母猫の“切実な思い”を裏切った記憶ばかりが、この映画によりフラッシュバックしてしまい辛い心境だ。
今更ながらではあるが、私が中3の頃に知り合った“お利口さん”母親猫の心理を、当時未熟故にすぐには理解できず大騒ぎしてしまった事を、ここで今一度心より詫びたい思いである。
それまで我々一家は祖父母と同居していたのだが、父と祖父が不仲で、事ある毎に二人が歪み合うのに幼き心を痛めてきた。
母もフルタイムの仕事を持っている共働き家庭だったため、幼稚園の頃より我々姉妹は昼間祖母の世話になっていた。
中2の冬、父と祖父が大喧嘩をした記憶が真新しい頃に、父母から転居をする意向を告げられた。 「新しい家を建てて、家族4人でこの家を出て行く事になる。」
ところが新築の家が出来上がるまで待つ余裕がない程、父と祖父の関係は険悪だったようだ。 新居の完成を待たずして、我々一家は一旦アパートを借りて引っ越す事になった。
姉は既に高校生、私も春から中3。 おそらく親達は、今後は祖母の世話にならずとも二人共もう大丈夫、と判断したのでもあろう。
私は中3の秋まで中学校のブラスバンド部で活躍した。 その活動のため学校からの帰宅時間が大抵は親よりも遅く、家の合鍵を持たずに過ごしてきた。
秋の文化祭の舞台を最後に中3ブラスバンド部員には学校から「引退」勧告が下る。 早春の高校受験に備えるためだ。
その頃より受験補習のない日等、たまに下校時間が親より早い日がぼつぼつと出現するようになった。
秋も終わりに近いある日、親の帰宅時間より早い時間帯に下校した私だが、あいにく家の合鍵を持ち合わせていない。
玄関前で親の帰りを待って当てどもなくウロウロするより、既に肌寒い時期でもあるし、西日が当たる裏の勝手口近辺で受験勉強でもしながら時間を過ごそうと考えた。 勝手口の直ぐ前には畑が広がっていて人目にも付かない。
案の定、裏の勝手口は晩秋の西日の日差しがポカポカと心地よい。
台所前の外壁にもたれ掛かって座り、通学鞄から教科書を取り出したその時だ。
裏の畑から見知らぬ野良猫が顔を出し、私の方を見ている。
体の大きさから判断して既に大人、(記憶によれば)無彩色、おそらく白地に少し黒模様のあるメス猫と私は直感した。 何故メスと判断したかと言うと、私を見るその眼差しが柔らかかったためだ。
その猫にこちらから言葉をかけた記憶はない。 おそらく同じような柔らかい眼差しで見つめ返していると、猫は私の方へ近づいてきた。
何をねだるでもない。 その猫が「ニャー」とないた記憶すらない。
どうも、静かで落ちついたタイプのよく似た二人(正しく言うと“一人と一匹”)である。
(あっ、そうだ。 鞄の中に給食の残りのパンがある。 これをこの猫ちゃんは食べるだろうか?) などと思いながら私はそのパンを取り出して自分から一口食べてみた。 そうしたところ猫ちゃんがその様子を興味深そうに見ているため、一口あげてみると美味しそうに食べてくれた!
それがとても嬉しくて、また一口私が食べた後猫ちゃんに一口あげると、また美味しそうに食べてくれる。 それを繰り返して、給食のパンはなくなった。 お利口さんの猫ちゃんはすぐさまパンが全部なくなった事を理解したようだ。
「もう畑に帰るのかな?」と思ったところ、猫ちゃんは壁にもたれて座っている私の膝にちょこんと座り、気持ち良さそうにしてくれる。 昔家で祖母が猫を飼っていた経験がある私は、猫の顎を撫でてやると気持ちいいことを知っていた。 それを実行してやると、猫ちゃんはグルグル……… と喉から音声を発しながら少し眠りについたようだ。
どれ程の時間が経過しただろうか、我が親が表玄関の鍵を開ける音が聞こえた。
それに反応した私と同時に、膝の上の猫ちゃんの体もピクリと反応しすぐさま私の膝から飛び降りた。 そして畑に戻る道すがら、お互いに何度も何度もその姿を見返しつつその日の(似たもの同士の)出会いは終わった。
あの猫ちゃん、今度私が早く下校した時にも会いに来てくれるだろうか…
なる期待感と共に、私はその後も親には「裏口で勉強しながら待ってるから」と言って、合鍵を作ってもらうことを嘆願しなかった。
そうしたところ、確かに猫ちゃんは必ずや来てくれるではないか!!!
ある時は給食パンの残りが多く、ある時は少なかった。 それにもかかわらず、まずは私がパンを一口、猫ちゃんが一口を繰り返し、そしてその後私の膝の上でグルグル…… その法則と習慣は何ら変化せず、私と猫ちゃんとの勝手口での“秘密の関係”は続いた。
時は流れ、その後私は県内有数の名門校受験に合格し、遠距離通学の高校生となった。
申し訳ない事に、その頃には既に猫ちゃんの存在すら忘れ、新たな高校生活の環境下で勉学に励む日々だった。
もう既に夏の日差しが照りつける頃であろうか。
ある日私が高校から下校した時の事だ。
西日が当たる台所の隣に位置する自分の部屋に入り、勉強机の引き出しを開けた途端 「ギャーーーー!!!」 なるドデカい叫び声を上げた私だ。
既に帰宅していた両親こそが驚いた。 何故ならば、普段私がこんな大声を出す機会が皆無だからだ。
「何かあったか!?」との両親の問いかけに、 「なんか分からないが、私の引き出しの中に動く物体がある!!!」
私の引き出しの中身を一見した父の回答こそに驚いた。
「これは猫の赤ちゃんだよ」
その時開けていた我が部屋の西側の窓の外に、昨年の秋冬に私と給食のパンを分け合ったあの利口なメス猫ちゃんがいるのを発見し、さらに仰天した!
この時、初めて父に伝えた。
窓の外から見ている猫ちゃんと私は昨秋から冬にかけて一時仲良しで、給食のパンを分け合った事実を。
それを聞いて父が言うには、「窓の外の猫こそがこの生まれたての赤ちゃん猫達の母親に間違いない。 動物の母親とは自分が産んだ子どもを“一番安全な場所”に置きたい習性があるものだ。 きっと、○子(私のこと)と赤ちゃんの母親猫は十分な信頼関係が築けていたからこそ、○子の机の引出しに生まれたての赤ちゃん猫を運んだのだろう。」 「それにしても我々はもうすぐ転居するし、2匹の赤ちゃん猫は母猫の生息地の裏の畑に帰してあげよう。」
父の意見に同意し、我々は母猫が私の机の引出しに運び込んだ赤ちゃん猫2匹を裏の畑に運び返した。
その成り行きすべてを親猫である我が友のメス猫ちゃんは、寂しい目をしてずっと見ていた…。
その後、高1の夏休み中に一家4人で新築住居へ引っ越した。
せっかく“信頼関係”を築いたお利口さんの母猫ちゃんを裏切った思いの後を引いていた私も、転居後すぐさまその事実を忘れ去る事と相成る……
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本日「原左都子エッセイ集」に於いて上記物語を綴らせていただいたきっかけとは、昨夜(7月19日)テレビにて放映された、2002年宮崎駿氏企画の映画 「猫の恩返し」 を観た事による。
上記映画とは、主人公が昔空腹の子猫にエサを与えた事に対する、猫よりの「恩返し」を趣旨とした物語であったようだ。
私の場合まったく逆で、昔給食の残りパンを通して信頼関係を築いた母猫の“切実な思い”を裏切った記憶ばかりが、この映画によりフラッシュバックしてしまい辛い心境だ。
今更ながらではあるが、私が中3の頃に知り合った“お利口さん”母親猫の心理を、当時未熟故にすぐには理解できず大騒ぎしてしまった事を、ここで今一度心より詫びたい思いである。