原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

コメント受付け一時休止のお知らせ

2011年11月18日 | お知らせ
 日頃より 「原左都子エッセイ集」 をご愛読いただきまして誠にありがとうございます。



 この度、都合によりコメント欄を閉鎖し、コメント受付を一時休止する措置を取らせていただく事と相成りました。


 その間、原左都子宛にメッセージをお送り下さる場合は、左欄の 「メッセージを送る」 をご活用いただけましたら幸いです。
 ご自身のメールアドレスあるいはURLをご記載いただいた場合、個別に返答を申し上げる場合もございます。




 「原左都子エッセイ集」本体は、今後も変わりなくエッセイを綴り公開して参る所存です。

 今後共、皆様のご訪問を心よりお待ち申し上げております! 
 

あなたは自分が好きですか?

2011年11月16日 | 自己実現
 原左都子が我が子育てにおいて最重要課題としているテーマとは、 「自分の存在を肯定しつつ生きて欲しい」 という事である。

 本エッセイ集のバックナンバーにおいて再三公開してきているが、何分我が子は若干(あくまでも“若干”の範疇であるが)の事情を持ってこの世に生まれ出ている。
 放っておいたら“いじめ”に遭い(この私が放っておく訳はないのだが)、「変な子」と後ろ指を指される。 それを背後で感知しては我が子が他者の心無い言動により傷ついて自己否定に走るようなことのないよう、積極的に対処してきた“お抱え家庭教師”の私である。

 その甲斐あってか、どうやら娘は18歳を間近に控えた現時点では基本的に自分の事が嫌いではなさそうだ。
 時折「私って、こういう事がダメだよね」、「もうちょっと早くできるよう努力するべきだね」などと分析して私に伝える事はあるのだが、総合評価としては自己肯定の道程を歩めているように見て取れる。

 (ここで私事で恐縮ですが、お陰様で娘が先だって挑んだ大学公募制推薦入試には「合格通知」が届きました。 何のコネも特別選抜枠も使用せず、あくまでも本人の実力を厳しく鍛え上げて臨ませた入試でした。 これでまた娘本人に一段階成長できた感覚があるのを垣間見て、親馬鹿ながら目を細めている私です。)


 さて、朝日新聞11月12日の“悩みのるつぼ”は、そんな我が娘と同年代の高校2年生女子よりの相談だった。

 「自分を好きになりたい」と訴える上記女子高校生の相談を、以下に要約して紹介しよう。
 高校2年生16歳女子だが、私は自分の全部が大嫌いだ。 父は自尊心が強く他人を見下し自分の優越感を満たすことを好む人物である。 そんな父を生まれてから今日まで尊敬し信頼し疑う事なく育ってきた私の精神に(その姿が)深く刻まれている。 (父に似た?)この性格を抑えることなく行動して失った友情もある。 それに気付いて以来、本来あるべき自分を確立できるように努め、数少ない友人を尊重して「ありがとう」「ごめんなさい」を常に心がけている。 しかし、どうしても根底に残る醜い思いが消えず、他人に認められたい欲望が先走り他人に対して我を通してしまうことがある。 性格とは簡単に変えられると思っていたが難しいことを実感している。 他者を見下すことでしか自分を愛せないとしたら悲しすぎる。 本当の意味で自分を好きになるにはどのような努力が必要か。


 早速、原左都子の私論に入ろう。

 何とも素晴らしい女子高校生である。 
 わずか16歳にして、何と言っても持ち前の思考力による自己分析の程が素晴らしい。 加えて文章力も兼ね備えている。 この手の人材はおそらく何らかの分野でいずれ花開くに違いないと、私からその将来性を保証したい程である。

 などと勝手に褒めちぎったところで、ご当人にとっては何の解決策も見出せない事であろう。
 そこで、原左都子なりのアドバイスを申し上げることにしよう。
 相談者の父親が相当の人格的偏りを抱えている人物と推測するが、片やお母上は一体その現実に日々どのように対応しているのであろうか? 相談内容から推測するに、おそらく偏った父親に迎合して日々を送っているのであろう。 それが証拠にこの相談者は16歳になるまで人格が偏った父親を尊敬していたとのことで、母親に関する記載が一切ないところが大いに気にかかる。
 (もしかして父子家庭である場合お詫びするが)私としては相談者の母親が親の立場として如何に対応しているのかを一番知りたい思いだ。 それが叶わぬ相談内容を受けて私から一つ言えることは、人生なんて環境によって大きく移り変わるということだ。
 未だ16歳の女子高校生にとっては、親から離れて独立することなど遠い未来の話であろう。 それでも、それを今から視野に入れておくという手立てもあるかもしれない。 と言うのも、原左都子自身が過去において親からの馬鹿げた希望押付けの重圧に逃れる手段として“親から遠く離れて自立する”選択をし大成功を収めたと自覚しているからである。


 それにしても16歳とは“親から離れて自立する”にはまだまだ若すぎるのが現状であろう。

 そこでここは、今回の“悩みのるつぼ”回答者であられる車谷長吉氏の回答内容から一部を紹介することにしよう。
 早い話あなたに恋人ができたとして、自分を大嫌いだと思っているあなたのことが素敵だと恋する少年がいるかもしれない。 そうしたらあなたは変わらざるを得ないでしょう。 だから悲観することなどない。 
 人生には様々なことがあるが、自分が阿呆になることが一番大事だ。 阿呆になることの一例として詩や小説を書いてみるとか、流行のお洒落や化粧をして町の中を歩いてみるとかすることだ。

 車谷長吉先生の素晴らしい回答に我が意を得たりの思いである。
 まさにこの原左都子も“阿呆”の人生を歩み続けていると言える。 ご覧のように、勝手気ままに綴った辛口エッセイ集をネット上に公開し、“踊る阿呆”を実現するべくダンスに興じ、いい年こいて流行のお洒落や化粧をして街を闊歩する日々である。
 そんな“阿呆”の私は、そのくだらない趣味を娘の“お抱え家庭教師”稼業の合間に伝授しているのだ。 これは常日頃学習に切磋琢磨させられている娘が本気で活気付く瞬間でもある。 私の“阿呆”の伝授力こそが、娘の自己肯定に繋がっているとも結論付けられるのだ。


 さてさて、皆さんはご自身が好きですか?
 原左都子自身はこんな“阿呆”の自分を自己肯定しつつこの世を生き抜いていますよ~~ ♪ 

野田さんが言う「国益」って何?

2011年11月14日 | 時事論評
 本日(11月14日)日本時間午後1時より、APEC首脳会議に出席している野田総理はハワイホノルルのホテルに於いて記者会見に臨んだ。

 この記者会見の場で、野田氏は「TPP交渉参加」に対して如何なる判断を下すのかを国内外の記者より問われた。
 それに答えて野田氏曰く、「今後国民的議論を経た後に“国益”を考慮して結論を出したい」云々との言及を展開した。


 前民主党党首である菅氏の退陣を受け野田氏が新党首選に立候補した頃より、原左都子が野田氏をバッシングし続けている事に関しては本エッセイ集の読者の方々はご承知であろう。
 私の視点からはどう贔屓目に考察しても野田氏には一国の首相に相応しいようなポリシーや風格が見て取れず、政治家としての存在感が薄くカリスマ性がまったく感じられないのだ。 にもかかわらず野田氏は首相就任直後の世論調査に於いて、国民より高支持率を得た。 この人の何がどのようによくて国民が野田氏を支持したいのかが時間の経過と共にますます理解できない私なのだが、どうやら政権党首が交代する事自体に国民の期待感があったというだけの話であろう。

 それでは、野田氏の何が悪い?  と訪ねられても(長所が捉えにくい人物全般に特徴的なのだが)その短所を即答する事も困難であることは確かだ。
 言葉使いは適度に丁寧で暴言を吐く訳ではないし、秘書か官僚が書いた原稿の漢字も読み間違えず、ご夫人とお手手つないで外遊するごとくの突拍子も無い醜態を晒す事も慎んでいるようだ。
 TPP議論が巻き起こっている現在に至ってはそろそろ野田氏の欠点が国民に見えてきたであろうが、“没個性派”である事だけが取り得のこの人の弱点を一般国民に分かり易く表現するのは結構難しいのが事実である。

 そんな折、原左都子の思いを素晴らしく代弁してくれるがごとくの野田首相批判文書を新聞紙上で発見した。
 早速、朝日新聞11月8日「声」欄に掲載された57歳コンサルタント業57歳男性氏の 「おかしい野田首相の政治手法」 と題する投書を以下に要約して紹介しよう。
 野田政権になって2ヶ月が過ぎた今感じるのは、「どじょう内閣」の愛称の通り泥に潜って情勢を伺い時々浮上しては唐突な発信をする内閣だということだ。 首相はG20首脳会議において消費税率を10%に上げる方針を表明した。まず国会や国民への説明責任を果たすのが民主国家の指導者ではないのか? TPP問題も同様に与党の見解をまとめそれを国民に問うて後に国際交渉に臨むべきである。 民主党は「消費税は上げない」「脱官僚政治をやる」と宣言して総選挙で信を得たはずだ。 そもそも財務省の思惑の現実より今は復興に専念するのが政府の役目だ。 原発事故問題も情報開示の正確性への疑惑の問題が解決されていない。 全てが中途半端であり、その原因は官僚に操られまともな議論をせず我を通そうとする野田首相の手法にあると思えてならない。

 この投書内容に、原左都子は100%同意申し上げる。


 実は、野田氏が言わんとする「国益」の意味が原左都子にはそろそろ判明しつつあったところだ。
 野田氏にとっての「国益」とは、早い話が“米国に迎合”することなのであろう。
 
 今回のTPP交渉に関してもそうである。
 野田氏は首相就任直後、日大震災被災地に出向くに先立ちそそくさと米国に旅立って“オバマ大統領詣で”をしている。 その時既に「TPP参加」をオバマ氏よりそそのかされたのであろう。 当時国民より高支持率を得ているとのメディア報道を鵜呑みにしてイイ調子をこき、財務省大臣時代よりのバックブレインの官僚どもから「YES」の回答をすることを指示されてオバマ氏よりの要請を快諾して帰国していることに間違いない。
 そんな野田氏としては、オバマ氏との約束を遂行せねばならない義務感を抱えて焦り切っているのが現状であろう。
 それにしても、まったくもって“間抜けで愚かなどじょう”である。 民主党内部からのTPP反対勢力を押さえきれず、野党よりの厳しい批判にも対抗できず、ましてや国民感情の程も一切心得ず、世間知らずの野田氏とは官僚の言うがままに米国オバマ氏との約束を最優先する“能無し”の一国の首相である。

 話が変わるが、埼玉県朝霞市に於いて建設予定だった公務員宿舎建設においても野田氏は同様のポリシーなき二転三転の意思決定変更の対応をしている。
 自らが財務大臣であった時に官僚にそそのかされて建設実行を決断したものの、首相となった直後に国民よりの反対バッシングを受けて急きょ建設中止に翻った事に関しては、本エッセイ集のバックナンバーに於いてもその詳細を取り上げている。

 消費税率10%議論に関しても同様である。 
 これに関しては上記の「声」欄の投書にもある通り、あくまでも国内の財政事情であるためまずは国会に於いて討論がなされ国民に説明責任が果されて当然の事であろう。 にもかかわらず国際会議であるG20の会場でこれをいきなり表明するとは一体何を勘違いしているのか?? 国際理解をバックにつけてそれを国内に持ち帰ったら、自身の首相としての存在が正当化できるとでも思っているのか!?  だとすれば、心底“アホ”で単純馬鹿な首相としか言いようがない。

 加えて、原左都子が現在一番心を痛めているのは沖縄県普天間基地問題である。
 民主党政権が歴史的政権奪取に及んだ公約の一つとして、上記沖縄基地問題に関し当初「少なくとも県外」を宣言していた。 これに関しては初代の鳩山政権がそれを実行不能だったことも現在に引きずって政権交代している。 
 沖縄県民感情としては民主党政権交代時にどれ程の明るい未来の希望を抱いたことであろう。 その後鳩山内閣に“けんもほろろ状態”で裏切られた頃より、沖縄県民は今まで以上に強くなった感覚が私にはある。
 そこにまた“正体不明”の野田次々政権が誕生してしまった。 おそらく野田氏は9月のオバマ氏との対談時に「沖縄普天間問題もお願いします」と嘆願され官僚の指示通りそれに快諾して帰国したものと推測する。  オバマ氏との会見帰国後の野田氏が取っている沖縄普天間基地に対する措置は皆さんもご存知の通りである。 
 それにしても私から言わせてもらうと、そのやり方が劣悪だ。 いきなり「環境評価書」を沖縄県に突きつけてこれを政府が提出したから普天間問題は辺野古移転である、と押付ける。 既に強く生まれ変わっている沖縄の自治体長は今のところそれに動じていないことが幸いである。
 私は、あくまでも沖縄米軍基地問題に関しては沖縄県の味方を貫いている。 
 沖縄米軍基地問題に関しては、今尚米国に従うしかないとの根拠の無い論理にがんじがらめになっている国民が多い事は私も承知している。 その上で世界規模での経済難等々時代は大きく変遷しているのも事実だ。 いつまでも米国の存在が絶対的であろうはずはない。
 今こそこんな馬鹿げた“どじょう内閣”などぶっ飛ばして、今後の沖縄の末永い幸福を是非共勝ち取りたいものだ。


 繰り返すが原左都子の私論としては、野田氏が言わんとする「国益」 イコール “米国に迎合すること” に他ならないのであろうと結論付ける。

 それにしても米国とて既に国力が低下していることは目に見えている。 現在経済力を驚異的に押し上げている中国もその国力の全貌の実態はまだまだ見通せない。

 国際関係も重要ではあろうが、ここは国政たるもの一旦我が国日本に立ち戻って、まずは大震災復興対策に“本気で”全勢力を注いではいかがなものであろうか?
 庶民の間に国政の単なる挨拶儀式ではないその“本気の姿勢”が見えたならば、もしかしたら消費税を上げてもいいとの見解も出て来るのかもしれないのではあるまいか?
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気象予報士は「AKB48」じゃないだろ!?

2011年11月12日 | 時事論評
 先だって朝日新聞紙上で、NHKの女性気象予報士数人を登場させたカレンダーが発売されたとの写真入りの記事を発見した。

 その数人の中には、私が日々見聞している夜7時のニュースを担当している気象予報士も登場しているようだ。
 「こいつらアイドルタレントやモデルじゃあるまいに、恥ずかし気もなく何やってんだよ。」 
 意地悪ババアの観点は承知の上で、正直なところ原左都子はそう感じた。

 そうしたところ、この女性気象予報士カレンダーとはNHKの“名物”であるらしき情報をネット上で得たのだ。 毎年秋頃発行されて人気タレント並みの売れ行きを誇るベストセラーカレンダーであるらしい。
 ちなみに昨年度発売された「2011年版 NHK気象予報士カレンダー」(¥1800 とのことだが)には、夜7時のニュースでおなじみだった半井小絵氏や山本志織氏等々が登場したようだ。
 このご両人に関しては7時のニュース引退後、私の愛読紙である朝日新聞紙面において時々登場しているのを見かける。 両氏共に気象予報士としての活躍の範疇で記事に取り上げられているのではなく、要するに“現役を引退したアイドルタレント”と類似の形で何らインパクトのない記事の一部として登場しているに過ぎない。

 本人達の好きにすればいいと言えばそれまでの話なのだが…


 ここで「気象予報士」との資格について、ウィキペディアを参照しつつ以下に少し紹介しておこう。

 気象予報士は日本の国家資格の一つであるらしい。
 気象業務法第3章の2に基づき指定試験機関である財団法人気象業務支援センターが実施する知識及び技能についての試験に合格し気象庁長官による登録を受けた者に対し、この名称を名乗らせているようだ。
 参考のため、原左都子が過去において取得している医学関係の国家資格とは国がその試験を実施し(当時の)厚生省大臣より免許を受けた資格である。 
 気象予報士とは財団法人が実施している資格とのことで、その資格の名の下で専門業務に当たる場合の法的拘束度合が弱いのかもしれないと推測する。

 参考のため気象予報士資格取得とは、学歴年齢制限が無く誰でもがチャレンジできるところに特徴があろう。
 学科試験はわずか60分間のみの“多肢選択制”のマークシート方式。
 加えて、実技試験として75分間の記述試験が課せられるとのことである。
 試験はそれのみで、どうやら面接試験等はなさそうだ。


 気象予報士なる資格が庶民の間に広まったのは、東京都知事を長年やっている“あの人物”の息子氏が俳優業が立ち行かなくなった暁にこの資格を取得してテレビの天気予報に登場して以降の事ではあるまいか?
 この石原某氏との元俳優氏が気象予報士として一時テレビ画面に登場したイメージが、その後気象予報士を目指す人種の絶大な影響力となってしまったのではなかろうか??

 原左都子は民放テレビ放送をほどんど見ないため、民放における現在の気象予報士の扱いの程をまったく心得ない。 
 私が普段見聞しているNHKに関しては、夜7時のニュースで取り上げられた半井小絵氏が“人気を博した”(??)とのことで話題になったことだけは認識している。 ただこの現象に関しても、少なくとも私の周囲では大変失礼ながら半井小絵氏を好むという男性は一人として存在しなかったのだが……
 結局これは元々NHK内で捏造されたに過ぎないバブル人気なのではないかと、私は以前より薄々感じていた。
 元々“芸能人の人気”など、情報に流され易い庶民の特質を利用したマーケティング力により人工的に作り上げられる産物にしか過ぎないしねえ…… 


 過去を振り返ると現政権において大臣の地位にある蓮舫氏が、今回の気象予報士同様の過ちを犯している有様だ。
 元々タレントの蓮舫氏は、自分が国政に於いて果せる役割とは自分の“美貌”を活かす事との大いなる勘違いをして、神聖なる国会においてファッション撮影を挙行するとの大失態を晒して顰蹙を買った事件に関しては皆さんもご記憶のことであろう。

 それに対して、たかがNHKに雇われた気象予報士の身分に過ぎない若き女性陣が、雇用先であるNHKの鼻の下を長~~~く伸ばした男性スタッフの意向に従ってカレンダーのモデルとなったことなど、どうだっていい事象なのかもしれない。

 それはそうとして、ここでもう一度気象予報士が果すべき役割と現在置かれている現状をウィキぺディア情報を引用しつつ再確認しておこう。
 当初、報道社等の気象予報業務許可事業者は一日当たりの現象の予想を行う時間に応じて所要の人数の選任気象予報士を置かなければならないと決められていたようだ。 ただし気象予報士と予報業務許可事業者との間に雇用などの専属の関係は必要ではなく、気象予報士は複数の事業者のために現象の予想を行うこともできるとの事であったらしい。 
 その後NHK・民間放送共に気象予報士の資格を持つアナウンサーもみられるようになり、現在では数百人規模の気象予報士がテレビ報道において気象現象予報を担当しているとの事だ。 ただし気象現象の予想を担当しているとされる気象予報士の中には、コンピュータによる自動予報を合法的に発表したり、あるいは事業者が気象庁の予報をそのまま流しているのではないように見せるために名義を貸しているだけの者もいるとの事でもある。

 以上のように「気象予報士」資格とは国家資格とは言え、国が直接関与している国家試験ではなく財団法人が指揮をとっているが故の不透明性も内在していると思しき実態なのであろう。
 それをいい事にその専門性の程は二の次で、タレント性があるとの判断で若き女性を視聴者の性的嗜好対象として利用し視聴率を稼ごうとのメディアの魂胆もお粗末だ。
 しかもそのタレント性とは、単にテレビ局内部担当者の特殊趣味に偏っている辺りが笑えてしまう。
 それが証拠の「気象予報士カレンダー」発行元のNHKサービスセンター担当者の言い分とは、「皆さん、おみ足が…きれいで」……


 いやはや、毎年「気象予報士カレンダー」を発行しているNHK担当部署の男どもも、若き気象予報士女性連中も好きにすればいいということではある。

 ただし、せっかく苦労して(?)「気象予報士」資格を取得したであろう若き女性達に伝授しておきたいことがある。 
 その資格とは、国民の命がかかっていることを忘れてはならない。 
 台風による洪水や土砂災害そして豪雪等国民に予期せぬ大被害が気象によりもたらされそうな時には、一刻も早く正確にその情報を伝える使命が貴方達にあるはずなのだ。
 
 資格を取得して世に蔓延るためにはその使命感こそが不可欠なのである。
 もしもその覚悟をなくし引退する暁には、過去において「元気象予報士」であった事を振りかざさないで欲しいものだ。

 原左都子自身が過去に取得した医学関係の国家資格が何であるのか現在一切表沙汰にしていないのは、既にその肩書きの下での使命感を失っている故である。
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福島原発事故を“アプリオリ化”してはならない

2011年11月09日 | 時事論評
 (写真は、朝日新聞9月11日に掲載された 8月2日時点での福島第一原発周辺地域におけるセシウム134、137の蓄積量。)

 上記写真は新聞掲載写真を転載したため見辛い点をお詫びするが、参考のため赤色部分がセシウム汚染300万ベクレル以上を計測した地域、濃青地域で6万~10万ベクレル、薄茶色の部分は1万未満、その他灰色の部分は未測定地域。 11月現在の今、セシウムの半減期を考慮するとその蓄積量にさほどの変化はないことであろう。 むしろ、その後の原発よりの放射能放出によりセシウム量は増大し風の流れ等により汚染地域はより広範囲に拡大していることと推測する。


 東京都心に住む我が家の近くに大手宅配業者の支店があるのだが、10月半ば頃にその支店の集配施設の前を通り過ぎようとしたところ、今秋収穫されたと思しき大量の新米が山積みされていた。
 その産地を見た私は相当のショックを受けた。
 何故ならば、そこには 「福島県産」 と記されていたからだ。 ニュース報道に於いても、福島県産の新米がセシウム測定基準をクリアして出荷されることとなり福島県の米農家が一安心しているとの情報は得ていた。 何故に福島県内の農家において育てられた米がセシウム測定基準をクリアできたのかに関しては、稲を育てる早期より汚染土壌や水を排除する工夫をした成果である等々(正確ではない点をお詫びするが)と見聞している。

 福島県の米農家の方々には実に申し訳ない話であるし、また今回福島県産の新米が出荷され市場に出回っている事に対して福島の米農家の方々を責めようなどとの思いも原左都子には毛頭ない事だけはご理解いただきたく思う。
 ただ現実に戻った場合、福島県内のセシウムの蓄積量は上記写真のごとくの高レベルである。 その地の土壌と水で育てられた米が本当に基準値をクリアできたのだろうか?  たとえ国が定めた基準値をクリアできたとしても、その基準値自体の設定の程が如何なるものなのか? 
 特に米とは日本人の主食である。 国民が日々食する米に含まれるセシウムの量がたとえ微量であろうとも人体内に蓄積され続けるであろう放射能量の程を勘案すると我が心は穏やかではない。

 しかも宅配大手の集配所で見た大量の福島県産の新米の配送先が、私には推測できてしまったのだ!   これだけ大量の米を消費する施設とは「学校給食」を於いて他にあり得ないのではなかろうか?? 
 生産地を明記して売ることが義務付けられている一般市場において、福島県産の米は国民から敬遠され売れ残る事が歴然である。 一方、安価の原材料で児童生徒達の給食を賄っている学校給食において“灰色米”はまたとない食材であろう。 学校給食の場合、使用食材の生産地を生徒や保護者に公開する義務はないと、我が子の給食時代を振り返って考察する。
 もし私の推測が当たっているとすれば、忌々しき事実であり空恐ろしい話だ。
 私の推測がはずれているとしても、あの福島県産の大量の新米は我が住居地の近辺の何処かで食されるという訳だ…


 一方、東京都は大震災の津波被害に於いて発生した莫大な量の「がれき」の一部を引き受ける決断をして、既にその一部の「がれき」が都内に到着している。 引き受けた「がれき」は今後江東区における埋立事業に利用するとのことである。
 津波地方より到着した「がれき」の放射線量を測定する場面をニュース報道で見聞した私は、愕然とさせられた。  放射能には素人と思しき現地の作業担当者が、いかにも測定精度が低そうなポータブルの放射能測定器を「がれき」のほんの一部に当てて「問題ありません」なんたらかんたらと言っているではないか! 
 これを指示している国や自治体の長たる者自体が放射能に関して素人なのだから、こういう安直な測定の報道をメディアに流して市民の“目くらませ”をするのは目に見えていることではある。 
 それにしても遠い将来国民の間で福島原発事故など当の昔の出来事との認識となった頃、東北地方の「がれき」を土台として埋め立てられた東京湾の新たな地に住む人達の“放射能汚染”の程を慮ると気が遠くなりそうに辛い思いの原左都子だ。


 今回の記事の表題においては“アプリオリ化”なる多少分かりにくい言葉を用いた。 
 大震災発生と同時に生じた福島第一原発事故の東電や国の後処理とは、特に大震災発生後8ヶ月が過ぎ行こうとしている今となってはこの事故を“アプリオリ”の存在と位置付けて、まさに国民の“目くらませ”をしようとの魂胆を私は直感する故このようなタイトルとした。

 「アプリオリ」には“発生的意味で生得的なもの”、“論理的に先立つ認識や概念”等々の意味合いがある。
 東電や国がこの秋以降執っている福島原発事故対応とは、“福島原発事故は起こってしまったのだから、国民は皆しかるべくして起こった原発事故に対してもうそろそろ心身共に免疫力を持って対応しましょう”と言わんとしているように我が耳に入ってくるのだ。

 例えばの話、厚生労働省は小宮山大臣の意向に従って福島原発事故後の食品からの被曝による影響を検討した結果を答申している。
 朝日新聞10月28日の一面トップの報道によれば、今回の福島原発事故が発生した事により食品からの被爆を国民一人当たり「生涯100ミリシーベルト」と設定しようとの事である。 

 福島原発事故を「人災」と位置づけている原左都子に言わせてもらうと、これはとんでもない話である。

 「人災」である以上、それを発生させた張本人がまずは責任を取るべきであろう。 その張本人とは、東電であり、国家であり、そして原発推進に加担した学者研究者連中であることには間違いない。 

 学者研究者連中は、全国学会において一応のお詫びはした模様だ。
 
 片や、東電の原発事故対応とは未だかつて貧弱を極めている。
 聞くところによれば、公益事業体である東電は長年暴利をむさぼりつつ成り立っていたとのことだ。 大震災発生後、東電利用地域では値上げが余儀なくされると私も一時覚悟を決めた。 それが未だに実施されない実態とは、東電内では企業内努力をせずして国からの膨大な補助金が得られるため、今まで“どんぶり勘定”によりむさぼり続けてきた利益内部留保額が膨大であるからとの事実が判明している。
 とんでもなく許し難き東電内部のお粗末経営の実態である。 世界規模の原発事故を引き起こして尚いつまで経っても東電の役員連中が横柄な態度を晒し反省が見られないのは、怠慢経営にどっぷりと浸かっていたから故であろう。こんな企業に今まで膨大な補助金を出し続けてきた国家も共同責任だ。
    
 そして、国家よ!
 私に言わせてもらうと、野田政権は今までの民主党政権の中で最悪の政権だ。
 東日本大震災発生より8ヶ月が経過しようとしている今、国民の間でその記憶が忘れ去られようとしている時期に存在感が薄い野田氏が首相の座に着いた。
 その存在感の薄さを武器にして、福島原発事故も過去の歴史の産物として扱おうとの魂胆が私には見え見えなのである。

 
 福島第一原発事故とは、決して“アプリオリ”の現象ではない。

 繰り返すが、これは明らかに「人災」である。
 “起こってしまった事故”ではなく、“起こしてはならなかった事故”なのだ。

 それを引き起こした張本人どもが国民に対し“もうそろそろ放射能汚染に慣れっこになって原発事故と共存して生きましょう”との指導を展開しようとしている現実を決して許してはならない。 
 「福島原発事故が起こったので、今後国民には放射能を今までより多く摂取するべく食品基準値が設定されます」なる国家からの指導には断固として従ってはならないのだ!
 そうではなく原発事故が発生する前の基準に戻すべく、東電や国家に対し「人災」である原発事故の責任追及を長期に渡って投げ続けるのが、今後この国に生きる国民の使命と私は心得る。
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