原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

あなたは自分が好きですか?

2011年11月16日 | 自己実現
 原左都子が我が子育てにおいて最重要課題としているテーマとは、 「自分の存在を肯定しつつ生きて欲しい」 という事である。

 本エッセイ集のバックナンバーにおいて再三公開してきているが、何分我が子は若干(あくまでも“若干”の範疇であるが)の事情を持ってこの世に生まれ出ている。
 放っておいたら“いじめ”に遭い(この私が放っておく訳はないのだが)、「変な子」と後ろ指を指される。 それを背後で感知しては我が子が他者の心無い言動により傷ついて自己否定に走るようなことのないよう、積極的に対処してきた“お抱え家庭教師”の私である。

 その甲斐あってか、どうやら娘は18歳を間近に控えた現時点では基本的に自分の事が嫌いではなさそうだ。
 時折「私って、こういう事がダメだよね」、「もうちょっと早くできるよう努力するべきだね」などと分析して私に伝える事はあるのだが、総合評価としては自己肯定の道程を歩めているように見て取れる。

 (ここで私事で恐縮ですが、お陰様で娘が先だって挑んだ大学公募制推薦入試には「合格通知」が届きました。 何のコネも特別選抜枠も使用せず、あくまでも本人の実力を厳しく鍛え上げて臨ませた入試でした。 これでまた娘本人に一段階成長できた感覚があるのを垣間見て、親馬鹿ながら目を細めている私です。)


 さて、朝日新聞11月12日の“悩みのるつぼ”は、そんな我が娘と同年代の高校2年生女子よりの相談だった。

 「自分を好きになりたい」と訴える上記女子高校生の相談を、以下に要約して紹介しよう。
 高校2年生16歳女子だが、私は自分の全部が大嫌いだ。 父は自尊心が強く他人を見下し自分の優越感を満たすことを好む人物である。 そんな父を生まれてから今日まで尊敬し信頼し疑う事なく育ってきた私の精神に(その姿が)深く刻まれている。 (父に似た?)この性格を抑えることなく行動して失った友情もある。 それに気付いて以来、本来あるべき自分を確立できるように努め、数少ない友人を尊重して「ありがとう」「ごめんなさい」を常に心がけている。 しかし、どうしても根底に残る醜い思いが消えず、他人に認められたい欲望が先走り他人に対して我を通してしまうことがある。 性格とは簡単に変えられると思っていたが難しいことを実感している。 他者を見下すことでしか自分を愛せないとしたら悲しすぎる。 本当の意味で自分を好きになるにはどのような努力が必要か。


 早速、原左都子の私論に入ろう。

 何とも素晴らしい女子高校生である。 
 わずか16歳にして、何と言っても持ち前の思考力による自己分析の程が素晴らしい。 加えて文章力も兼ね備えている。 この手の人材はおそらく何らかの分野でいずれ花開くに違いないと、私からその将来性を保証したい程である。

 などと勝手に褒めちぎったところで、ご当人にとっては何の解決策も見出せない事であろう。
 そこで、原左都子なりのアドバイスを申し上げることにしよう。
 相談者の父親が相当の人格的偏りを抱えている人物と推測するが、片やお母上は一体その現実に日々どのように対応しているのであろうか? 相談内容から推測するに、おそらく偏った父親に迎合して日々を送っているのであろう。 それが証拠にこの相談者は16歳になるまで人格が偏った父親を尊敬していたとのことで、母親に関する記載が一切ないところが大いに気にかかる。
 (もしかして父子家庭である場合お詫びするが)私としては相談者の母親が親の立場として如何に対応しているのかを一番知りたい思いだ。 それが叶わぬ相談内容を受けて私から一つ言えることは、人生なんて環境によって大きく移り変わるということだ。
 未だ16歳の女子高校生にとっては、親から離れて独立することなど遠い未来の話であろう。 それでも、それを今から視野に入れておくという手立てもあるかもしれない。 と言うのも、原左都子自身が過去において親からの馬鹿げた希望押付けの重圧に逃れる手段として“親から遠く離れて自立する”選択をし大成功を収めたと自覚しているからである。


 それにしても16歳とは“親から離れて自立する”にはまだまだ若すぎるのが現状であろう。

 そこでここは、今回の“悩みのるつぼ”回答者であられる車谷長吉氏の回答内容から一部を紹介することにしよう。
 早い話あなたに恋人ができたとして、自分を大嫌いだと思っているあなたのことが素敵だと恋する少年がいるかもしれない。 そうしたらあなたは変わらざるを得ないでしょう。 だから悲観することなどない。 
 人生には様々なことがあるが、自分が阿呆になることが一番大事だ。 阿呆になることの一例として詩や小説を書いてみるとか、流行のお洒落や化粧をして町の中を歩いてみるとかすることだ。

 車谷長吉先生の素晴らしい回答に我が意を得たりの思いである。
 まさにこの原左都子も“阿呆”の人生を歩み続けていると言える。 ご覧のように、勝手気ままに綴った辛口エッセイ集をネット上に公開し、“踊る阿呆”を実現するべくダンスに興じ、いい年こいて流行のお洒落や化粧をして街を闊歩する日々である。
 そんな“阿呆”の私は、そのくだらない趣味を娘の“お抱え家庭教師”稼業の合間に伝授しているのだ。 これは常日頃学習に切磋琢磨させられている娘が本気で活気付く瞬間でもある。 私の“阿呆”の伝授力こそが、娘の自己肯定に繋がっているとも結論付けられるのだ。


 さてさて、皆さんはご自身が好きですか?
 原左都子自身はこんな“阿呆”の自分を自己肯定しつつこの世を生き抜いていますよ~~ ♪ 
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