原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

男は弱音を吐かない、ってほんとか??

2011年11月21日 | その他オピニオン
 原左都子は女であるが、“弱音を吐かない”人間であることを自負しているぞ。

 ただし、私が弱音を吐かなくなったのはある程度年齢を重ねて後のことかもしれない。


 などと言いつつ、つい最近の私はこの「原左都子エッセイ集」に関してあちこちに弱音を吐く醜態を晒しているようだ。
 と言うのも、2本前のバックナンバーで“お知らせ”した通り、「原左都子エッセイ集」に於いて突然コメント欄閉鎖(一時休止)の措置を取る事と相成った。 そのお知らせを公開したところ、実に有難い事に早速あちこちの長期読者の方々よりメッセージにてご心配を頂戴したのである。
 本当に弱音を吐きたくないのならば、涼しい顔をして「現在多忙につきコメント欄を閉鎖しています」等々と適当に流せば済んだはずである。 にもかかわらず私も偉そうに振舞っている割には、結局は読者の皆様より“ご心配リアクション”を頂戴するのを待っていた裏心があった事に気付かされるというものだ。
 (ここでこの度頂いた長期読者の方々よりの温かいお心遣いに心より感謝申し上げます。  お知らせ公開から数日が経過し、エッセイ集開設後5年目にして初めてコメント欄を閉鎖することによるメリットを味わい、解放されている現在で~す♪)


 さてさて、今回の「原左都子エッセイ集」において上記表題のエッセイを綴ろうと思ったきっかけとは、朝日新聞11月12日付の“とある記事”に目が留まったからに他ならない。
 「『男の鎧』重すぎませんか」 と題するその記事の表題を一見して、私の内面より “女だって重い鎧を背負って生きてるんだよ!” との反発心がメラメラ湧き出て来たのだ。 

 それでは早速、上記朝日新聞記事の前半部分を以下に要約して紹介しよう。
 弱音を吐かない、涙もみせない、そんな「男の鎧」を脱いで疲れた心を解きほぐすべく講座が大阪市において開催されたのだが、この講座に定員の2倍近くの応募があった。
 「会社とは実に狭い世界であり“タテモード”で生きていると自分の気持ちすら見えなくなる。会社以外に自分の言葉で語れる場を持つことが大切だ」と語った講師の一人も心が折れた経験者だ。 その人物は大手企業で50人以上の部下を率いる課長職として「24時間闘う男」だった。 当時体がSOSを発信している事にすら気付かなかったが後に十二指腸に3つ穴があいていることが分かった。 47歳で早期退職した時には心も限界だった。 退職後うつ症状の自分の救いは明るく活動的な妻であり、一緒に散歩から始まって様々な市民活動にかかわり症状は改善していった。


 原左都子の私論に入ろう。

 何とも甘えた軟弱野郎だよなあ、というのが第一印象。
 そして、奥方の存在が一番の救いになっただと?? じゃあ、あんたが独り身だったなら一体誰に頼ったんだ???  男って実に狭い人間関係の世界で生きているのだなあ、というのが次の印象である。

 と言うのも、この私も民間企業に勤務していた時には「24時間働く女」とまでは言わないが、部下を十数人抱える係長として日々重圧の下悪戦苦闘したものだ。 その経験故に民間企業においてある程度の地位を維持して生き抜いていく厳しさは心得ている。  十二指腸潰瘍も患った。 この頃患った十二指腸潰瘍は我が持病とも言え、その後も何度か再発している。
 それでも独身の私には家に帰ったって甘える相手などいるはずもない。 もちろん相談できる恋人や友人はいたが、それらの相手とは四六時中一緒に過ごしている訳ではない。 独り身の立場としては「体や心が折れる」前にすべての物事を自分自身で解決せねばならない。 自己管理力の塊であらねば、独身の立場で職場という戦場でなど闘っていかれないのだ。

 で、心が折れてしまったから早期退職して、たった一人頼れる存在である奥方に甘えるだと?
 あなたの場合は“人のいい”奥さんをもらっといてよかったのだろうが、普通47歳位だとまだ子供の教育費がかかる頃だし、子供の進学問題で奥方は手一杯のはずだよなあ。 もしこの夫婦に子供はいないにしても、47歳の若さで亭主に退職された奥方は迷惑この上ないはずだよ。 今後どうやって食っていくの? 奥さんに働いて稼げというのか? それでもいいとして、今度は奥さんが仕事の重圧で心が折れたらあなたに心の支えになれるキャパがあるのかねえ? 軟弱なあなたにその力量がなさそうに私には思えてしまうところが辛いのよ。

 心が折れてしまった以上は当然そのケアに励むべきだが、そもそも理由の如何にかかわらず“心がポキリと折れる”人種とは元々それなりのキャパしか備わってないのではないかと、酷ではあるが原左都子から指摘しておこう。


 このような厳しい見解を述べると必ずや噴出してくるのが、「人の痛みが分からないでいつも偉そうな事を言う奴だ」、「自分も同じ思いをしてみたら少しは心優しくなれるのに…」等々の反発バッシングであろう。

 そこで今回、原左都子が滅多な事では“弱音を吐かない”実態の程を少し紹介することにしよう。

 実は我が身内も5年程前より「鬱病」を患っている。 (コメント欄で少し述べたことはあるが、エッセイ集本体で公にするのは今回が初めての事だ。)
 何分弱音を吐きたくないのだ。 そして私は自分や身内の弱点を暴露して“お涙頂戴”したり、不幸を売り物にして名声を上げようなどとの発想がまったくない。 それ故にいつも陰で一人で闘っている。

 私の場合、上記の新聞記事の例ような“人のいい”奥方とは程遠い人格である。 あくまでもその対応は日々冷静であると言えよう。
 我が身内の場合、鬱病を発症したのが働き盛りの年齢を既に過ぎ去り定年退職まで後5年程だったこともラッキーではあったが、とにかく私は身内に一つだけお願いした。 職場に長期療養申請をして仕事を休んでもよいが、定年まで籍だけは置いておくよう要望した。(身内の鬱病の場合、仕事や職場がその発症要因とは考えられないとの事情もある。)  何分、高齢出産で産んだ娘は未だ中学生の年齢だった。 病気とは言えども、娘の前で父親の役割の一切合切を放棄することは身内自身も惨めであろうとの配慮もあった。 そして身内は私の要望に従い、その後体調の浮き沈みに合わせて長期療養と出社を繰り返しつつ現在に至っている。 「鬱病」とは実に浮き沈みが激しい病気であり、体調が良い時はむしろ職場に出勤して仕事に励む方が良い結果をもたらしている事が目に見える。
 そして私がケアに一番力を入れたのは、病状が悪い時に病院での診察に付き合う事だった。  病院(現在の精神神経科は予約制を取ってはいるが“ゲロ混み状態”!)の長い待ち時間を共有することで身内本人が安心すると同時に、元医学関係者の私としては担当医師の見解を聞いて参考にする事が、身内の病状把握の一番手っ取り早い方策だったからに他ならない。
 参考のため、定年を5ヶ月後に控えている現在も身内は長期自宅療養中である。 このまま定年に突入することとなろう。 私のケアは今後も末永く続く…


 いえいえ元々“気丈”が取り得の原左都子ゆえ、ご心配は一切御無用である。 
 我が娘も父親の病気にかかわらず母の私が普通に振舞っていることが功を奏していると自負しているが、至って普通に健全に成長している。

 それでもこのような新聞記事を目にして一言訴えておきたいのは、「女だって重い鎧を身に付けて一生を生き抜いているんだぞ!」 ということだ。