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原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

喧嘩売らずに身を引くべきか…?

2011年07月27日 | 人間関係
 今回の記事はつまらない私事の内容で恐縮なのだが、昨日(7月26日)私はある相手に対して喧嘩を売りそうになった。

 
 いきなり話題が変わるが、朝日新聞7月25日夕刊「こころ」のページのコラム“生きるレッスン”において、作家あさのあつこ氏による「けんかの仕方」と題する記事が掲載されていた。
 あさの氏は、愛とは高みから低い所へ流れてこそであるが、喧嘩の場合は自分より強いもの、巨大なもの、力あるものへと売ってこそ本物の男であり女である、と述べられている。 現在はそういう喧嘩が出来る者が少なくなり姑息な大人が増えた事例として、例えば、自分より弱い相手を殴って躾も何もあったものではないのに「躾のためならば鉄拳制裁も辞さず」などと平気で口にする大人の存在を嘆かれる。 「今、人間として恥ずかしくないか」の問いかけを常に自分に出来る者だけが、正真正銘の喧嘩ができる器だとされている。

 私見に入るが、原左都子も物心ついた頃からこの感覚、すなわち“喧嘩とは自分より強い者に売るべき感覚”が強い。
 本エッセイ集において国政や国会議員等の“お上”に対して再三痛烈な批判を展開しているのも、この精神に基づくものである。 (いや? “お上”ってほんとに偉いのかに関しては、昨今の国政の大混乱や議員どもの体たらくぶりを見ていると何やら哀れさすら漂い、誰が弱者なのかまったく混沌とした時代であることを実感させられるばかりである…

 我が幼少の頃からの喧嘩履歴を振り返ってみても、年下や目下相手に喧嘩を売った記憶はない。
 社会人となり民間企業に勤務した時にも、上司に対して喧嘩(というよりも反論と言うべきだが)をぶつけた事は数多かれど、部下に対してみみっちいいじめ行為など一度もしていない。
 教員時代にも生徒に対して喧嘩はもちろんのこと、感情的に暴言を吐く等の行為など一度たりとてしたことがない。 これを指導と勘違いする教員が少なくない教育現場をまざまざ見た身としては、まさに自分の心が傷付けられる思いだったものだ。
 母親となった私は、正直なところ我が子を叩いたことがある。 若干の事情を持って産まれた娘が幼少の頃「お抱え家庭教師」としての任務に耐え切れずの衝動行為であったが、今尚自分自身の傷跡として懺悔の形で我が脳裏に刻まれている。
 現在の私が一番喧嘩を売る相手とは、何処の家庭も同様かもしれないが我が亭主である。 これに関しては喧嘩の案件にもよるのだが、私にこてんぱんに論破されて身を小さくしている亭主の姿を見た時など、“弱者虐待”ではなかったのかと反省しきりの時もある。


 前置きが長くなったが、いよいよ冒頭の昨日原左都子が喧嘩を売りかけた事案に移ろう。 (これに関して今後私はどう対応するのがベストなのか、皆さんのご意見を賜りたい思いである。)

 昨日私は週に1、2度のペースで通っているスポーツジムへ出かけた。 
 そもそも私がジムへ通いたいと考えた理由は、我が趣味の一つであるダンス系のエクササイズに励みたいとの思いからであった。 入所当初は「ヒップホップ」や「エアロビクス」等のプログラムに参加してそれなりに楽しんでいた私である。 月日が経過し、スポーツジムが展開するこれらのダンス系プログラムの目的とは、あくまでも健康維持の範疇を抜け出ていないことに気がついた。 周囲を見渡したら会員が頻繁に入れ替わるし、高齢者を含めて年齢層は様々である。 何ヶ月経過しても私も含めてダンスの技術が上達する会員が皆無である。 ただただ皆さん、踊り続けている…。 これが楽しいという会員も存在するのだが…  多少の違和感を抱き続けていた私は、この種の団体ダンスプログラムを辞める決断をした。
 
 その後ジムが「フリースペース」なる空間を設けたことを幸運として、私はその空間でウォークマンにイヤホンという形で自主ダンスを始めた。
 私のジムの滞在時間はほぼ1時間半。 そのうち「フリースペース」で自主ダンスを踊るのはわずか10分程度である。 それもスペースの空き具合を観察しつつ、人がいない時を見計らってそのスペースを使用するべく配慮もしている。
 ところが、2、3か月程前から私が「フリースペース」で個人的にダンスを踊っていることを好意的に捉えていない係員がいることに、いつも物事を客観視している私は気付いていた。 係員の気持ちは分かる。ダンスを踊りたいならば団体プログラムに参加して踊ればいいのに、何で一人で自分勝手に「フリースペース」で踊っているのだろうか、とのことであろう。 
 それならばそうと私に直言すればいいものを、いつもその係員は他の係員を連れてきて「これ、どう思いますか?」なるパフォーマンスを私の目の前で展開するのだ。 と言うのも、私の推測だがこの現象もジム内で見解が分かれる事象なのであろう。 「フリースペース」と名付けた以上、会員がフィットネス(健康増進)目的ならばそこで何をしてもよいはずだ。 おそらく現場に連れて来られた別の係員もそのように諭している様子だ。
 結局誰も私に文句を言うでもなくいつもそのまま10分が経過するのであるが、顧客の私としてはダンスに集中できないし居心地が悪いことこの上ない。 昨日はさすがに堪忍袋の緒が切れそうになり、その係員相手に「何か言いたい事があるのならとっとと直接私に言いなさいよ!!」と喧嘩を売りたい私であった。

 だが、思い留まった。
 この若者に喧嘩売っても仕方がないとの感覚が強かったためだ。 と言うのも、おそらくその若者はアルバイト等の身分の若年層であることは間違いない。 その係員にとって目障りでしょうがない私の「フリースペース」における単独ダンスに関して自分自身で処置を判断できる立場にない故に、正社員の係員を連れてきているのであろう。
 結果として、私の単独ダンスはジムにおける規範内の行為と判定されているのであろう。


 それでは原左都子がこの件に関して如何に対処するべきかに関しても、当然ながらその答えは既に導いている。 
 どうしてもこのジムに通い続けたいのであれば、組織の上部に「フリースペース」の使用法に関して再度確認し、そのスペースの今後のあり方に関して話し合う機会を持つとの方策もあろう。
 ただ私が推測するにこの手のスポーツジムとはチェーン展開であり、大変失礼ながら店長氏とて雇われの身分でしかなくコロコロ入れ替わっていることは想像がつく。 
 原左都子とて弱者の一員であるとの認識の下日々暮らしているのだが、結局はジムの店長とて誰とて皆弱者なのではなかろうか???

 そうこう考えていると、今の時代は誰にも喧嘩は売れないとの結論に達するのだ。
 私自身、アルバイト店員に嫌われて尚このジムにうだうだとこだわるよりも、新たなダンススタジオで思う存分ダンスレッスンをするべく次の手段を既に計画している。


 あさのあつこさん、皆が弱者化している今の時代においては、強者も弱者も喧嘩を売らない手立てを模索するのが一番ではないでしょうか?!!  
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活性化をめざせ! (ドカドン)
2011-07-27 23:08:54
新しいスタジオを計画しているんですよね?それに従うのがいい様に思います。
許されるのなら、数年に一度、人間関係にリセットを掛けるのがいいですよね。

もちろん続ける人間関係もありますが、客と店員は、変わるのがいいです。
クルマのディーラにて、サービスのメンバーが変わったり、数人以外は営業マンが変わったりです。

銀行も3年くらいで転勤させますよね?長年、同じメンバーだとグルになって、お金をネコババするからでしょうか?
組織の活性化は、新人の採用やメンバーチェンジかですから。

新天地を求めて、原さんが変わるのがいいのでしょうか?
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喧嘩は売る物ではなく丸く収まらない時は買う物、心して係るべき! (TT・MX27)
2011-07-28 02:16:12
喧嘩の内容にも依りますが、いちがいに喧嘩を売る買うは自己主張や意志疎通などの意見の見解などの認識の確認に於いては多いに良いと思います。
しかし仕事に格好を付けての、いじめとも取れる(パワハラ)に於いては別です。
私は人の良い性格から随分と、いじめにも遭ってきましたが、自分さえ我慢をすれば良いと!我慢もしてきましたが、いじめをする方はエスカレートして来ます。
有る日を境に頭を切り替え!!!!
ライオンに追い詰められた獲物は最終手段として反撃に出るの言葉に従い事項しています。
良いか悪いか???解りませんが、(うつ、ノイローゼ、自殺)をする位ならば売られた喧嘩は買います!!!でも自分からは過去に喧嘩を売った事は有りません!!!
今の時代は弱い物には喧嘩を売り?自分より強い者には決して喧嘩を売らない!!!
躾の出来ない親が子供を育て、今まさに、その子供が親となっている昨今!喧嘩を売るの意味を取り違え、弱い者には喧嘩(いじめ)強い者には巻かれる図式が成り立っている歪んだ現実を、かい間見る事の情けなさ。
子供の躾に於いて手を挙げる親、内容によると思います。
此の子が社会に出るのに最低限の常識やマナーや将来、此の子の為にならないと判断されるべき所は手を挙げて、言い聞かせる事は重要だと思います。
お母さんに叩かれたのだから、しては行けない事を理解する我が子に育ち、親をコバカにするような(親に恥を欠かせる様なことをしない)
人間へと成長するのでは???
意味不明的になって申し訳ありません。
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喧嘩はたまに買うもの (issei)
2011-07-28 15:24:41
私は孝行2年生の時に3年生に喧嘩を売って後刻1:4でボコボコにKOされた事があります。1週間、目の周りは真っ黒でした。(笑)
それ以来喧嘩は売るものではなく買うものと認識しています。それも毎回ではなく、同じ相手なら3回に1回とか堪忍袋の緒が切れた時に限っています。
原さんの場合もアルバイトの係員に対しては喧嘩を売るとは考えず、「筋を通した方が良かった」のではないでしょうか。最終的には正社員によるOKが出た訳で「めでたし」と言ったところでしょう。しかし、目的があやふやなジムはやる気がなくなりますね。ダンスなら半年毎に舞台に立つとか1ヶ月に1曲マスターするとか目的を定めたジム運営を望みたいものです。
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ドカドンさん、活性化のためにリセットするべき時代ですね。 (原左都子)
2011-07-31 15:28:21
これも人間関係の希薄化現象がもたらした所産なのでしょうが、確かにドカドンさんがおっしゃるように、人との関係もリセットしつつ生き延びるのが賢明な時代であると言えます。

店舗や民間企業の営業所など、あえて2、3年の短期間で人員を入れ替えていますね。
私自身も長年利用している美容院で担当美容師がコロコロと替わったり、食材配達の係員が転勤等で入れ替わるのを日頃経験しています。 ある時は「いい担当者だったのに残念…」と感じ、ある時は「やっと入れ替わってくれたか」と安堵したりです。
昔はその種の人間関係を耐え忍ぶか、あるいは自分自身が改善打破しつつ前進していたように振り返ります。
今は特に商業部門においては、経営側、顧客側共に短期間でリセットするのが最善との時代に移り変わっているのを実感です。

今回の記事のスポーツジムは自宅に近くて実に便利だったのですが、やはり多少遠くなっても、その場に求める「目的達成度合い」や「居心地の良さ」等自分自身の満足度を優先するべきですね。

一昨日、早速新天地のダンススタジオに行ってきました。 たかが我が趣味の範疇のダンスですが、充実した時間を過ごすために今後の身の振り方をじっくりと検討します。
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TT・MX27さん、子どもへの暴力は何が何でも避けるべきです。 (原左都子)
2011-07-31 15:45:24
喧嘩と一言で表現しても、そのバリエーションが多様な事はTT・MX27さんがご指摘される通りです。
私も本文中で記しましたが、職場の上司に対する反論などは、その提示の仕方如何にもよりますがそれは喧嘩とは言えないでしょう。
TT・MX27さんが職場においてご経験されたようなパワハラに対して、如何に対応するのがベストなのかに関しても同様の経験が私にもあります。
その職場における自己の存在意義が高いと判断できる範囲では、未熟にもそれに耐えるべく方策を練ったような記憶が私にもあります。
ですが、既に我が将来の夢を他の分野に求め始めた頃からパワハラなど許し難い!と感じ始めた私だったのかもしれません。(私の場合、自分の我がままが強く、大したパワハラを受けてはいないのですが…)

子どもをはじめ弱者に対しては、どのような状況下であれ決して暴力行為をしてはいけないことを我が身を持って反省しきりです。
我が子はその後それなりに順調に育っています。おそらく私が過去において手を上げたことも忘れ去っているのでしょう。 
ですが、小さき我が子を叩いた事実を私自身が忘れる事が出来ないでいるのです。今尚自責の念に駆られ続けています。 自分自身の心の解放のためにも、決して弱者に暴力を振るってはならないと肝に銘じる私です。
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isseiさんは勇敢でしたね! (原左都子)
2011-07-31 15:53:46
私が過去においてさほどの喧嘩を売らなかったのは、結局臆病者だったとの結論に達しそうです。
そうしますと、少し後になって企業の上司に対して反論できるようになったのは人間として成長できた証だとも言えますよね!

いえいえisseiさん、私はきっとまだまだ臆病者なのですよ。
だからこそ、ジムの店員さんに対して喧嘩を売らずに済んでいるのです。

それにしても、はやりたとえ趣味とは言え私ほどの年齢ではまだまだ上達を目指したいものです。 体を動かしたから満足だとか、少しでも健康のためになったからよしとの解釈では虚し過ぎます。
別に舞台に立たなくてもいいのですが、何事においても自分自身の判断において日々の達成感を得たいものです。
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