この鉄則が恒例になったのは、上京後からだろうか?
とにかく化粧をしてヘアスタイルを整えて着る物をセレクトして、全身像を鏡で確認してそれがバッチリ決まってからでないと出かけない、との鉄則が私にはある。
思い起すに、郷里で学生だった頃にもお洒落をする部類の女子だったことは間違い無いのだが。 今ほどのこだわりは無かったかな? とも思い起す。
何故 これが鉄則になったのかの、我が心理を説明するならば。
これが決まると、とにかく私自身が心底安心できるのだ。 そして 自信が湧いて来る!
とにもかくにも、今日も私は「バッチリ決まってるぞ!!」的な。😝
ところが 高齢域に入っている今現在、そんな我が慣習に多少の翳りが出始めている。
とにかくこの慣習とは面倒臭いし、ある程度の時間がかかるのだ…
特に冬場に近くのコンビニ(我が家の斜め前にあります)に行く時等は、(ええい! 面倒くさいから家着の上にロングコートを羽織り、マスクをして行こう!) との事態になるのが、ここ2,3年は定例化してしまっている。😱
それでも 電車に乗る時にはもちろんのこと、徒歩のみでもある程度の距離がある場所へ行く際には、やはり原則的に“お洒落”をして出かけている。
何故かと言えば、それで“いい思い”をする機会が多いのだ。
例えば、スーパーのレジの方が声掛けして下さる、「素敵な柄のスカートですね!」「そのマスク、お洒落ですね!」 等々と。
この前 金融機関に行った時など、「カラーコーディネートが決まっていて素敵なファッションですね! よくお似合いです!」とまで言ってもらえたのは。 単に私が「大口顧客(と言ったとて大したことは無い…)😜 」だった故かもしれないが…
そんな一言でウキウキする単純な人間であることを重々承知・自覚の上だが。 人間とは所詮その程度のものであろうし、私自身はそんな場面を肯定的に捉えている。
こんなエッセイを書こうと思ったのは、本日先ほど 2025.05.07付朝日新聞記事小説家・千早茜氏による「蟄居歓迎」を読んだことによる。
早速、以下に一部を引用しよう。
極力、外に出たくない。 出来る事ならば家にずっといたい。 小さい頃からそうだったし、学生時代は毎日学校に行くことが苦痛でならなかったので、まともな社会人になれないだろうと諦めていた。 なので、家にいても仕事が出来る小説家になれたらいいな、と思っていた。
運良く小説家を生業にできて15年以上が経った。 しかし、やれ打ち合わせだ、やれ取材だと、案外家を空ける。 人との付き合いも出版パーティもある。最も驚いたのは、人前に出るのを厭わない同業者がいることだった。 (中略)
毎日外に出たいと言う友人もいて、「家にいて何が楽しいの」と問われる。 (中略) 今は猫もいるので、嫌なことがあっても癒される。 自分のかたちを保つ場所として家が最適なのだ。 今はリモートワークも普及し、人それぞれの働き方が選べるようになってきたので「予定はないが家にいたい」と堂々と言っていいのかもしれない。
(以上、朝日新聞より一部を引用したもの。)
この千早茜氏とやらの小説家氏を、申し訳ないことに 私は一切存じていないのだが。
そのご自身の専門分野で ある程度の活躍をされ、世に知名度を上げられておられる人物であろうと想像する。
そんな社会的に恵まれた立場にして、どうしてそれ程までに“引きこもり”とも表現できそうな「蟄居」を好まれておられるのだろう???
ここはどうか、思い切ってお洒落をして外出してみてはいかがでしょうか??
見知らぬ方から、「素敵な柄のマスクですね!」なんてお声をかけられるだけでも、俄然と心が明るくなるものですよ!!