原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

ここ4,50年、私は「風邪薬」とやらを飲んだことが無い

2023年12月06日 | 医学・医療・介護
 左膝複雑骨折の際に救急搬送された病院では、「投薬」に関して患者の意思を尊重してくれた記憶がある。

 例えば、私の場合「痛み止め」がその主たる対象薬だったが。
 初回の左膝切開・針金導入手術後にすぐに看護師氏が「痛み止め」をベッドまで持参してくれたのだが、看護師氏曰く「もしも痛みが出なければ飲まなくて結構です」。
 その時の我が印象としては、(投薬に関して随分と進化している病院だなあ。)だったものだ。😃 
 手術後とは患部の痛みと言うよりも、麻酔が冷める際のあの不快感の方がよほど苦しいものだが。 とにかく、痛み止め薬には手を出さなかった私だ。

 退院の際に 今度は薬剤師が「痛み止め薬」を5日分程持参してやって来た。
 咄嗟の我が感想としては、(要らないなあ…)だったが、強制的に手渡されたため、やむを得ず自宅に持ち帰った。 参考だが、そのまま手つかず状態で放置してある。


 逆の事例だが。
 この病院では、患者が持参して来た薬類の全てを薬剤師が回収して回る(退院時に返却してくれたが)との措置が採られていたようだ。
 この私も、「太田胃散」と「ムヒ」と「オロナイン」を持参していたのだがそのすべてを回収されてしまい。 特に「ムヒ」が無いことに困惑させられた。😖  年寄りとは皮膚に痒みが出やすい(私だけか!?!?)ものだが、回収措置に苛つかされたものだ!

 それに比し、担当医師先生の対応は素晴らしかった! 私が「要らない」と主張した投薬をすべて取りやめて下さって退院に至ったものだ。
 特に2度目の「膝挿入針金除去手術」の担当医師先生は、“痛み止め”をはじめ、ただのひとつの投薬も無きままに私を退院させて下さった事実に、感謝申し上げたい思いだ。



 話題を大きく変えて、2023.12.03付朝日新聞「社説・序破急」科学・医療社説担当 行方史郎氏による「かぜ薬飲まずにすむ社会に」と題する記述の一部を以下に引用しよう。

 2か月前に飲んだかぜ薬(総合感冒薬)の箱を見て改めてため息が出た。 厚労省は市販薬に使われている六つの成分を「乱用等のおそれのある医薬品」に指定し、若年者に販売する際のルールを定めている。 (中略)
 むろん、本来とは違った目的で使うのが乱用であり、薬の安全性に問題があるということではない。
 だが、乱用の取材をするうち、毎年冬が近づくとかぜ薬のCMがいくつも流れ、薬局の店頭に山積みされる日本の現実をどこか怪奇に感じるようになった。
 かぜ薬には7~8つもの成分が同時に含まれる。 海外ではせいぜい3~4種類だという。 これが日本の特殊性だ。 本来は必要のない成分まで摂取してしまう恐れがあり、互いの成分の相互作用にも気を付けなくてはならない。
 例えば、私(行方氏)の飲んだ薬にはアレルギーの治療で使われる成分が含まれている。 これには、ジヒドロコデインの依存性を強める働きが報告されている。 (以下略)
 かぜの多くはウィルスが原因で、市販薬を飲んでも速く治る訳ではない。 あくまでもつらい症状の緩和が目的だ。 それでもなお、かぜ薬を医薬界が認めるのは、それを飲んで仕事をしたり学校へ行ったりする必要性に迫られているからだろう。 (中略)
 ただ、そのためには体調不良時の不意なキャンセルに社会全体で寛容にならねばならない。 自分で自分を手当てするセルフメディケーションはいいとしても、仕事のためにかぜ薬を飲まなくてもいい社会の実現を夢物語で終わらせたくはない。

 (以上、朝日新聞「社説」より一部を引用したもの。)



 そうだなあ。
 朝日新聞社の行方氏がおっしゃる通り。 投薬に際してご自身の症状を周囲に感染させてはなるまい、等々の必要性に迫られてそれを成している人材もこの世に多数存在する事に間違いないだろう。

 ただ、医学関係者の一人として私はアドバイス申し上げたい。

 やはり投薬等々の医療行為とは、結果として“ご自身の身を守れてこその存在価値”ではなかろうか。

 この原左都子の場合、申し訳ないが元々医学関係者であるが故に。
 安易に投薬に依存するとの失策は、元より避けて通れる自負があるのだが。

 そうではない一般人の方々にも、少しは市販薬の弊害等々を自身で判断しつつの購買利用行動を採って欲しい。 
 としか、結論づけられない気もする…
 

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