原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

旅行中は電子機器やネットから離れてはどうか?

2016年11月24日 | 時事論評
 一人の若者が、旅行中にかけがえのない命を失った……

 コロンビアにて持参していた電子機器を強奪され、それを取り返すべく犯人を追いかけたところ銃で撃たれたとの報道だ。


 以下に、「コロンビア邦人殺人事件 被害者は一橋大学学生(22)と判明 」と題するネット情報を要約引用させていただこう。

 11月19日に南米コロンビアのメデジンで邦人男性が殺害される事件が発生した。 その後、現地警察の捜査でパスポートの情報などから被害者が千葉県船橋に住む一橋大学の学生で井崎亮さん(22)であることが判明した。
 井崎さんは大学4年になった時に大学を休業し、世界一周の旅に出ていた。 来年の2月には日本に戻ってくる予定で、大学の友人は帰国した際に合う約束をしていたという。 事件現場となったメデジンには事件当日に訪れたばかりだった。
 メデジンを訪れた時に井崎さんは電子機器を持って歩いており、その時に後ろから来た男から電子機器を強奪されたため、井崎さんは犯人を追いかけた。 男ともみ合いとなった際に別の男から銃で撃たれ死亡した。 現地警察では2人組の犯行とみて捜査をしている。
 井崎さんの訃報を知らされた家族は現地に向かっている。
 井崎さんが最後に更新したブログにはメキシコの首都・メキシコシティーを訪れた様子が書き込まれており、ブログの最後にはこれからコロンビアに向かうことが綴られ「次はコロンビアへ!ついに南米上陸です!楽しみ!」と旅行を楽しんでいる様子が記載されていた。
 過去メデジンは大規模麻薬組織の拠点として世界最悪の治安と言われていた。 しかし近年では大きく改善され1991年に人口10万人当たり266件殺人事件が発生していたが、2015年には20件と激減していた。 外国人が殺害されたのは今年に入り4人目という。
 楽しみにしていた南米大陸で最悪な事件が起きてしまった。 井崎さんのご冥福をお祈りします。
 (以上、ネット情報を引用紹介したもの。)


 ここから、原左都子の私事に入ろう。

 私も、どちらかというと“旅行好き”な人種に分類されるのであろう。
 そんな私だが、旅行を実施するに当たり私なりの「旅」に関する鉄則が2つある。

 その一つは、“一つの旅を3度楽しむ”という事だ。 如何なる鉄則か、以下に紹介しよう。

 まずは、立案・計画。
 旅とは、基本的に「個人旅行」の形で実施するべきというのが我がポリシーだ。 そのためには、旅に関する事前の立案・計画・調査作業が欠かせない。
 この作業がこれまた楽しみでもある。 来るべく出発の日まで、この作業により既に想像上旅に出たかのような感覚に陥る事が可能となる。
 私の場合、本格的な個人旅行に出たのは独身時代30歳過ぎて以降だ。 その後、婚姻・出産の後に家族旅行を実施するに当たっても、ずっと私が旅の立案・計画作業を担当して来た。 家族のツアーコンダクターである私は十分に周知の上で旅に出たのだが、果たして事前作業に一切加わっていない家族は旅を如何に楽しんだのかどうか??

 2つ目として、旅本番を楽しむのは言うまでもない。

 旅を楽しむ3つ目とは、帰宅した後の作業だ。
 私の場合、当該「原左都子エッセイ集」がその役割を果たしてくれている。
 旅先で撮影した写真を閲覧しつつ、今回の旅を如何にエッセイとしてまとめるかが旅行後の私の課題となる。
 オピニオンエッセイ公開を主軸としている我がエッセイ集の場合、単に「行って来ました。見て来ました。」のみではない、自己の思想やポリシーを必ずや「旅行記」に盛り込みたい。 そのためには、旅道中の観察力やメモ書き作業も欠かせない作業だ。 ただそれ程苦労せずして、いずれの旅行に関しても我が脳裏に「感激」「反感」「不可思議」等の思い出が刻み込まれているものだ。
 それらの感情を表出しつつ「旅行記」を綴る時間も、私にとってかけがえのない「旅」の一部だ。
 昨日も Popular Entries に 1月に実行したイタリア旅行記の一つ「ローマ・テルミニ駅編」がエントリーしていた。 おそらくこれを閲覧して下さる方々とは、実際にテルミニ駅を利用したいがために閲覧されたものと推測する。 本日自分でこのエッセイを読み返して、テルミニ駅を利用したあの日の我が感情が鮮明に蘇った。  これぞ、4度目の旅の楽しみとも言えよう。


 我が旅に関する次なる鉄則とは。
 
 それは、いつも旅に出る直前に当該エッセイ集にて公開している通り、旅道中に決して電子機器類を携帯しないという事実だ。
 いや、さすがに国際情勢の治安が急激に悪化した現在に於いて、本年1月にイタリア旅行に出る際には「国際通話可能携帯電話」は持参した。 ただ、これはあくまでも“緊急時対応対策”であり、ただの一度も発信する事は無かった。  8月の台湾旅行とて同様だ。(ホテルのバスタブで後頭部強打した時には、もしかしたら緊急連絡を要するかと懸念したが、それも結果として自力で乗り越えた。

 何故、旅行の際に私が電子機器を持参しないかと言えば、(特に国内旅行の場合)私にとって重要でない発信着信が過去に数多くあった事実が鬱陶しかった故だ。 (その後、ネットから携帯に着信しない設定に切り替えて長年が経過している。)
 この私も、ご覧の通り「原左都子エッセイ集」をネット上に公開している身だ。 確かに公開初期は反応が来る事自体が嬉しい時期もあった。 ところが、既に10年近くの年月に渡りそれを公開している身としては、「旅行中くらい、我がエッセイ集から解放されたい」と思うのが正直なところなのだ。
 旅行から帰宅した後にそれを確認すれば済むし、帰宅後ゆっくりと「旅行記」を公開しつつ、相変わらず読者の皆様がご訪問下さる事実に触れるだけで私にとっては十分嬉しい事だ。

 例えば商用旅行の場合、国内外を問わず電子機器を携帯するのは不可欠なのだろう。
 そうではなさそうなのに、電子機器を持参している旅人を多く見かける時代であるし、旅行中の映像が数多く公開されている現状でもある。
 別に報道でもあるまいし、素人が実況中継をする必要もないだろうに… などと私など感じてしまう…

 要するに、自分の旅行を電子機器を通じてネット上で公開したい人種とは、自分が今まさに実行している旅程を誰でもよいから受け入れて欲しいし、かつその反応を要求しているのだろう。


 最後に、冒頭の大学生コロンビアにて強奪殺害事件に戻ろう。

 このエッセイを綴る前に、当該大学生が旅行中に公開したらしき写真やそれに対するネット上の反応の一部を垣間見た。
 殺害された旅行者が旅先で撮影したと思しき写真と共に、ネット上で種々雑多な反応コメント(と言うより“チョイ書き”と表現するべきか……)が渦巻いていた。
 到底、被害者である大学生を熟知した上で述べたコメントではない事を想像すると辛い想いを抱く……

 私は、決して当該大学生が旅行に出た事実を否定する訳ではない。
 それ自体は素晴らしい事だ。
 ただ、単身で長期間世界旅行に出るに際して、もう少し丹念な計画・下調べをして欲しかった思いもする。
 どうしても旅行中に電子機器にてネット上に発信したいのであれば、特に治安情勢が危ぶまれる国に於いては、ホテル自室内に留める等の自己防衛の認識が欲しかったものだ…
 
 本エッセイの最後に、不運にもコロンビアにて強奪被害に直面した当該大学生のご冥福をお祈りする。

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