(冒頭写真は、本日の朝日新聞広告欄より転載したもの。)
先週のことだが、郷里の実母から電話があった。(最近とみに実母からの電話が多いが…)😫
その際に、実母が話すには。
実母と年齢が近い妹(おそらく80代後半頃の年齢)の夫氏が亡くなったらしい。
それまで夫婦仲が悪く(と言うより、母の妹が夫氏に対していつも不満を溜めていたようだが)、夫氏が現役時代仕事に出かけるに際し毎日「行ってらっしゃい、(死んでらっしゃい)!」と心の中で叫んでいたとのことだ。
ところが夫氏が亡くなるなりその勢いはすっかり抜け去り、日々呆然と過しているとの事だ。
まあ、長年連れ添った夫婦間ではよくある話だろう…
さて、冒頭写真に話を戻そう。
これ、本エッセイ集でお馴染みの某週刊誌広告より転載したものだが。
私に言わせてもらうに、またまた“お節介”この上ない!
それでは、我が身に照らしてこの記事内容を検証してみよう。
まず、「夫婦はどちらかが死んでからが本当の人生 最後は必ず一人になるからこそ、備えておきたいこと」。
我が夫婦の場合、そもそも晩婚だ。
お互いに長~~~~~い独身時代を主体的に謳歌・堪能した後に婚姻に至っている。
直ぐに子どもが出来たのはよかったのだが、その高齢出産の娘が事情を抱えて誕生している。 母の私は娘のサリバンとして日々娘の支援・教育指導に精を出し、夫は二の次(実際は手が掛かる夫だが、私に対する理解はありそれに助けられたとも言えよう。)生活に突入した。
我が夫婦の場合、途中で3ヶ月間のみ離縁した経験がある。 それがあるが故に私は思うのだが、「どちらかが死んでからが本当の人生」とのフレーズは決してすべての夫婦には当てはまらないことであろう。 あの時正直言って、亭主が出て行ってくれて大いに助かった。 離縁条件が整っていたこともあるが、私はそれまで以上に娘のサリバン業に没頭できた。 別に帰って来てくれなくて良かったのだが、「どうしても帰りたい!」との亭主の希望に添ってたったの3ヶ月後に復縁した。
今後の展望をしても。
おそらく亭主が先にあの世へ行くであろうが、我が家の場合とうの昔から“独立採算制”を採用していることが一番の理由で、私の生活に特段の変化は無い事であろう。
「一人になるからこそ備えておきたいこと」と雑誌記事は言うが、私にとっては過去の長き独身時代に戻るようなものだ。 娘のサリバン業が継続するであろう自体が、むしろ我が張り合いになるとも言えよう。
「何が大切か、何を変えるべきか、何を変えないべきか」??
そんなこと長き独身時代に日々考え、主体的に行動していたよ。 あの頃に比べると年齢を重ねている分、もっと発展系の思考が叶い充実した生活を送れる気すらする。
「何も残してくれずに死んでいった夫へ」
一体どんな妻だったんだ?? 100%夫に“おんぶに抱っこ”状態だったのだろうか?? 「何も残してくれない」と夫が死んでから嘆く前に、妻側から“独立採算制”を提案する等、主体的に夫亡き後の自らの生活設計意識を持っておくべきだよ。
「最後に間違えた夫婦の末路」
この内容を読むと、失礼ながら“馬鹿夫婦”としか表現できない故に割愛するが。
あるいは、我々夫婦の年代よりもずっと古い年代の夫婦をターゲットとして記載した記事なのだろうか。
と言うのも我々夫婦程(60代後半期)の年代ならば、この週刊誌記事に書かれている内容程度の事項など既に日々実践していることだろう。
最後に、私事に戻るが。
私の場合は、亭主が仕事に出かける際には毎日毎日「行ってらっしゃい」と言って送り出したが、まさか(死んでらっしゃい)とは思いもしなかったなあ。
まあたまには外で飲み食いして来てくれたら助かるなあ、くらいは思ったけどね。😜 (実際亭主飲み会の日には、夕飯の支度がラクできるぞ! と、どれほど嬉しかったことか!)
そんな亭主が3ヶ月間出て行ってくれた時の感想を正直に話すならば。
久々の開放感に浸れたのが事実だ。
ただ、今思うにあの出来事はやはりまだまだお互いに“若気の至り”故の失策だったということだろう。(家計面での損失が多大だった…)
高齢域に達した今に至っては、やはりお互いに労り合いながら長生きを目指し精進しつつ日々を暮すべき、という事であろう。