本日昼食中のことだが。
本日付け朝日新聞を読んでいた亭主が冒頭の記事を見て、「トヨタはこの“コロナ禍”にもかかわらず巨額黒字予測のようだし、ホンダも純利益2倍超の見通しらしい。」と私に告げる。
これに応えて私曰く、「今時車の無い家は都会でも珍しいよ。 我が家などその部類だけど、とてつもなく貧乏人だと思われるのだろうね。 一昨日義母不動産物件を見に行った時にも、不動産管理会社の方に“本日は車でいらっしゃいましたか?”と尋ねられたよね。 あの質問って、車の無い家の人間としては何ともばつが悪いね。」😨
私が続けて、「そう言えば我が家が3台目の車を廃車して既に10年以上が経過している。 私の記憶に一番残っているのは、娘が高2の東日本大震災時に、親が学校まで迎えに来るように学校から言われた時よ。 車が無いからではなくて、都心の道路や鉄道網が帰宅難民等々で大混乱状態だった故に、安全確保のために私の判断で娘を体育館で寝泊まりさせる決断をしたのだけど。 娘の若き担任が娘に対して「家に車が無いのか?」と尋ねたとの話を後で聞いて、正直なところ愕然とさせられた。 教育者が生徒に対して発するべく言葉か!と後で腹立たしくて仕方がなかった。 ただ、娘(及び同類の家庭)が体育館にて教員達に一夜お世話になったから、やむを得ないのかとも思ったが…」
話題を変えよう。
我が家の亭主はまさに上記のホンダ系列“本田技術研究所”勤務だったが故に、社員販売により2割程格安にて結婚後3台車を買い換えた。
ところが、何分“異様なまでのド近眼”の亭主に特に遠距離車の運転をさせると、次の日には寝込む程体調不良になるとの悪癖があった。
それ故に私が車の運転を担当して、特に娘の習い事の送り迎え等をずっと頑張って来た。 その私も、本当のところは車の運転が苦手で苦手で… 😟
娘が中学生になり電車乗り換えで遠距離通学をするようになって以降は、我が家内に誰一人として車に乗る人間がいなくなった状態でそのまま車を(月々高額のマンション内駐車場に)放置していたのだが。
車検の都度無駄金を叩きつつ、「もう廃車にしてもいいんじゃない?」と私が提案し、やっとそれを実行に移したとのいきさつだ。
それでも尚、上記のごとく「本日はお車で来られましたか?」などと尋ねられるてしまうと、何だかか“貧乏人”を実感させられる私だ。
この件に関して亭主は如何なる感覚を抱くのかを尋ねると。
「実際、今時自家用車が無い家など全国でも稀だろうね。 特に過疎地では車は必需品だ。 何処の家にも2,3台の車を保有していることだろう。」
確かにそうだ。 我が郷里の実親に関しても、一人一台ずつ車を保有し日々の生活の足として乗らない日は無かったことだろう。
話を都会に移しても、車が無い家とは今時珍しいのでは無かろうか?
(これに関しては、我が娘が生まれながらに持っている事情もある。 何分自転車にすら娘小3までの我がサリバン自転車指導にもかかわらず乗れなかった我が娘だ。 サリバンの判断でこの自転車指導を小3で切り捨てた。 そうでもせずして他に教育するべき課題が盛り沢山の、我が娘の真の未来が描けない。 ましてや、車の運転など他者の命がかかわる業だ。 娘本人も自転車に乗れなかった事態を勘案しているのか、車の運転免許を取りたいとは一切申し出ることはない。)
話題が横道に逸れ続ける今回のエッセイとなってしまったようだが。
我が家の面々が、今後一切車の運転をすることは無いであろう。
大都会暮らしにして、それで何ら困惑することもない。
一家3名が公共交通網やタクシー、そして何よりも“徒歩”に依存しつつ日々を健康に暮らせていけている事実こそが、自家用車廃車に踏み切った最大のメリットと結論付けらるであろう。😀