原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

ビッグデータに潰される人間の思想

2017年05月12日 | 学問・研究
 一昨日(5月10日)朝日新聞夕刊文化面 「文芸・批評」ページに、大変興味深いコラムを見つけた。


 早速、作家 池澤夏樹氏による「ビッグデータとAI 思想は力を失うのか」を要約して以下に紹介しよう。

 プロダクションに勤める友人が嘆く。 どんな企画も皆ビッグデータに潰される、と。 「それは売れない」とビッグデータが言っている、で終わり。 人々の心の奥で出番を待つ思いへの回路をビッグデータが断ち切る。
 これはほんの入口に過ぎない。 思想はやがて社会の動向を左右する力を失うのではないか、とぼくは悲観的なことを考えている。 以下は、未来への外挿、一つのSFの案と思っていただきたい。

 無力を導くのは情報革命だ。
 昔々、ホモ・サピエンスは抽象思考の能力を得て精神革命を起こし、他のホモ属に差を付けた。 農業革命によって生産能力を飛躍的に高め、科学技術革新によって今見るような社会を築いた。
 その先で待っていたのが、情報革命。
 コンピュータの発明が、その後インターネットと組み合わされ、更に近年に至って通信コスト、記憶装置のコストが何桁も低くなった。 結果として、社会基本構造が根底から変わりつつある。
 社会は人間同士の関係から成る。 はじめは対面による個体識別、言語を得てからは噂が加わり(第三者の誕生)、官僚機構による統治が広まり、それに抗する個人の思想が書物を通じて社会全体を動かすようになった。
 つまり、これまでは交友、言語、制度、思想などが人間と人間を繋いできた。
 資本主義社会になってから金銭の媒介が加わり、今では人間はまずもって消費者だ。 個人の消費行動は、おにぎり1個の買い物からすべてネットを通じてビッグデータ主体に報告される。 思想信条、その時々の思いはSNSから抽出される。
 ビッグデータ主体にとって、一個人の思想などどうでもいい。 そんなものは怖くない。
 個人のふるまいすべてがネットを通じて集積され、集計され、解析され、保存される。 これがビッグデータだ。 そして、最も大事な解析を担うのは人口知能(AI)だ。  知能という言葉に何か人間的なものを期待してはいけない。 
 ビッグデータには社会の現況がそのまま入っている。 これが広告に応用される。 つまりビッグデータ主体はこれに基づいて社会の舵を取る事ができる。

 ビッグデータは世論調査と違って全数が対象だから誤差は皆無。 それに沿って広告戦略を組み立てる。 結果に於いて得票数が半分を超えればよいのだ。 人々の欲望を読み解き、共感と反発が拮抗するぎりぎりのポイントを狙い政策を設計する。
 広告業者は売れと言われた商品の価値を問わない。 それはこの業界の職責でもなければ、その倫理もない。 例えば欠陥車であるか否かは契約外だ。
 その瞬間瞬間の国民の感情がことを決める。 しかしその感情はビッグデータ主体の操作の対象だ。 これは究極の平等社会だろうか。
 ビッグデータ主体の正体とは何だろう? 今や国家のはるか上空にある超企業??
 わからないのだ。 ビッグデータ主体自身にも自分の正体は分かっていない。 生まれたばかりの怪物だから。
 思想はファッションでしかない。 コンピュータとネットワークに騎乗したホモ・サピエンスは何か別のモノに変身しつつ逸走している。 手の中に手綱はない。 ただしがみつくばかり。

 (以上、長くなったが 朝日新聞コラム 池澤夏樹氏の記述より要約引用したもの。)


 次に「ビッグデータ」とは何かに関して、ネット情報を参照してみよう。

 ビッグデータとは何か。
 これについては、ビッグデータを「事業に役立つ知見を導出するためのデータ」とし、ビッグデータビジネスについて、「ビッグデータを用いて社会・経済の問題解決や、業務の付加価値向上を行う、あるいは支援する事業」と目的的に定義している例がある。 ビッグデータは、どの程度のデータ規模かという量的側面だけでなく、どのようなデータから構成されるか、あるいはそのデータがどのように利用されるかという質的側面において、従来のシステムとは違いがあると考えられる。
 データを利用する者の観点からビッグデータを捉える場合には、「事業に役立つ有用な知見」とは、「個別に、即時に、多面的な検討を踏まえた付加価値提供を行いたいというユーザー企業等のニーズを満たす知見」ということができ、それを導出する観点から求められる特徴としては、「高解像(事象を構成する個々の要素に分解し、把握・対応することを可能とするデータ)」、「高頻度(リアルタイムデータ等、取得・生成頻度の時間的な解像度が高いデータ)」、「多様性(各種センサーからのデータ等、非構造なものも含む多種多様なデータ)」の3点を挙げることができる。これらの特徴を満たすために、結果的に「多量」のデータが必要となる。
 他方、このようなデータ利用者を支援するサービスの提供者の観点からは、以上の「多量性」に加えて、同サービスが対応可能なデータの特徴として、「多源性(複数のデータソースにも対応可能)」、「高速度(ストリーミング処理が低いレイテンシーで対応可能)」、「多種別(構造化データに加え、非構造化データにも対応可能)」が求められることとなる。
 このように、ビッグデータの特徴としては、データの利用者やそれを支援する者それぞれにおける観点から異なっているが、共通する特徴としては、多量性、多種性、リアルタイム性等が挙げられる。ICTの進展により、このような特徴を伴った形でデータが生成・収集・蓄積等されることが可能・容易になってきており、異変の察知や近未来の予測等を通じ、利用者個々のニーズに即したサービスの提供、業務運営の効率化や新産業の創出等が可能となる点に、ビッグデータの活用の意義があるものと考えられる。
 (以上、総務省が公開している「ビッグデータ」に関するネット情報より一部を引用したもの。)


 原左都子が分かり易く(?)「ビッグデータ」に関して解説してみよう。

 例えば、コンビニ店舗がどんなおにぎりを販売したらより多くの利益を上げられるかを検討する場合に、このビッグデータを利用するとする。 
 その情報源とはコンビニ店舗が顧客に入会を煽っているポイントカード等より得る。 
 皆さんも様々なポイントカード入会を勧められた経験がある事だろう。 その際、無料でポイントカードを発行するに際し、必ずやスマホやパソコンから個人情報を入力することが義務付けられ、それを実行せずしてポイントが貯まらないシステムとなってる。 それに素直に従って入力したデータこそが、ビッグデータ蓄積の大本となる。 (要するに、無料の代償とは個人情報の提供にあるのだ。)
 ポイントが貯まったと糠喜びしていると、その背後では、何処に住む何歳の誰が氏かが何月何日に何処かのコンビニで何と言う種類のおにぎりを購入した。 なる個人情報データがそのままビッグデータの一つとして登録蓄積される事となる。 そんなデータが巨大化した結果としてのビッグデータの恩恵で、何処のコンビニには如何なる顧客層が多いか少ないか、どんな顧客がどんなおにぎりを購入しているか、等々の情報がフィードバックされ店別の売上利益が増すとの仕組みだ。

 この事例の場合その総数が巨大である故に、自分の個人情報が危機に瀕する事はおそらくなかろう。


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 ビッグデータの恐怖とは、まさに池澤夏樹氏が記されている通り、近年の情報革命のとめど無き発展により人類の思想が社会の動向を左右する力を失わせる事態となる事にあろう。

 池澤氏の論評通り、人間社会の発展とは人間個々の交友、言語、制度、思想関係から成り立って来た。 
 人類の歴史に於いて、その時代はとてつもなく長かったはずだ。
 この私もその恩恵を賜りつつ、その発展を自身の自己実現の糧として生きて来た人種であると自負している。
 紀元前より築き上げた素晴らしい人類の歴史発展を一瞬にして踏みにじるがごとく、その所産のすべてがインターネットの発展により潰されてしまうかのような危機感が私にもあるのだ。

 ビッグデータの発展を歓迎しその野望により巨額の富を得んとする人種の陰に、それにより失われゆく人間の思想とのかけがえ無き所産喪失に対し大いなる痛手を抱く人間も存在する事を、世のビッグデータを操る主体者に告げたいものだ。