5月の連休が始まった一昨日(4月29日)の事だ。
仕事が休みの娘が、普段の休日のごとく昼過ぎに起きて来た。
何分いつ何時も物静かで寡黙な娘である。
私が「おはよう」と声を掛けると、小さい声で「おはよう」と応える。
「お昼ご飯出来てるよ」 と言いつつ、立て続けに私が、
「あっ、そうそう。 バリー・マニロウのCDが午前中に届いたから聞かせてあげようか?」 (参考だが、娘も私同様生来的に音楽好きなのだが、生後は私の影響を受け音楽の趣味が似ている。 このバリーマニロウのCDはつい最近母娘で相談・選択してアマゾンのギフト券で届けてもらったものであり、娘もその到着を楽しみにしていた。)
いつもなら趣味の話題に移ったこの辺から寡黙な娘も乗ってくるはずなのに、ここまで会話を進めてもどうも娘の反応が鈍過ぎる。 CDの中から娘が特に好きな「コパカバーナ」を流しても、相変わらず寡黙なままだ…。
(ちょっとおかしいな)と思い始めた私に、食事の一口をフォークですくった娘がやっと私に一言告げた。
「体調が悪い…」
(早く言えよ)と言いたいところだが、これは我が娘に対しては“禁句中の禁句”故に口が裂けても言わないサリバンだ。
早速、サリバン母としては問診から始める。 「どこかが痛い?」
娘応えて「前頭部が痛い。それに少し吐き気がする。」
「まず熱測ろうね。」と体温計を娘に渡しながら、娘の額に我が手を当てるとどうやら熱はなさそうだ。
更には体温測定中に娘の脈拍を簡易測定してみても、むしろ私よりも遅い脈拍だ。(この辺で既にサリバン母の私の方が精神的に動揺していたかも?!)
問診を続ける。 「夜中に眠れなかったとか、昨日何か嫌な事があった?」 (と言うのも、前日娘の残業が長引いたとの事で帰宅が遅く、母娘間の会話時間が少なかったのだ。 「そういう事はないと思うけど……」と心細そうに娘が応える。
更にサリバンが娘に問う。 「妊娠していないよね?」 娘応えて「そういう行為はしていない。」 (実はサリバン母の私は、娘のその辺の行動に関しても水面下で常に観察・想像しているが、サリバンとしても我が娘に関してはそれはないだろうと判断していた。 ただし年頃の娘を抱える親とは、その辺まで思いを馳せておく義務があろうと私は考えそれを実行している。 それにしても我が娘も偉い! 通常、親からのその分野の質問に対し「そういう行為はしていない」との回答を返すのは、この世の中で我が娘だけかもしれないような気もする。
ここでサリバン母として、娘の今回の「症状」に対し一応の診断を下した。
「おそらく貴女(娘)は木曜日に飲み会もあって連日帰宅が遅く実際心身共に疲れているのだろう。 しかも5月の連休に突入した事(参考のため娘は月火はカレンダー通り出勤予定だが)に、知らぬうちに貴女の心身が安堵したのではなかろうか。 それはそうとして、今どうしたい? 昼飯を食べるのが苦痛ならば食べなくていいよ。 もっと寝たいならそうすればいい。 水分補給はするべきだからベッドまで麦茶を持って行く?」
と私が提案すると、娘はそれに従った。
娘が自室にて寝ている途中何度もサリバン母である私が様子を伺いに行くと、現在23歳にまで成長している娘が、まるで幼き頃のような安心した顔つきを私に見せる。
「具合はどう?」と尋ねつつ娘の額に手をのせ、手首に手をのせ熱や脈拍を測ると、やはり何らの変動も無く平常値を維持している。 「大丈夫だよ。何も異常がないよ。」と告げると、娘は安心してまた眠りについてくれる。
その後2日が経過した5月1日の今朝、娘は無事に回復して、いつものように朝食を食べ仕事に出かけて行った。
おそらく、今夜も無事に帰宅してくれることであろう。
最後に、原左都子の私論に入ろう。
我が子が体調を崩した際の、親の子供への接し方は各家庭に於いてまさに千差万別である事だろう。
しかも、おそらく多くのご家庭では子供さんがご生誕の頃より健康に恵まれ、その後も順調に育っておられる事であろうと推測する。
ところが我が家のごとく、出産時のトラブルにより生来的に不具合がある子どもを授かった場合、その後の対応に於いて大変な目に遭わざるを得ない。
我が子に何らかの異常が発生すれば、「まずは医療機関を頼りましょう」なる専門家筋のアドバイスを受けてしまう。 それに素直に従い続けていると、日常的に二人三脚での我が子の指導教育に加え、数々の医療・教育機関へ我が子を誘わねばならず、その手間に親として疲れ果ててしまうのだ。
そんなある日、私は気付いた。
私とて医学部出身者だ! しかも教育者としての職歴もあるではないか!?! しかも日々新しい情報を得て学ばんと努力を続けている自分を自らが信じずしてどうするのか!?
何も得体の知れないその道の“専門家筋”と名乗る人物達の“言いなり”にならずとも、娘の親である私こそが主体的にこの子の命を守ろうではないか!
そんな事をサリバン母が決意し実行に移した頃から、娘は娘なりの目覚ましい発展を遂げてくれた。
ここしばらく「体調不良」をサリバン母に訴えなくて済む程に、実際健康体を維持していた娘だ。
今回の娘の訴えに対しては、サリバン母の判断及びその後の処置が正解だったと自己評価している。
ただしまさに我が娘が今後更に発展を遂げ、サリバンの判断を超えるべく成長した場合、如何に対応するべきなのか?
そんな我が娘の成長・発展を想像しつつ引き続きサリバン視線で見守っていきたいものだ。
仕事が休みの娘が、普段の休日のごとく昼過ぎに起きて来た。
何分いつ何時も物静かで寡黙な娘である。
私が「おはよう」と声を掛けると、小さい声で「おはよう」と応える。
「お昼ご飯出来てるよ」 と言いつつ、立て続けに私が、
「あっ、そうそう。 バリー・マニロウのCDが午前中に届いたから聞かせてあげようか?」 (参考だが、娘も私同様生来的に音楽好きなのだが、生後は私の影響を受け音楽の趣味が似ている。 このバリーマニロウのCDはつい最近母娘で相談・選択してアマゾンのギフト券で届けてもらったものであり、娘もその到着を楽しみにしていた。)
いつもなら趣味の話題に移ったこの辺から寡黙な娘も乗ってくるはずなのに、ここまで会話を進めてもどうも娘の反応が鈍過ぎる。 CDの中から娘が特に好きな「コパカバーナ」を流しても、相変わらず寡黙なままだ…。
(ちょっとおかしいな)と思い始めた私に、食事の一口をフォークですくった娘がやっと私に一言告げた。
「体調が悪い…」
(早く言えよ)と言いたいところだが、これは我が娘に対しては“禁句中の禁句”故に口が裂けても言わないサリバンだ。
早速、サリバン母としては問診から始める。 「どこかが痛い?」
娘応えて「前頭部が痛い。それに少し吐き気がする。」
「まず熱測ろうね。」と体温計を娘に渡しながら、娘の額に我が手を当てるとどうやら熱はなさそうだ。
更には体温測定中に娘の脈拍を簡易測定してみても、むしろ私よりも遅い脈拍だ。(この辺で既にサリバン母の私の方が精神的に動揺していたかも?!)
問診を続ける。 「夜中に眠れなかったとか、昨日何か嫌な事があった?」 (と言うのも、前日娘の残業が長引いたとの事で帰宅が遅く、母娘間の会話時間が少なかったのだ。 「そういう事はないと思うけど……」と心細そうに娘が応える。
更にサリバンが娘に問う。 「妊娠していないよね?」 娘応えて「そういう行為はしていない。」 (実はサリバン母の私は、娘のその辺の行動に関しても水面下で常に観察・想像しているが、サリバンとしても我が娘に関してはそれはないだろうと判断していた。 ただし年頃の娘を抱える親とは、その辺まで思いを馳せておく義務があろうと私は考えそれを実行している。 それにしても我が娘も偉い! 通常、親からのその分野の質問に対し「そういう行為はしていない」との回答を返すのは、この世の中で我が娘だけかもしれないような気もする。
ここでサリバン母として、娘の今回の「症状」に対し一応の診断を下した。
「おそらく貴女(娘)は木曜日に飲み会もあって連日帰宅が遅く実際心身共に疲れているのだろう。 しかも5月の連休に突入した事(参考のため娘は月火はカレンダー通り出勤予定だが)に、知らぬうちに貴女の心身が安堵したのではなかろうか。 それはそうとして、今どうしたい? 昼飯を食べるのが苦痛ならば食べなくていいよ。 もっと寝たいならそうすればいい。 水分補給はするべきだからベッドまで麦茶を持って行く?」
と私が提案すると、娘はそれに従った。
娘が自室にて寝ている途中何度もサリバン母である私が様子を伺いに行くと、現在23歳にまで成長している娘が、まるで幼き頃のような安心した顔つきを私に見せる。
「具合はどう?」と尋ねつつ娘の額に手をのせ、手首に手をのせ熱や脈拍を測ると、やはり何らの変動も無く平常値を維持している。 「大丈夫だよ。何も異常がないよ。」と告げると、娘は安心してまた眠りについてくれる。
その後2日が経過した5月1日の今朝、娘は無事に回復して、いつものように朝食を食べ仕事に出かけて行った。
おそらく、今夜も無事に帰宅してくれることであろう。
最後に、原左都子の私論に入ろう。
我が子が体調を崩した際の、親の子供への接し方は各家庭に於いてまさに千差万別である事だろう。
しかも、おそらく多くのご家庭では子供さんがご生誕の頃より健康に恵まれ、その後も順調に育っておられる事であろうと推測する。
ところが我が家のごとく、出産時のトラブルにより生来的に不具合がある子どもを授かった場合、その後の対応に於いて大変な目に遭わざるを得ない。
我が子に何らかの異常が発生すれば、「まずは医療機関を頼りましょう」なる専門家筋のアドバイスを受けてしまう。 それに素直に従い続けていると、日常的に二人三脚での我が子の指導教育に加え、数々の医療・教育機関へ我が子を誘わねばならず、その手間に親として疲れ果ててしまうのだ。
そんなある日、私は気付いた。
私とて医学部出身者だ! しかも教育者としての職歴もあるではないか!?! しかも日々新しい情報を得て学ばんと努力を続けている自分を自らが信じずしてどうするのか!?
何も得体の知れないその道の“専門家筋”と名乗る人物達の“言いなり”にならずとも、娘の親である私こそが主体的にこの子の命を守ろうではないか!
そんな事をサリバン母が決意し実行に移した頃から、娘は娘なりの目覚ましい発展を遂げてくれた。
ここしばらく「体調不良」をサリバン母に訴えなくて済む程に、実際健康体を維持していた娘だ。
今回の娘の訴えに対しては、サリバン母の判断及びその後の処置が正解だったと自己評価している。
ただしまさに我が娘が今後更に発展を遂げ、サリバンの判断を超えるべく成長した場合、如何に対応するべきなのか?
そんな我が娘の成長・発展を想像しつつ引き続きサリバン視線で見守っていきたいものだ。