原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

自分が浮気した事実など死んだ後まで隠しておこう

2015年08月31日 | 恋愛・男女関係
 この世の中どうも、自分が浮気をした(している)事実を周囲に口外して自慢したい人間がうようよしている様子だ。

 原左都子の浮気(不倫)に関する私論としては、当エッセイ集 2009.6.3 バックナンバー「隠れてコソコソやる美学」等々にて既述の通りである。
 手短に語ると、浮気(不倫)をするなとは言わないが、どうしてもしたい場合は、自分を取り巻く近親者を決して不幸に陥れてはならないのが鉄則であり、隠れてコソコソやれ。 それを貫くには相当の覚悟と能力が必要、との趣旨だ。


 上記 「隠れてコソコソやる美学」 の結論部分のみを、以下に少しだけ紹介しよう。
 ここで私事を小さい声で話すが、過去の長き独身時代に既婚男性とのお付き合い経験が何度かある。 要するに“不倫”だが、“不倫”とは女性側に「愛人能力」のバックグラウンドが欠かせないであろう。 「愛人」である女性が、精神力、お金、頭脳、これらを完備していてこそ上下関係なく対等に妻子ある男性と渡り合え、たとえ一時であれ(自分自身が“実り”あったと後で振り返ってみて思える)充実した期間を共有できるように感じる。  この能力なくしては、“愛人”との名の下に単に女として“お安く”利用され、“ポイ捨て”されるだけなのではなかろうか。(そういう行動を取る既婚男性側も、もちろん“お安い”のだけどね。)  ただ「愛人能力」があったところで“不倫”とは真面目に取り組むほどに、とにもかくにも“辛く”尚且つ忍耐力を要する事象である。 心中には常に相手の妻子に対する“嫉妬心”が渦巻き、必ずやいつか訪れる“終焉”に日々怯えつつの付き合いである。
 私論は、たとえ“不倫”と言えども、一人格者として周囲に対する礼儀は貫こう、と心得るべきとの事だ。 二人の密室関係である“不倫”に周囲の人々を決して巻き込むべきではないし、ましてや相手の家族等の部外者を不幸にしてはならない、私の場合はそれを肝に銘じての付き合いだった。 それ故に愛人であることを表舞台で決して公開してはならない。 相手への熱い思いを内心に閉じ込め、張り裂けそうな“辛さ”を一人で耐え抜き、普段は何もないふりをしていつも通りの生活を貫き通す。  これが私の“不倫”における「美学」でもあった。  
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用。 参考のため、このエッセイには当時の我がエッセイ集男性ファンより少なからずのバッシングが届いた。 要するに、あなたにガッカリしたし軽蔑する、そんな軽はずみな女性だとは思っていなかった、今後あなたのエッセイ集は読まない。  それに対する私の感想を言えば、そのお気持ちは分かる。 ただ反論もある。 我が美学に基づき、その辛い経験を通し人間味が増し大きく成長出来た自分が今ここに存在していると思えるからこそ、年月が流れた後にエッセイとして綴り公開したのだ。)


 さて大幅に話題を変えよう。

 今回のエッセイを綴るきっかけを得たのは、朝日新聞8月29日付“悩みのるつぼ”である。
 75歳女性による 「夫が死ぬ前に過去の浮気を告白」 と題する相談を、以下に要約して紹介しよう。
 私の夫は亡くなる2ヶ月前に「20年間浮気をしていた」と言った。 私と結婚して12年程経った頃から続いていたそうだ。 仕事関係の同僚であり、その女性とは仕事に行く途中や車の中でも密会を重ねていたと言い、私は驚くばかりだ。 問い詰めたところ、主人は「あまり好きじゃなかった」と答える。 女性側からよく誘われて何となく続いたと言う。 女性との関係をやめたのは主人が病気になったからと言いつつも、本来妻である私を連れて行く場所へも彼女を連れて行ったと聞き、これが一番こたえる。 結婚後54年、主人が病床についてからも長年支えて来ている。 主人は趣味を堪能しつつ好きに生きた人だ。 その一方で、我が夫婦は娘を大学に行かせることも叶っていない。 気持ちの持って行き場に困っている。 

 ここで一旦、私論に入ろう。

 この相談者のご亭主とは死ぬ間際の2ヶ月前の時点で、もしかしたら“単に”痴呆症状に苛まれていただけではあるまいか?
 そんな病床にあって、本能的に一番信頼している相談者である奥方が自分の死に際を看取ろうと介護に励んでいる姿に感動して、何かを語りたくなったと推測出来ないであろうか?

 と言うのもつい最近の春頃、短期間ではあったが、私も我が亭主が入院して手術を受けるとの事態に直面している。 その際亭主が入院している病棟に日々通い、ベッドに寝かされている亭主に「調子はどう?」と気遣う私に対し、普段決して見せる事が無い優しい表情で私の訪問を喜んでくれたものだ。 現在の都心の大病院は「完全看護」が鉄則であり、私としては単に亭主の病棟を短時間訪問しただけなのに、その亭主の喜び様に私側も改めてフィードバックをもらったものだ。

 もしも我が推測が正しいとしても、確かに死ぬ間際に、相談者のご亭主は何も自分の過去の浮気履歴など奥方に語る必要はなかっただろうに…。
 これぞ、私が相談者のご亭主が“痴呆症状”に陥っていたと判断する所以だ。
 ただ、ご亭主がパートナーである相談者に語った内容と、我が亭主が婚姻後初めて手術入院した際、日々まめに病院通いして亭主を支える妻の私に優しく接してくれた事実が、我が脳裏に錯綜するのだ…。


 今回の“悩みのるつぼ”回答者であられる 三輪明宏氏の回答内容結論部分を以下に紹介しよう。

 相談者はご主人の事を悩むよりも、そのケースとは一般的な普通の恋愛や浮気と一緒にしてはならない。 今回の相談ケースの場合、相手との関係に悩む事や、会いたいと恋い焦がれる思いが一切ないように見受ける。 そんな事で相談者が真面目に悩んだり、苦しんだりする必要なない。


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 あのねえ。 いくら老いぼれたと言っても、自分が死ぬ間際に54年間もの長きに渡り一番お世話になった配偶者相手に、「浮気をした事がある」などと決して失言しないような脳内訓練を今からしておくべきだよ。
 どうせ、女関係に疎い男どもがこの種の失言をしでかすのだろうねえ。

 そして、同じく男関係に疎い女性がこれを真に受けて、配偶者亡き後にも苦しむのだろう。

 世の高齢者男性どもよ。 ここは生前にて頭がしっかりしているうちに、自分自身の男女関係の歴史を自分なりに総括しておいては如何なのか?  
 朝日新聞“悩みのるつぼ”相談内容のごとく、自分が一番お世話になった妻に対し、決して死に際に「自分には浮気相手がいた」などとの到底許し難き失言を吐かないよう、今から心して準備しておくがよい。