原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

ツーカーに会話が弾む相手に出逢える偶然

2015年08月05日 | 人間関係
 昨日、私は義母がお世話になっている介護付き有料高齢者施設へ出かけた。

 今回の用件は、当該施設が入居者に介護サービスを提供するに当たり義務化されている「施設サービス計画書」の内容に保証人の立場として同意し、署名及び捺印をするためだ。

 この「施設サービス計画書」を年に2度入居者個々に一通ずつ作成して下さるのが、義母担当のケアマネジャー氏である。(その内容たるや、A4用紙数枚に渡り詳細に記載されている。)
 当介護施設には約50名の要介護(要支援)高齢者が入居しているが、その作成を“事実上”スタッフのトップであるケアマネジャー2名が分担している。 そしてそれらケアマネジャー氏が作成した「計画書」に従い、日々下部スタッフの皆さんが実際の高齢者ケアに当たっているとの職務構造だ。 
 (参考のため、組織図上のトップは「ホーム長」であり、その下に「副ホーム長」が配置しているが、事実上日々高齢者と実際に関わる職種の最上位がケアマネジャー氏とのことである。)


 我が義母の場合、入居当初より介護施設の保証人を担当していた義理姉が2年程前に癌による壮絶死を遂げた。 その後、長男である我が亭主が保証人を引き継いだのだが、その実態とは妻である私がほぼ全面的に義母の保証人の役割を果たしているとも言えよう。
 保証人として一番深く係るのが、当然ながら義母の担当ケアマネジャー氏である。 「計画書」の署名捺印以外にも、施設内で何らかの問題が発生すると直ぐに自宅まで連絡を下さるのも担当ケアマネジャー氏だ。

 2年半程前に故義理姉から引き継いだ保証人業務にて初めて施設を訪れた折から、私は義母担当のケアマネジャー氏を“信頼し得る人物”と高評価申し上げていた。
 その理由とは専門力はもちろんの事、何よりも“ツーカーに会話可能な人物”なのだ。 その感覚を当初より持たせて頂いていた。 氏は介護の専門力に長けておられると同時に、(入居者に対してはちろんのこと)保証人との会話力の程が素晴らしいのだ。  私の場合、自分自身が元医学関係者であり介護分野に関してもある程度の認識力があると自負している。 そんな私に何の失礼もなく、いつも変わらぬ真面目で真摯かつ明るい態度で対応して下さるケアマネジャー氏である。


 さて、昨日私は一人で当該施設を訪れた。 訪問以前より電話にてケアマネジャー氏に、保証人の妻の立場の私一人で署名・捺印もOKとの了解を取っておいた。

 そして、ケアマネジャー氏と私との“二者会談”が始まった。
 ケアマネジャー氏曰く、「実の息子さんの前ではお伝えし辛いお話が山とありまして…」。 今回は嫁の立場である私と話したい事が沢山あるの事だ。
 こちらとしても私が一人で出かけたのは、義母に関する懸念点が嫁の立場からもあり、それをケアマネジャー氏に伝えておいた方がよいと判断していたためだ。

 こうなれば、会話が弾むに決まっている。
 その後1時間近くに及び、ケアマネジャー氏と私との会話は続いた。 その内容とは義母の今後のケアに関する施策が本筋であるのは当然だが、担当ケアマネジャー氏と義母の嫁である私との会話がツーカーだった事自体が、今後の義母の介護にとって更なる幸運をもたらすであろう実感を得たものだ。


 話題を表題に戻そう。

 若き時代には、誰しも“ツーカー”で通じ合う相手と難なく出会える(出会えたと“勘違い"出来る)のであろう。
 この私にも、そういう感覚に陥り自分はこの相手と“ツーカー”の関係と信じ、付き合いを開始し、それを続行した経験は星の数ほどある。
 
 ところが人間とは年輪を重ねる毎に、必然的に人との付き合いに於いて“ツーカー感”を実感出来なくなる生物ではなかろうか。
 実際問題、私が今現在“ツーカー感”を一時でも感じられる相手とは、ネット上にしか求められないと言っても過言ではない。  例えば、当「原左都子エッセイ集」に様々な形でメッセージをお寄せ下さる方々など、まさに一時の“ツーカー感”を頂いている事実に感謝申し上げたい思いだ。

 片や現実世界で出会う相手とは誰しも種種雑多な事と想像する。 が、たかが一期一会の出会いであれ双方に“ツーカー感”をもたらしてくれ1対1の会話が1時間近くも続く関係など、今の時代に於いては滅多やたらと到来しないのではなかろうか。

 義母のケアマネジャー氏に関しては、決して“一期一会”の出会いではなく義母の命がある限り今後も続く関係である。 そんな関係に於いて、今後共良き関わりを続行出来そうな感覚を持たせて頂ける事に感謝申し上げたい。
 


 それにしても、表題に掲げた「ツーカーに話が弾む相手に出逢える」事など、個人情報・プライバシー保護制度が発展した(し過ぎた)時代背景も相まって、実際問題として現実社会に於いてはまさに“ミラクル”な出来事と化してしまっているのではかなろうか?

 原左都子自身が、ネット上よりも現実世界での現実人物との“実りある出会い・付き合い”を今後も目指し続けている事に関しては、バックナンバーにて幾度となく繰り返している。
 単なるletter(文字)交換ではなく、真実の生身氏との会話がずっと楽しく、それこそが我が心身を活性化してくれる源でもあると信じている。 今後共相手の眼差しや微笑み、そんな五感を揺さぶってくれる現実世界の人物との会話こそを充実させるべく願っている。