原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

人の倫理観と判断能力より先走った「出生前診断」技術を憂う…

2013年05月11日 | 時事論評
 原左都子は過去において、医学関係国家資格取得者として医療基礎研究分野の業務に携わった経験が幾度かある。

 そのため、臨床現場より離れた場でその種の試験研究を実施する場合、ややもすると生身の人間の生命尊厳との観点が抜け落ちてしまい、身勝手にも研究そのものの成果を上げる事に目標置換されがちであることにも思いが及ぶ…。

 例えば私の場合、20代の頃は「免疫学」分野の試験研究業務に携わっていた。
 (「原左都子エッセイ集」開設当初の2007年10月 学問・研究カテゴリー 「sef or not self」と題するエッセイに於いて当時の我が熱き研究魂を公開しておりますので、よろしければご参照下さい。)

 今から遡る事数十年前に、若かりし私が具体的に如何なる試験研究を行っていたかに関して、現在記憶している範囲内で少し述べさせていただこう。
 免疫を司っている“リンパ球”等免疫細胞の膜表面特性をミクロの視野で探る事により“リンパ球”を更なるサブクラスへ細分化した上で、ヒトの各種免疫疾患において如何なるサブクラスの“リンパ球”が増減しているのかを追跡するのがとりあえずの目的であった。 それをさらに臨床段階における“新検査”として確立する事により、実際に各種免疫疾患に罹患している患者さん達の診断や治療に臨床現場で役立てもらう事が最終目的の試験研究だった。

 私の場合は臨床現場である病院に就職した訳ではなく、民間企業に於ける試験研究実施に過ぎなかったため、「臨床」に直結していないとの大いなる“弱点”を常に抱えつつの業務だった事は揺ぎない事実である。
 しかも民間企業の場合常に「利潤」追究意識が社員に課せられる。 当時若気の至りの私はとにかく真面目に業務に取り組んだものの、 (この試験研究が実際上病に苦しむ患者さん達に何らかのプラスに成り得るのだろうか? そうとは考察できず、ただただ何も知らずに医師の検査指示に応じている患者さん達の犠牲の下、我が企業に利益をもたらしている部分こそが多大なのではなかろうか??) などとの疑問符を抱きつつの試験研究業務遂行だった事を、今更ながら当時の一社員の立場としてお詫びしたい思いでもある…… 


 話題を今回のエッセイ表題の「出生前診断」に移そう。

 まずは「出生前診断」とは何かに関するジュニア向けの簡単な説明を、朝日新聞4月27日記事より一部を引用して説明しよう。
 妊娠中の母体の血液を採って胎児に染色体異常があるか否かを調べる新しい出生前診断が今月から始まった。  
 我々の体は60兆個もの細胞で出来ていて一つひとつの細胞の中に23対46本の染色体が入っている。 この染色体に異常がないかを胎児の段階で調べるのが出生前診断だ。 これまでの検査では異常の可能性の高低しか分からなかったのに加えて、母体の羊水を採取して調べる必要があったため胎児流産の危険性も伴っていた。 新しい出生前診断は、母体の血液を少量採取するのみで済むため流産の心配がない。  この新検査では3種類の染色体の異常が判明するが、その中でもっとも多いのがダウン症だ。 「異常なし」との結果の場合、ダウン症でないことが99%の確率で確認できる。
 ところが、新検査は母親はじめ家族に「赤ちゃんを産むか産まないか」の重い決断を迫る。 そこで日本産科婦人科学会は、新しい出生前診断のルールを決定した。 妊婦が高齢者の場合や他の出生前診断で染色体異常の可能性が分かった場合に限定した。 加えて専門家がいる病院のみでその診断を行う事にした。 高齢出産が増大し、女性が一人目の赤ちゃんを産む平均年齢が30歳を超えている。 年齢が上がるほど胎児の染色体異常の確率が高まるため、今後検査の希望者が増えると予想されている。 
 赤ちゃんの100人に3~5人は何らかの病気を持って生まれるが、新しい検査で分かるのはその2割に満たない。 障害は多様な個性の一つとも考えられる。 こうした人た達を社会から除外しかねない技術にどう向き合うか?
 (以上、朝日新聞4月27日記事より要約引用。)


 再び原左都子の私事を述べるが、私も上記朝日新聞記事の例外ではなく「高齢出産」により子どもを産んだ部類である。
 我が子の場合は決して「染色体異常児」ではなく、“出産時のトラブル”により仮死状態で出生せざるを得ず多少の不都合を余儀なくされているに過ぎない。 それでも確かに「高齢出産」とは何らかの危険性を伴う事を身をもって実感している我が身であるのかもしれないとも考察する。

 「新型出生前診断」の場合は上記朝日新聞記事記載内容のごとく、日本産科婦人科学会がその診断に当たり一定のルールを設けている事に一応安堵する私である。
 それでも、そのルール内に位置する立場にある母親及び家族の皆さんの“揺れる思い”は如何ほどであろうか?
 そんな検査診断がこの世に開発されていなければ、普通に出産して誕生した生命であろう。


 最後に原左都子の私論でまとめよう。

 新たな「出生前診断」とは、あくまでも「染色体異常検査」範疇の域を出ていない。 
 しかもたとえダウン症児とて昔からその個性を存分に発揮されつつ多種多様な人生を歩まれ、この世に有意義な生命を刻まれているのが世の常だ。

 「染色体異常」でないにしろ、各種「障害児」がこの世に有意義に生を営んでいる実態は皆さんもご存知の通りである。
 仮死状態で生まれ出た我が子のその後の成長の程に関しては 当「原左都子エッセイ集」で幾度となく公開しているごとく、母である私の“お抱え家庭教師”実績等により“目覚ましい”までの歩みを遂げ続けている。
 新たに生まれ出るご自身の子の育成に親たる愛情とエネルギーを惜しみなく注ぎ続ける自信があるのならば、是非共「出生前診断」結果などに左右されることなく、その生命をこの世に誕生させて欲しいものだ。

 冒頭で紹介したごとく医学の発展など特にその内容が一般人に分かりにくい分野である程、個々の研究者の自我に過ぎない部分も大きいと、悲しいかな表現可能ではなかろうか?
 そんな一部の勘違い人種の“じゃれ事”研究成果よりも、一つの生命体の誕生の方こそが、この世に数段重く美しく燦然と輝く存在であるのだから…