原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「役割意識」を超越した人付き合いのススメ

2013年05月20日 | 人間関係
 ここのところ「原左都子エッセイ集」へのアクセス数が急増している。
 昨日は久々に“訪問者数”が 500IP を超過し、本日は若干減少したものの 350IP を記録している。 普段これ程のアクセス数がない我がサイトとしては珍しい現象だ。
 
 アクセス数にはこだわらず、あくまでも我がオピニオンを自由に発信することを主眼としてる原左都子の場合、ネット上の人付き合いを自らの意思と好みで最小限に選別すると同時に、何らの営業活動も実施していない。 
 そんな我がエッセイ集に一体全体何処のどなたが数多くご訪問下さっているのか不思議に思っていたところ、一つのキーワードらしきものを発見した。

 先だってのエッセイ内でも少し記したが、どうやら我がバックナンバーにおいて幾度かピックアップした 「ママ友」 関連エッセイが何処かのネット情報上でブレイクして、そのキーワードを通して「原左都子エッセイ集」へお越し下さっているように推測する。

 つい最近の5月6日に公開したバックナンバー「“ママ友嗜好派” v.s “ママ友敬遠派”」にての既述通り、私はバリバリの後者すなわち“ママ友敬遠派”に分類される母親である。 と言うよりも、私の場合下手をすると“ママ友毛嫌い派”と言えそうな程の“アウトサイダー的母親人生”を主体的に志向して母なる道程を歩んで来た人種とすら表現できそうだ。
 おそらく「原左都子エッセイ集」を訪れて下さる女性の方々とは、もしかしたら私と同類の“アウトサイダー的母親人生”を歩まれているのかと、失礼ながら考察したりもする。
 
 私の場合、決して「母親業」をサボりたいから“ママ友”なる人物達との接触を避けて来た訳ではない。  むしろ逆で、最近のエッセイにおいても再三記述している通り、我が子誕生以来「お抱え家庭教師」として母親業に精力を尽くし続けているがために、(正直言って)その種“無駄な時間”(度重なる失言ではあるが)を回避したかったとも言える。


 そもそも私は自分が「母親」になった事に関しても、我が人生のあくまでも“一場面”に過ぎないと把握しているところがある。
 要するに、人間が一生において様々な社会的「役割分担」を担当する中の一分野として「母親業」もこなしていると自覚している。 我が子が持って生まれた事情故にそれが日々壮絶な闘いであろうと、我が人生の全体像内の位置付けとしては“一分野”である事に間違いない。 もちろん私は生涯我が娘の母親であり、今後もずっと愛娘との最良の関係を続けていく事は当然だが、それはあくまでも私の「役割分担」の一部に過ぎないのだ。

 人は皆、社会生活上の様々な場面で現在の「肩書」を問われる機会がままあることであろう。 そういった場合に、特に女性の皆さんは如何なる「肩書」記述をしておられるのだろう??
 現在(不動産賃貸収入はあるものの)税法上の職業に就いていない原左都子の場合、「主婦」なる選択肢を採るべきなのであろうが、私はあえて「無職」を選択している。 何故ならば「母親」の自覚はあれども「主婦」の自覚はこの私には皆無だからである。
 言葉の定義などどうでもよい話であろうが、もしかしたら“ママ友嗜好派”の女性達とは「主婦」である事にも誇りを持っておられるのかな?、などと少し思ったりもする。(ご亭主やご実家の実績を「ママ友カースト」の上部に位置づけたいとの現役ママ達の他力本願的思考に触れると、そのような発想が自ずと浮かぶのだが……)  私ももちろん家庭内での各種作業を日々こなしてはいるものの、それらの作業にさほどの興味がない(分野にもより「子どもの指導教育」「家計管理」「外部交渉」などは得意である反面、「料理」嫌いは甚だしい…)が故に「主婦」なる肩書を回避する選択をしている。 (至って顰蹙ながら、今後法的に転がり込んでくる先代の遺産に関しては相続税を支払った上で享受する身となるかもしれないが……


 加えて私は、「主婦」だの「ママ」だの「おばちゃん」だの、とタイトルに銘打つ書物やブログには、一切興味がない。 と言うよりも、その文字を見ただけで“虫唾が走る”思いだ。
 その種の“狭い世界”で生きている人達も、おそらく“ママ友嗜好派”なのであろう。

 それが証拠に、5月1日朝日新聞「声」欄にて「女子会の食事で感心した店」なる56歳主婦による投書を発見した時にも、虫唾が走った。
 この投書内容の一部を以下に要約して紹介しよう。
 「おばちゃま女子会」という女性同士で食事と会話を楽しむ会を主宰しているが、50代が中心故に勘違いや物忘れで食事会を忘れる会員もいる。 そんな折、先日予約して行った店はそんな我々に嫌な顔をせず対応の上、心配りをしてくれた。 こんな店は数%しかない。この店を今後もまた利用したいと思う。

 原左都子の私論に入るが、「ゲゲゲ!!」(NHK「あまちゃん」の言葉を借りると“じぇじぇじぇ!!!”)である。

 ちょっと、待ってよ!?!  あなた達、まだ50代でしょ?!?
 その若さで“勘違いや物忘れ”故に世間の若き世代に迷惑をかけている場合でなく、今後まだまだ現実社会を背負って立たねばならない年代である事をどれ程“自己責任”とわきまえられているのかなあ。 今後さらに激化する高齢化社会を、我々の世代こそが主体的に支えていかねばならない自覚がもう少し持てないものだろうか。
 言っちゃ悪いが、この種の単純“老け込み”「おばちゃま」連中とはそもそも“ママ友嗜好派”であり、その種の狭い仲間内世界での人間関係だけを築いてこの世にのさばって来たのかとも考察する。


 最後に表題に戻って私論を展開しよう。

 確かに原左都子が産まれ出た時代(「もはや戦後ではない」との戦後復興期)に生きた女性達とは、専業主婦を目指す女性が大多数だったのかもしれない。
 そんな時代背景に於いて珍しい人生を自ら選択して歩んだ私とも言えるのだが、それにしても、この期に及び“ママ友嗜好派”が未だ存在する現実とはどうしたことか?(いえいえ、もちろん仲間内で仲良しをするのは人それぞれに勝手だが)  それはおそらくバブル崩壊後の経済不況が長引いたため、若き女性に就職難を煽った結果の一因もあるのかもしれない。
 それにしても年配者としては、ここは少し世間の若者世代の就職難にも目を向けよう。
  
 自分は「主婦」「ママ」との観点のみではなく、もっと幅広い視野を持って、この世に自己が生を営んでいる世界に総合的に目を向け、今一度自分自身の「役割分担」を再確認してはどうなのか? 
 少なくとも50代の若さにして既に現役をリタイアしたがごとく老け込み、「おばちゃま」視点から若者が経営している食事処をマイナス評価するなど、あり得ない醜態と私は考察するのだが……