5月21日の朝日新聞報道によると、世界19の国・地域で発行されているファション誌「ヴォーグ」が、痩せすぎや若すぎるモデルを今後は誌面に起用しないとの宣言を打ち出した、とのことのようだ。
早速上記記事を要約して、以下に紹介することにしよう。
日本版「ヴォーグ ジャパン」に於いても7月号からこの方針を採用するらしい。(既に28日に新方針版が発売されている。) 「読者の女性らが偏った体型基準を元に過度なダイエットに陥る等の弊害を防ぐため」との理由による。 ヴォーグ発行ニューヨーク本社は、「女性の美しいボディーのイメージを、より健康的なものにすることを呼びかける」と表明したことは、ファッション業界全般に渡って大きな影響力となり、波紋を呼ぶのは必須とみられる。 “健康的とは何か”との議論も起きそうだが、日本版ボーグ編集長は「美は千差万別で個別性が大事と考えている。イメージを作る側の役目として偏った美の理想を強めるような作り方をしてはいけないと思う。云々」と話している。 7月号では、国内著名女優やタレントを起用して食生活や健康への意識を紹介している。
(以上、朝日新聞記事より要約引用)
とりあえず私論は後回しとする。
この報道を受けて、早速5月27日付朝日新聞 「天声人語」 に於いて“痩せすぎ女性”を批判・非難するエッセイが公開された。
引き続き、以下にその一部を紹介しよう。
ファッション業界は、医療関係者や女性団体に促されてこの種(痩せすぎ女性こそが美の理想とする歪んだ思想)の自粛を繰り返してきた。 いよいよ大御所(ヴォーグのこと)の決断である。 その影響力はさぞやと思うが、日本女性の痩せ願望たるや欧米以上らしい。 2010年の国民健康・栄養調査によると、20代女性の29%が痩せすぎだった。 痩せすぎとは体格指数(BMI)が18.5に満たない体形をいう。 近頃の女性は食糧難の終戦直後と比べても細めというからたまげる。 5~17歳女子の平均体重も全年齢で前年を下回ったが、これは先進国でも稀な現象だ。 妊婦のスリム化もあって、新生児の目方までが減り続けている。 肥満は万病の元だが、痩せすぎも総身をむしばむ。 食べたくても太りたくてもそうできない人がいるのに、あえてガリガリを目指す修行は何とも美しくない。
(以上、朝日新聞「天声人語」欄より一部引用)
さてさて朝日新聞が言うところの、明らかに「痩せすぎ」人種に分類される原左都子の私論に入ろう。
私の場合、身長が165cm、体重(日々測定していると上下2~3%程度の変動はやむを得ないが、平均して)47㎏である。 この数値から体格指数(BMI)を割り出すとその結果は 17.3。
このスリム体形を20歳過ぎ頃より数十年来キープし続けているのであるから、原左都子とはまさにバリバリの「痩せすぎ」人生を全うしているということになろう。
ただ、私の場合は「天声人語」が指摘するところの“ファッション業界に煽られて”この体形を保持することを欲している訳では毛頭ない。 ましてや、「ヴォーグ」をはじめとするファッション誌を手に取ることなど数十年前より皆無でもある。 (我が十代頃発刊された“アンアン”や“ノンノ”を少し見た経験はあるものの、さほどの興味を抱けずその後その種の雑誌とは一切縁がない人生を歩んでいる。)
ならば何故私が、世間が言うところの「痩せすぎ」体形をあえて維持し続けているのかに関して説明するならば、それはこのスリム体形こそが自身の心身にとって一番心地がよく充実した日々を送れる事を実感しているからに他ならない。
元医学関係者の私であり、おそらく健康・栄養学に関する専門的観点も常にバックグラウンドとして脳裏にある。 故に私の場合は、商業主義やメディアに煽られるままに他力本願な選択をした結果が現在の「痩せすぎ」体形であるはずもないのだ。
そんな原左都子に言わせてもらえるならば、「痩せすぎ」女性の皆が主体性なき愚かな存在であるがごとくの言動は差し控えてもらいたい思いである。 この思想の原点として、産業界やメディアこそが市民の先導者であるがごとくの“思い上がり思想”の持ち主であることを見て取れるというものだ。
今回「ヴォーグ社」が勝手に美の尺度を変更するのは自由であるとしても、今の時代その動向に操られる女性が世界中で多発するとも考えにくい。 むしろ、今回の「ヴォーグ社」の“お騒がせ”とは、メディアを利用せんとの販売促進行動だったと受け取っている私だ。 (そんなものに朝日新聞「天声人語」たるものが乗せられるなよ…、とも指摘したい思いだ。)
本気で女性の健康を欲するならば、それは産業界主導ではなく、あくまでも医療健康機関が現在の女性の多様性を考慮、尊重した政策を発表した後に業界がしゃしゃり出るべきである。
もう一つ私論を付け加えさせてもらえるならば、人類の「痩せすぎ」現象を語るにあたって“女性”のみを標的にすることは、特に先進国においては控えるべきではないのか?
と言うのも、この種の議論において必ずや登場するのが“妊婦の体重”である(上記「天声人語」でも取り上げられているが)。 その事実に、原左都子が大いなる抵抗感を抱いているからに他ならない。
女性とは生来的に「産む性」としてこの世に生まれ出ているのであろうことは認めるが、現代は女性の皆が皆「妊婦」になって子供を産む事を強要される時代であるはずがない。
女性の痩身現象如何を語ること自体を否定する訳ではないが、どうか、女性個々人の“一人の人間”としての尊厳を慮り、それぞれの人生の選択肢の多様性にも少しは配慮して欲しい思いである。
新生児の体重減少傾向に関しては、ファッション産業界「ヴォーグ」が提唱する美の尺度の課題とは別の土俵に於いてメディアが取り上げるべき命題であったはずだ。
最後に参考のため付け加えるが、私自身は高齢出産にて我が子を産むに際して、元医学関係者として生まれ出てくる子供のためにその専門力を活かしつつ妊娠中は最大限の注意と配慮を払ったつもりだ。
その一端として私は徐々に母体の体重を増やしつつ出産間際には11㎏の体重増を記録して、当時「増やし過ぎ」との主治医のアドバイスが出ていた程である。
我が子が事情を持って生まれ出た医学的根拠に関しては、現在の医学上特定不能な事象であると見聞しているし、私もそれに同意している。
それでもこの種の記事を目にすると、妊娠当初「痩せすぎ」だった私の責任を問われているような思いがカムバックしてしまう。
根拠が薄く無責任な見解を産業界やメディアから公開されてしまうと、元医学関係者であろうが、我が子が立派に育ち行く今に至って尚、いつまでもいつまでも当時の我が母体要因を社会から責め続けられているような感覚が脳裏に堂々巡りしてしまう事実を伝えたい思いだ…
早速上記記事を要約して、以下に紹介することにしよう。
日本版「ヴォーグ ジャパン」に於いても7月号からこの方針を採用するらしい。(既に28日に新方針版が発売されている。) 「読者の女性らが偏った体型基準を元に過度なダイエットに陥る等の弊害を防ぐため」との理由による。 ヴォーグ発行ニューヨーク本社は、「女性の美しいボディーのイメージを、より健康的なものにすることを呼びかける」と表明したことは、ファッション業界全般に渡って大きな影響力となり、波紋を呼ぶのは必須とみられる。 “健康的とは何か”との議論も起きそうだが、日本版ボーグ編集長は「美は千差万別で個別性が大事と考えている。イメージを作る側の役目として偏った美の理想を強めるような作り方をしてはいけないと思う。云々」と話している。 7月号では、国内著名女優やタレントを起用して食生活や健康への意識を紹介している。
(以上、朝日新聞記事より要約引用)
とりあえず私論は後回しとする。
この報道を受けて、早速5月27日付朝日新聞 「天声人語」 に於いて“痩せすぎ女性”を批判・非難するエッセイが公開された。
引き続き、以下にその一部を紹介しよう。
ファッション業界は、医療関係者や女性団体に促されてこの種(痩せすぎ女性こそが美の理想とする歪んだ思想)の自粛を繰り返してきた。 いよいよ大御所(ヴォーグのこと)の決断である。 その影響力はさぞやと思うが、日本女性の痩せ願望たるや欧米以上らしい。 2010年の国民健康・栄養調査によると、20代女性の29%が痩せすぎだった。 痩せすぎとは体格指数(BMI)が18.5に満たない体形をいう。 近頃の女性は食糧難の終戦直後と比べても細めというからたまげる。 5~17歳女子の平均体重も全年齢で前年を下回ったが、これは先進国でも稀な現象だ。 妊婦のスリム化もあって、新生児の目方までが減り続けている。 肥満は万病の元だが、痩せすぎも総身をむしばむ。 食べたくても太りたくてもそうできない人がいるのに、あえてガリガリを目指す修行は何とも美しくない。
(以上、朝日新聞「天声人語」欄より一部引用)
さてさて朝日新聞が言うところの、明らかに「痩せすぎ」人種に分類される原左都子の私論に入ろう。
私の場合、身長が165cm、体重(日々測定していると上下2~3%程度の変動はやむを得ないが、平均して)47㎏である。 この数値から体格指数(BMI)を割り出すとその結果は 17.3。
このスリム体形を20歳過ぎ頃より数十年来キープし続けているのであるから、原左都子とはまさにバリバリの「痩せすぎ」人生を全うしているということになろう。
ただ、私の場合は「天声人語」が指摘するところの“ファッション業界に煽られて”この体形を保持することを欲している訳では毛頭ない。 ましてや、「ヴォーグ」をはじめとするファッション誌を手に取ることなど数十年前より皆無でもある。 (我が十代頃発刊された“アンアン”や“ノンノ”を少し見た経験はあるものの、さほどの興味を抱けずその後その種の雑誌とは一切縁がない人生を歩んでいる。)
ならば何故私が、世間が言うところの「痩せすぎ」体形をあえて維持し続けているのかに関して説明するならば、それはこのスリム体形こそが自身の心身にとって一番心地がよく充実した日々を送れる事を実感しているからに他ならない。
元医学関係者の私であり、おそらく健康・栄養学に関する専門的観点も常にバックグラウンドとして脳裏にある。 故に私の場合は、商業主義やメディアに煽られるままに他力本願な選択をした結果が現在の「痩せすぎ」体形であるはずもないのだ。
そんな原左都子に言わせてもらえるならば、「痩せすぎ」女性の皆が主体性なき愚かな存在であるがごとくの言動は差し控えてもらいたい思いである。 この思想の原点として、産業界やメディアこそが市民の先導者であるがごとくの“思い上がり思想”の持ち主であることを見て取れるというものだ。
今回「ヴォーグ社」が勝手に美の尺度を変更するのは自由であるとしても、今の時代その動向に操られる女性が世界中で多発するとも考えにくい。 むしろ、今回の「ヴォーグ社」の“お騒がせ”とは、メディアを利用せんとの販売促進行動だったと受け取っている私だ。 (そんなものに朝日新聞「天声人語」たるものが乗せられるなよ…、とも指摘したい思いだ。)
本気で女性の健康を欲するならば、それは産業界主導ではなく、あくまでも医療健康機関が現在の女性の多様性を考慮、尊重した政策を発表した後に業界がしゃしゃり出るべきである。
もう一つ私論を付け加えさせてもらえるならば、人類の「痩せすぎ」現象を語るにあたって“女性”のみを標的にすることは、特に先進国においては控えるべきではないのか?
と言うのも、この種の議論において必ずや登場するのが“妊婦の体重”である(上記「天声人語」でも取り上げられているが)。 その事実に、原左都子が大いなる抵抗感を抱いているからに他ならない。
女性とは生来的に「産む性」としてこの世に生まれ出ているのであろうことは認めるが、現代は女性の皆が皆「妊婦」になって子供を産む事を強要される時代であるはずがない。
女性の痩身現象如何を語ること自体を否定する訳ではないが、どうか、女性個々人の“一人の人間”としての尊厳を慮り、それぞれの人生の選択肢の多様性にも少しは配慮して欲しい思いである。
新生児の体重減少傾向に関しては、ファッション産業界「ヴォーグ」が提唱する美の尺度の課題とは別の土俵に於いてメディアが取り上げるべき命題であったはずだ。
最後に参考のため付け加えるが、私自身は高齢出産にて我が子を産むに際して、元医学関係者として生まれ出てくる子供のためにその専門力を活かしつつ妊娠中は最大限の注意と配慮を払ったつもりだ。
その一端として私は徐々に母体の体重を増やしつつ出産間際には11㎏の体重増を記録して、当時「増やし過ぎ」との主治医のアドバイスが出ていた程である。
我が子が事情を持って生まれ出た医学的根拠に関しては、現在の医学上特定不能な事象であると見聞しているし、私もそれに同意している。
それでもこの種の記事を目にすると、妊娠当初「痩せすぎ」だった私の責任を問われているような思いがカムバックしてしまう。
根拠が薄く無責任な見解を産業界やメディアから公開されてしまうと、元医学関係者であろうが、我が子が立派に育ち行く今に至って尚、いつまでもいつまでも当時の我が母体要因を社会から責め続けられているような感覚が脳裏に堂々巡りしてしまう事実を伝えたい思いだ…