原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

時代を超越して存在感を誇るアクセサリー達

2012年05月24日 | 芸術
 (写真は、昨日訪れた東京都目黒区の住宅地にひっそりと佇む 「アクセサリー ミュージアム」 にて買い求めたお土産品。  左は自分用の黒のイヤリング、下は娘へのお土産の赤系素材を使用したストラップ、 2枚の絵葉書の左側は1940年代フランス パリ・ヴァンドーム社製作のラインストーンチョーカー、 右側は1950年代アメリカのベークライトで製作されたチェリーモチーフアクセサリーのセット)


 今回の記事を綴るに当たり、まず上記「アクセサリー ミュージアム」に関して当該ミュージアムがネット上に公開されているHPを参照しつつ、紹介させていただくこととしよう。
 このミュージアムは、近代ファッションやコスチュームジュエリーに特化した私立美術館としては日本最大の規模を誇っている。 展示されているファッションアイテムは予想をはるかに超えて数多いのに加えて、アクセサリーに用いる素材の美しさを追求せんとした工夫の歴史的原点を十分体感できる美術館でもある。

 当該HPより館長であられる 田中元子氏 の記述を要約しつつ、以下にさらに紹介させていただこう。
 一瞬たりとも立ち止まることのないファッショントレンドはいつの時代も世相を映し、人々の「希望」の姿でもあった。 アクセサリーはそうしたファッションの傍らに常にあり、人々を飾り引き立て、時にはファッションを凌駕する存在感を主張してきた。 流動性が高いファッショントレンドの中にあって、アクセサリーはことさら潔くその場を立ち去っていくが、その動きの中で多くの技法や繊細な手仕事、素材などを失ってしまう結果ともなった。
 1960年代から日本のコスチュームジュエリーに携わり、現在に至るまでその変遷を肌を感じてきた私どもが折にふれコレクションしてきたジュエリー…。 そこには既に伝説化している、遺産とも言うべき職人達の高い美意識と知恵や工夫が結晶化している。 
 この度、私どもが設立した 「アクセサリーミュージアム」 では、これまで私的にコレクションした1950~2000年代に至る近代ファッション150年余のコスチュームジュエリーを文化・風俗といった時代考証を加えて展示している。  多くのものを失っていく一方で、新しく生まれまた蘇るものもあるのがファッションであり、アクセサリーである。 まさにそれは人の、そして時代の一生そのものと言える。
 私どもはこの 「アクセサリーミュージアム」 を通し、コスチュームジュエリーにご興味のある全ての方に、装いと共に生きることの豊かさ、それぞれの時代の持つエネルギーを感じて頂ければと思う。 小規模ながら表面的なものではない真の美しさとは何か、人が装うことの意味を問いながら、現在未来のすべての創造者への刺激となることを祈っている。
 (以上、「アクセサリー ミュージアム」館長 田中氏のHP記述より引用させていただいた。)


 原左都子が上記ミュージアムの存在を知ったのは、昨年も本エッセイ集にて紹介した「ぐるっとパス」を介してであった。 
 ここで参考のため 「ぐるっとパス」 とは、「東京の美術館・博物館等共通入館券実行委員会」が発行する 1冊¥2000ー との超格安にて購入できる、有効期限2ヶ月間内に提携各施設へ入場あるいは割引にて利用可能なチケット綴りである。
 「ぐるっとパス」を購入したのは今回が3度目の私だが、そろそろ目新しいミュージアムを訪問したいと志していた。 そんな思いと共に「ぐるっとパス」のページをペラペラめくっていて発見したのが、上記「アクセサリーミュージアム」だったのだ。

 何十年来スリム体型維持にこだわりお洒落好きな原左都子であるが故に、日頃、洋服と合わせるアクセサリーにも一応の関心がある。 
 かと言って、まさか本物の宝石には手が届く訳もなく(母や義母からそれらを多少譲り受けてはいるがデザイン面でダサくて好まず、ほとんどが鏡台の肥やし状態…)  普段自分で買い求めるのは似非物のアクセサリーばかりであるが、それでも自分なりにコーディネートして決まっている!と思える方が断然居心地がいいのだ!  宝石の価値を知る人にとっては、「何でこんな安物で満足してるの?」との評価となるであろうことは承知の上だが……。

 そんな私にとって、今回「アクセサリーミュージアム」を訪れるに当たり、一抹の不安材料が存在したことも確かだ。 私設ミュージアムであることはHPにて心得ていた。 もしかしてミュージアムショップで高額の宝石購入を強要されるのだろうか?!?
 そんな不安材料が無きにしもあらずだったものの、それでも私は是非共展示を観賞したいと志し昨日「アクセサリーミュージアム」へ一人で出かけた。

 私設のミュージアムとしては予想をはるかに超えてアクセサリーのコレクションが数多く、しかも素晴らしく整備コーディネートされた会場内に於いて、年代別に整然と数々のアクセサリーが展示されているではないか! (絵画や洋服、小物類も展示されている。)
 しかも、昨日はこの時期にしては思わぬ冷たい雨天だったことが功を奏したのか、私一人の来訪者のためにボランティアと名乗られる係の方が会場をずっと案内して下さったのである! (これは実にラッキーだったと後で振り返るのだが、そのボランティアの方のお名前をお伺いせずして大変失礼申し上げました…


 「アクセサリーミュージアム」に於いては、入口受付から年代順にコスチュームアクセサリーが展示されている。
 まず2階の入口を通過すると、そこには「アールデコ」の世界が広がっている。

 原左都子にとっての“アールデコ”との出会いは、東京都庭園美術館に位置する“旧朝香宮邸”であったことに関しては既に本エッセイ集バックナンバーにおいて綴っている。
 その時、ルネ・ラリック氏による正面玄関ガラスレリーフ扉の写真も昨年10月に現地に訪れた時点で紹介した。
 遡って我が30代独身の頃、そして昨年10月と2度訪れた“旧朝香宮邸”であるが、アール・デコとは、1925年にフランス・パリに於いて開催された美術博覧会の略称を由来する名称であることや、皇族の子孫である朝香宮家が何故この白金台の地にアール・デコの館を建てるに至ったのかについては、その時代に朝香宮家の先祖である皇室の子孫が1922年当時にフランスに留学したからとの事、加えてその頃のフランスはアール・デコの全盛期であったと記憶している。
 その後“アールヌーボー”の時代に突入し、“曲線美”を強調する歴史へと移り変わる。


 今回、原左都子はアクセサリーミュージアムで展示物の数々を観賞させて頂きつつ、そこに展示されているコレクションの特徴とは、その「素材」にこだわって製作されたことを実感させていただけた。
 例えば「ガラス」一つにしても、“アールデコ”の時代より、そこに“カゼイン”や“魚の鱗”等を混入することにより輝きを微妙なものとした新素材を造り出し、宝石としての地位を得たとのボランティア氏のお話があった。
 時代を現代に移すと、私も子ども時代に記憶にある「セルロイド」とは壊れやすい学用品のイメージしかないが、これもアクセサリーとして立派な地位を築いた時代があったこともその美しい作品と共に観賞できた。

 とにかく、「アクセサリー ミュージアム」 のミュージアムとしての素晴らしさは必見である。 
 しかもミュージアムショップに於いても“高価”な宝石を強要されることもない。 原左都子のごとく手頃な価格の手土産を抱えて帰宅した殿方が、奥方や娘さんを喜ばせる事も可能であろう。



 P.S.  当「原左都子エッセイ集」の記事にメッセージを頂戴しましてありがとうございます。 大変申し訳ございませんが「アクセサリーミュージアム」に関するご質問に関しましては、当該ミュージアムへ直接お問い合わせいただけましたら幸甚と存じます。 よろしくお願い申し上げます。(5月24日記)