原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

勝負事の醍醐味

2012年05月10日 | 自己実現
 人間が勝負事に挑んだりそれを端から観戦する場合、闘う者同士の力が拮抗していてこそ面白い。

 そういう意味では、もうすぐ開催されるロンドン五輪 競泳平泳ぎ 北島康介氏の金メダル争奪のライバル的存在だったノルウェー代表 ダーレオーエン選手の心不全による急死が実に残念であった事に関しては、本エッセイ集前回の記事で綴り公開したばかりである。

 そんな考察をする原左都子は、元々“勝負好き”人種であると言えよう。
 そもそも人の人生とは “勝負の連続” であるのかもしれない。
 内心では人知れず“勝った”“負けた”のドロドロした心の葛藤を繰り返しながら、現実社会の表面上は綺麗事を並べつつ良識的に振舞って世を渡っていくのが人としてのスマートな素養というものなのかもしれない、などと分析したりもする。

 例えばの話、昨秋娘を第一志望大学学部へ推薦合格させた時にも、正直なところ我が内心に“勝利感”が過ぎったものだ。
 こんな場面において他者との比較をするのはナンセンスとの事は重々承知しているものの、春になっても娘の周囲には大学合格がままならず例えば専門学校への進路を余儀なくされた同級生も存在したとのことだ。  事情を抱えている我が子の実力をとことん鍛え上げた結果としての“逆転勝利”と認識して、内心ほくそ笑んだのが正直なところである。 (今後我が娘にはまだまだ厳しい現実が続行することを承知した上での話だが…)


 “負けず嫌い”である事には間違いない私の長年に渡る趣味の一つに、テレビのクイズ番組観戦がある。
 昔一番好んだのが「クイズタイムショック」(俳優の田宮ニ郎氏が司会を担当していた頃が一番面白かった)であるが、現在あの番組は特別版を除いて放送されていないようだ。
 月曜夜に放送されている「ネプリーグ」も時々視聴している。 私が一番ライバル心を煽られるのが“東大チーム”だの“エリートチーム”だのと一種特権意識をくすぐられつつ登場するタレント連中である。  当然ながら番組を面白おかしく盛り立てる演出でしかなく、それらのチームのタレント達が必ずや高得点をマークするという訳ではない。 それは心得つつも、その種の “特権意識をいつまでも引きずって芸能界で生き延びるしか方策のないタレントども” にテレビの前で打ち勝っては清々している原左都子である。  (結局、私も妙なコンプレックスを未だに抱えているのかと自己分析するはめになる、というだけの話だが…

 今年4月からNHK午後1時のニュース直後の時間帯に放映されている「連続クイズ ホールド・オン」も時間が許す限り見聞している。
 ところがこの番組はさすがに昼の時間帯のクイズ番組であって出演者も一般市民よりの公募に頼っているため、設問が比較的簡単である。 番組冒頭のクイズに関してはおそらく全問正解できる視聴者が大方ではなかろうか?
 一時チャンピオンたる者が(言っちゃ悪いが)低レベルのせめぎ合いを続けつつ日々移り変わる時期があり、その頃に(こんなもの見ている暇はない)と一旦視聴をやめた私だ。
 再び見始めた現在、松田智潮くんと名乗る19歳の少年がチャンピオンとして快進撃を続けている! この松田くんの回答の程が素晴らしくてその快進撃の続行を見届けたく、日々番組を視聴している私だ。(今後チャンピオンが交代して“低レベル”に戻ったらまた見る気を失うと思うけど~
 テレビの放映力が万人に与える影響とは計り知れない事を、たかがクイズ番組、しかも昼の時間帯の番組であろうが考慮して欲しい思いだ。 視聴者である市民も多様化した時代であり、面白くない番組など見やしないことを肝に銘じて、真にクイズ回答力のある市民を選抜できるシステムをNHKは構築して欲しい、とこのクイズ番組を日々視聴して思うのである。


 「勝負事の醍醐味」と題して綴っている今回の「原左都子エッセイ集」に於いて、紹介したい我がもう一つの趣味がある。

 実は、私はパソコンゲームを好んでいる。 
 とは言っても、決してインターネットを介して実在の市民と対戦するバーチャルゲームではあり得ない。
 単にパソコンの中に元々内蔵されている各種ソフトのゲームを、一人で(あるいはたまに娘と)対戦しているだけの話である…。
 
 2ヶ月程前から原左都子がはまっているのが「挟み将棋」だ。
 元々将棋自体の経験が一切ない私だが、我が娘がパソコンでこの「挟み将棋」をやっていると聞いて私も負けじとチャレンジを開始したのだ。
 おそらく、元々の将棋ファンにとっては「挟み将棋」などほんの子どもだましの“じゃれごと”の位置付けである事だろう。 それは当初より認識していた私だが、これがどうしても勝てない…
 コンピュータ相手であるものの、憎らしい事にこれが勝てない。 
 絶対に勝つ! との勝利宣言を虚しくもコンピュータ相手にした私は、ある日突然、その絶妙な方策を見出したのだ!
 結局は“挟まれなきゃ”勝つのが「挟み将棋」の一番の勝法であった。(当たり前だけど…)  何で私はこんな初歩的な事に最初から気付かなかったのだろう…  と悔やみつつ端から順に上へ上へと根気よく相手を攻め続けたら、レベル5でも勝ちまくる“百戦錬磨”の日々が訪れたのだ。

 例えば「五目並べ」には“禁じ手”があるのに、「挟み将棋」には禁じ手制度がないのだろうか…  などと百戦錬磨の今となっては敗者であるコンピュータを気遣う程の余裕だ。  私にとっては闘いを優位に進めているのに「禁じ手!」との表示が出て出鼻をくじかれる「五目並べ」よりも、「挟み将棋」に実力で立ち向かった日々の方がずっと充実していたからこそのこの余裕である。
 “一人勝ち”が続き対戦相手がいなくなった「挟み将棋」を、もう引退するしかない原左都子の考察である…


 コンピュータゲームなど二の次でよいのだが、人間とは現実社会にライバルが存在してこそこの世を勝ち残っていかれるのではあるまいか? そしてその相手との力関係が拮抗していて初めて闘いが挑めるという事ではないのか??

 そんな相手を一生捜し求めて彷徨うのが人間の人生であることには間違いない。
 よきライバルを模索しつつ歩む人生にこそ、また新たな未来が訪れると言っても過言ではないであろう。