原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

電力使用料と快適生活との相関関係

2011年05月09日 | 時事論評
 福島第一原発事故発生直後より東京電力管轄地域に於いて輪番制で実施されていた「計画停電」は、現在休止中であると私は認識している。
 それは、東電管轄地域内の電力需要供給関係が現在の電力供給量で成り立っていると理解してよいということなのであろう。

 大震災発生直後は、3月中旬と言えども原左都子が住む東京においてもまだ厳しい寒さが押し寄せる日もあり、節電に協力して暖房を入れていない公共施設や電車内が多少肌寒く感じる事もあった。 あるいは、日本の高度経済成長以降長年に渡り公共施設や店舗内の照明の明るさにすっかり慣らされていた身としては、当初薄暗い室内や店内に違和感を覚えたのも事実である。
 
 ところが福島第一原発事故発生より2ヶ月程が経過しようとしている現在、(季節が移り変わり快適な初夏の時候と相成った今では)完全密閉構造で空調のすべてを電力に頼っているビルでもない限り、冷暖房など何ら必要もない事に改めて気付かされるものである。 また照明の薄暗さにもすっかり慣れた、と言うよりも、これ位の照明度合いの方がむしろ人に優しく落ち着ける雰囲気さえ感じられる今となっては、従来のように無駄な電力を消費して、真昼間から室内を煌煌と照らす必要など何もなかったことを再認識させられるというものだ。

 おそらく営利目的で営業している巷の各種店舗に於いても、今回の原発事故のあおりで店内の照明を控えたり空調を切ったり若干弱めに設定したからと言って、それが理由で売上高が減少したということはないのではあるまいか? 


 一方、公共施設に於ける節電対策に関しては、市民から“弱者に配慮して欲しい”との見解も存在するようだ。
 例えば、首都圏の公共鉄道の駅のエスカレーターは(ターミナル駅等の大規模駅は例外として)混雑時を除き現在運転を休止している。 これがお年寄り等の弱者の皆さんには過酷であることには間違いない。 朝日新聞の「声」欄の投書においてもこの種のご意見を発見したのであるが、日頃東京メトロを利用している原左都子としてはそのお気持ちを重々察するのだ。
 上記投書によると、鉄道会社側の論理としてはエスカレーターは止めているが駅構内のエレベーターは動いているのだからそれを利用して欲しい、とのことのようだ。 だが、お年寄りが大都会の広大な駅構内でエレベーターがある場所を見つけるのも難儀であることは、大都会に住み日々鉄道を利用している原左都子は重々把握している。

 まだまだ若い(?)この私とて、東京メトロ地下鉄構内で“出口案内板”(A1、B2のごとくの表示)が節電のために消灯されているのに実は日々困惑している。 地下鉄とはこの“出口案内版”の誘導があってこそ、地下の暗闇の中で自分が出向く目的先を一瞬にして察知できるのである。 これが大震災以降消灯されているがために遠方からは見辛く、この原左都子ですらいちいち案内板の真下まで行って確認する作業を負荷されているのが事実である。
 節電も特に公共施設においては時と場合によるのであろうし、少なくとも弱者保護の観点は心得て欲しい事を実感させられるというものだ。 


 それはそうとして、家庭内における「節電」は大いにその意味が異なることであろう。

 朝日新聞一昨日(5月7日)別刷「be」“between”のテーマは、さすがにこの時期に相応しく「家庭で節電していますか?」であった。
 この朝日新聞の設問は、おそらく“大震災を受けた今現在、節電していますか?” との趣旨だったのであろう。

 この趣旨に対しての原左都子の回答とはきっぱり「No」である。 
 何故ならばこの私は、今回の大震災発生の如何にかかわらず元々徹底した“節電派”であるからに他ならない。  (ここでこっそり余談であるが、私の本名はこれにちなんだ名前を親から授かっているのだが、その名に相応しい moderate な人生を昔から今に至るまで日々歩み続けているのである!!) 
           ほんとかよ!??……       (ほんと、ほんと!!)

 それはともかく、上記朝日新聞記事における少数派である「No」の返答(すなわち大震災が発生したからという理由で突然家庭内で節電を始めた訳ではないとの回答)をした読者の多くは、やはり原左都子同様に“以前から電力使用料が多くない”との事であるようだ。
 すなわち日頃節電に心がけている市民とは、大震災が発生しようが原発事故が起ころうが特段慌てるでもなく、日頃より節度ある生活習慣を身に付けて日々の生活を営んでいるということだ。

 上記朝日新聞のアンケートに於ける“大震災をきっかけに節電をはじめた”との大多数の読者の回答のその理由のように、「電気供給不足により突然停電になったら困る」「被災者の不遇を思えば当たり前」「電気使用で原発の必要性が高まる」等々の思いは当然ながら原左都子にもある。
 だがこれらの事象とは「被災者の不遇を思えば当たり前」以外を除き、大震災が発生せずして元々電力不足の懸念材料だったはずだ。
 それに今回やっと気付き、国民に“節電観念”が育ったことは喜ばしい事象と解釈するべきであろう。


 日本国内の一般家庭各々が大震災発生以前に一体どれ程の電力を消費していたのかについては、原左都子の知るところではない。
 だが今回の大震災、ひいては福島第一原発事故発生に伴い東電供給地域の市民に多少なりとも“節電観念”が育成されたのならば、大震災の発生も無意味ではなかったということであろうか??
 
 ただ上記朝日新聞のアンケート結果によると、「復興」による家庭内電力使用量復旧を期待している国民も多い現状のようだ。
 同時に、先だっての菅首相による浜岡原発停止宣言に即して現地住民の間から聞こえてくる“原発運転続行”の声も完全無視する訳にはいかない、ということであろうか。

 それらを勘案した場合、この国において“未曾有”の大震災が発生したとは言え、一旦経済大国に成り上がってしまった以上、その後生まれた国民相手にそう易々と “恒常観念としての節電意識” を根付かせるのは難しいのかと、改めて考察する旧人類の原左都子でもある…。
                                
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