原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

浜岡原発原子炉停止の勇断

2011年05月07日 | 時事論評
 昨日(5月6日)の夕刻、テレビのニュースを見ようとしてスイッチを入れたところ、速報テロップにてビッグニュースが飛び込んで来て驚かされた。

 菅首相は、静岡県に立地する中部電力浜岡原発の安全対策が実施されるまで、当該原発のすべての原子炉を停止するとのことである。

 その後テレビで見聞したニュース報道によると、浜岡原発直下で発生すると想定される東海地震が、今後30年以内に87%の確率で起きる恐れがあるようだ。
 片や、浜岡原発は福島第一原発とほぼ同時期の1970年代に運転が開始され、その一部は現在再稼働を前提として安全点検中であったらしい。 
 
 もしかしたら今回の菅首相の浜岡原発原子炉停止の判断の背景には、民主党政権の大震災復興対策不備や遅れに対する世間や野党よりのバッシング、あるいは春の統一地方選挙において自民党に敗北したことによる党建て直しの魂胆もあろう。
 はたまた、福島第一原発事故による今後の放射能汚染収拾の予想の立ち難さや、巨額の賠償金負担等による経済危機下の政権運営に、首相である菅氏自身がほとほと疲れ果てているのかもしれない。

 それにしても上記のごとくの浜岡原発が現在置かれている諸事情を勘案した場合、原左都子は元々民主党支持派ではない立場にして、今回早期に浜岡原発運転停止の勇断を下した菅首相を評価申し上げたいのだ。
 
 
 タイムリーに「原左都子エッセイ集」の2本前のバックナンバー “「復興」も「自粛」も人それぞれのはずなのに…” との表題の記事のコメント欄において、原左都子よりの返答コメントとして我が「反原発思想」に基づく私論を述べさせていただいている。 
 以下にそれを要約して、今一度紹介することにしよう。

 日本は今後の復興のために長期に渡って巨額の資金が必要となる。 そのための経済負担を“被災していない国民”が担うべく、今から個々が経済力を強化しておくべきだ。 例えば東電利用地域では、電気料金値上げが真っ先に襲ってくるであろう。「原発反対派」とてこれを担わざるを得ない。
 国は「復興増税」も視野に入れているようである。 大震災の発生で経済危機状態に拍車がかかったとは言え、増税を余儀なくされる国民は仕事がないとは言っていられない程の負担を今後担うはめになろう。
 「もはや戦後ではない」と言われた頃に生を受けた私など、幼き頃、家電など何もない時代に裸電球ひとつで暮らした時代の記憶がある。 あの時代に戻ってそうせよ、と言われたらおそらくできる世代だ。
 そんな私にとっては、原発など本当に要らなかった。

 太平洋戦争以降最大とも言われる国民の危機状態をもたらした「東日本大震災」という大震災が今この時代に発生した歴史的事実を、国民皆が“似非自粛”ではなく「本気」で受け入れるべきだ。
 世間は「復興」と言うがそれは国を元に戻すという発想ではなく、新たな価値観の下、大震災発生後の経済力に見合った新たな国家を作ってくという発想をするべきではないかと私は考える。
 「原発」はもう本気で廃止しましょう、と言いたいのが私論である。 “未曾有”“未曾有”と言うけれど、それが起こるのが世の常というものだ。 起こった後で「想定外」という言葉を責任逃れ目的で巧みに持ち出すべきではない。 今回の「原発事故」という失敗は、今後のエネルギー資源確保事業において必ずや視野に入れられるべきである。
 そうすると(浜岡原発のごとく)「もっと高い防波堤を築けば済む」なる対応策が出されるようだが、こんな安直な発想ではまたゆくゆく“未曾有”の事態が生じることになるだけであろう。
 ここは、根本的な発想の転換をするべきだ。 これ程の大規模震災を経験した(一応)先進国である我が国の進むべき道を、国民皆が真剣に考えたいものである。
 そういう意味で、私自身も強くならねばならないと思う。

 (以上の文章は、「原左都子エッセイ集」バックナンバー コメント欄に返答コメントの形で原左都子自身が綴った記述です。)

 原左都子がこれを記した翌日夕刻に、上記のごとく菅首相のメッセージとして伝えられた浜岡原発原子炉停止のニュースに私が感嘆しない訳もないと言うものである。


 ただし、今回の菅氏による突然の「浜岡原発原子炉停止」発言のとばっちりを一番に受けるのは、当然ながら地元自治体の住民の皆さんであることには間違いない。

 浜岡原発原子炉停止に関する菅首相の表明から一夜明けた本日(7日)午前、原発が立地する地元自治体である静岡県御前崎市の石原茂雄市長は記者会見し、今回の原子炉停止の意向に従いつつも困惑を隠しきれない様子である。 「国策であれば、もう少し地元の意見を聞いてもらい反映してほしかった」と苦言も呈し、今後の地元経済についても、「雇用問題などで大変大きな影響が出てくることは間違いない」と苦渋をにじませておられるようだ。 一方で石原市長は、福島第一原発事故による地域住民の不安や混乱を慮った上で、原発停止後の再開可能性について「個人的には非常に厳しいと思う」との見通しを示しておられるとのことでもある。


 ここで原発問題を振り返ると、元々は国が国力発展のため政治力経済力を増強する目的で、1970年初頭からその根源であるエネルギー資源確保対策として打ち立てた国家政策の一環であろう。 そして今となっては、世界中の何処の先進国に於いても原子力発電なくして国が成り立たない現状を余儀なくされている、と言っても過言ではない状況であろう。

 だが悲しい事に原発建設の犠牲となる候補地とはその多くは人口が少ない“過疎地”であり、その地に建設され続けてきたことは否めない事実である。
 その代償とは、他の自治体よりも多い地方交付金が国より支給されるというだけの事であろう。

 それにしても太古の昔から“地震王国”である我が国に、何故1970年代当時の政権は、一番地震が発生し易い環太平洋地域に多くの原発を打ち立てたのであろうか?? 自民党政権は愚かにもその後も原発促進政策を続けてきたのが現実である。
 今は野党である自民党政権の過去におけるこの失策がもたらした今回の大震災による原発事故に対して、現政権である民主党の菅首相が今出来る限りの反発をしたのが、昨日の浜岡原発運転停止の勇断であったことには間違いない。

 ただしたとえそうだとしても、原左都子はさらに現菅政権に言いたいことがある。
 菅首相をはじめ現在の民主党議員達は、野党時代に原発建設を少しも阻止できないまま現実に至って政権を取ったのが事実というものではなかろうか?(それとも民主党とは元々原発建設に賛成だったのであろうか??)
 悲しくも「東日本大震災」という歴史的出来事をこの3月に経験した今現在の国家を担う民主党政権としては、せめても今後の原子力発電に対して今回の菅首相の突然の勇断のごとく、今後も警鐘を鳴らし続けていくのが今政権を担っている政党の役割と言うものではあるまいか。
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