原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

続編 「ザ・コーヴ」におけるドキュメンタリーのあるべき姿

2011年05月23日 | 時事論評
 昨日(5月22日)、私はNHK総合テレビ夜9時からの“NHKスペシャル”として放映された「クジラと生きる」と題するドキュメンタリー番組を見聞した。

 上記NHKスペシャル「クジラと生きる」の趣旨は、2010年に米国アカデミー賞を獲得したドキュメンタリー映画 「ザ・コーヴ」 において取り上げられたがために反捕鯨派にとって諸悪の根源のごとく世界中の“晒し刑”に遭ったともいえる和歌山県太地町において、現在尚捕鯨を生業として生きる漁民の切実な現状とその思いを綴ったものであった。
 
 大河ドラマを見終わった流れでテレビを付けていた私は、このNHKのドキュメンタリー番組に釘付けとなった。
 何故ならば、この話題は「原左都子エッセイ集」バックナンバーに於いても取り上げているためである。


 ここで私が本エッセイ集2010年7月のバックナンバー 「『ザ・コーヴ』におけるドキュメンタリーのあるべき姿」 に於いて展開した私論を、今一度以下に要約させていただくことにしよう。 

 「ザ・コーヴ」とは2010年度アカデミー賞受賞直後より、世界中に物議を醸し続けている米国映画作品である。
 この映画作品をご存知ない方のために、ここでその内容をごく簡単に説明しよう。
 我が国の和歌山県太地町において昔から伝統漁業として鯨・イルカ漁が行われ、地元では学校給食にも捕獲調理された鯨やイルカが食されている現状であるらしい。 これに目をつけたイルカ保護団体がそれの残虐性にのみ焦点を絞り、太地町の許可を得ずに隠し撮りや捏造、恣意的な編集、漁民への挑発や俳優に演技をさせた“やらせ撮影”等々の手段によりイルカ漁の“悪魔性”を強調して制作したのがこの「ザ・コーヴ」であるとのことである。
 このアカデミー賞受賞作品である「ザ・コーヴ」を鑑賞した見識者の意見は分かれている。
 肯定派の中には、一つの映画作品としての“娯楽性”が優れている、という見解がある。 イルカ漁をする漁民は悪、これを残酷と捉えるイルカ保護団体こそが善、との図式がこの作品において明快であるため、観賞する側としてはこの単純性に一瞬惹き付けられる魅力があるらしい。 あるいは、映画全般を通しての“スリル感”が十分に描かれていて、映画作品としてアカデミー賞を受賞するのは理に叶っている、との見解もある。
 この映画を観た日本人には、中立派、慎重派が多いようだ。 現在の日本人の多くは鯨・イルカ漁の存在さえ知らない現状において、米国からこれを「日本の伝統文化だ」と押し付けられてもまずは困惑する、との見解がある。 あるいは、映画自体がよく出来ていて娯楽的に面白いあまりに、鑑賞者が制作側の主張のみを鵜呑みにしてしまう危険性を孕んでいる、という見解もある。 また、これはドキュメンタリー映画というよりもイルカ保護団体のプロパガンダ(宣伝)映画と位置づけるべきであろう、との見解も存在する。
 否定派の意見も紹介しよう。 地元太地町からは当然ながら、「嘘を事実のように表現された」ことに関する反発が大きい。 ただ、この映画がアカデミー賞を獲得したことにより「反イルカ = 反日本」の図式が成り立ってしまうのかと思いきや、世界の反応は思いのほかクールであることを実感させられる一面もあるようだ。
 朝日新聞2010年7月20日文化欄の記事によると、この映画を鑑賞した日本国民の反応は以外や以外冷静であるようだ。 その中で、この映画が“ドキュメンタリー”だったことに対する朝日新聞記者の憤りは大いに原左都子にも伝わる思いである。 映画であれ何であれ“ドキュメンタリー”と名付けて制作する以上、その表現には一切虚構を用いてはならず、制作側の客観性のある冷静沈着な取材や記録に基づき事実のみを伝える内容ではくてはならないはずである。 その意味で、この「ザ・コーヴ」はそもそも“ドキュメンタリー”との冠を付けてはならなかったのだ。 
 最後に原左都子の鯨イルカ等の捕獲漁に関する個人的見解を述べると、正直申し上げて“反対派”である。 我が国は既に一応先進国に位置している。その種の国では、食性において“世界標準”に従うべきではないかと感じるのだ。 世界の数多くの国々が嫌悪感を抱く食材をあえて食さずとて、“世界標準”の食材を国民に分配することにより国民の健康は十分に満たされる時代のはずである。 我が国においては歴史的に決して特殊な宗教が蔓延っている訳でもない。その観点からも生産者側、消費者側両面での“世界標準”の食糧指導は容易なはずである。
 それにしても、一国一地域の食性問題とこの映画「ザ・コーヴ」の存在意義はまったく異質の議論であり、この映画は娯楽部門でアカデミー賞にエントリーすればよかったとも捉えられると言いたいのが、原左都子の結論である。

        ~~~以上は「原左都子エッセイ集」バックナンバーよりの要約~~~


 昨日の“NHKスペシャル”は、朝日新聞テレビ番組欄でも「日本伝統の捕鯨に危機 反捕鯨との壮絶な闘い 漁師の怒り」の文言で紹介されている通り、あくまでも太地町において今尚鯨・イルカ漁を続行している“漁師氏達の側面”からNHKが取材編集したドキュメンタリー番組であった。
 それは承知の上で、原左都子にとっても大いにインパクトはあった。
 地元の伝統漁として遠い先祖よりずっと受け継いできた漁を守り抜き、その地に力強く生きている漁師氏やそのご家族の様子は重々伝わった。 これが例えば一般に食されている海産物であるのならば何の物議も醸さず、この地で漁業を営む人達は代々平和に暮らしていけたのであろう。

 私が一番印象に残ったのは、若き漁師氏の娘さんが通う中学校に於いて「太地町に於いて今後も鯨・イルカ漁を続行するべきか」との議論が交わされた場面である。 議論の中心存在の女子中学生は、どうやら“反対派”であるようだ。 それを黙って横で聞いている漁師の娘さん。 学校におけるその議論を家に持ち帰り、家族で今一度話し合う漁師一家…。 その切実な風景に涙せずにはいられなかった私である。

 一方原左都子が大いに気になったのは、海洋環境保護団体の一つである“シーシェパード (Sea Shepherd Conservation Society)” に関して、このドキュメンタリーに於いてNHKが放映した影像や音声に関してである。
 確かにこの団体が過激な言動を展開する場面を、普段ニュース報道等で見聞する機会は多い。
 だがもしも、今回のNHKの太地町に関する鯨漁番組に於いて、シーシェパードの“悪態”ばかりを強調して番組をしつらえたとするのなら、それは米国アカデミー賞受賞作「ザ・コーヴ」に於ける歪んだ表現と同レベルの話となると私は解釈するのだ。 これでは到底ドキュメンタリーとは言えず、単に日本国民に“お涙頂戴”を煽ったのみで、今後何らの解決策とは成り得ないのではなかろうか??
 上記のごとく食性における“世界標準”の観点から捕鯨・捕イルカに反対を貫く原左都子としては、正直言ってこの番組からそんな“偏ったNHKの意図的匂い”を感じ取ってしまった事は残念の極みである。
 やはりドキュメンタリー番組とは放映権を持つ団体の主観を交えずに放映してこそ、その番組に真の生命が宿るというものではあるまいか。

 ただ、和歌山県太地町において鯨・イルカ漁に励む漁師の皆さんが、今現在その漁に励むことにより日々の生を営んでいる姿はこのNHK番組を通して大いに伝わった。
 こんな善良な市民の皆さんが営む漁が「米国アカデミー賞」なるものを通して世界規模で大々的に取り上げられてしまった…。 そのせいで、世界中においてマイナスイメージで一躍著名になったからと言って、今尚この地が海洋保護団体から日々下劣な暴言を吐かれバッシングされて苦しむ現状を、決して我が国は捨て置く訳にはいかない事は明白である。

 今後和歌山県太地町の漁村が歩むべき道筋を国家や自治体が提案しつつ、その生活を保障していくのも大いなる役割なのではあるまいか。

 今は大震災対応で大変だろうが、是非とも国や自治体は日本の一漁村の善良な市民を世界規模のバッシングから防御するべく動くべきなのだ。
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