原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

トシちゃん、あなたは“ビッグ”です。

2010年11月02日 | 自己実現
 「原左都子エッセイ集」において、 トシちゃん を取り上げて論評する日が来る事を著者の私とて予想していなかったのであるが、先だって朝日新聞オピニオンページの「耕論」欄において現在の トシちゃん の興味深いオピニオンを発見したのだ!

 世の中には トシちゃん と名乗る人物は多数存在するであろうが、今回取り上げるトシちゃんとは、歌手の 田原俊彦氏 のことである。


 トシちゃんをマスメディアで見なくなってもう久しい。

 1980年に歌手としてデビューしたトシちゃんは、当時「たのきんトリオ」と称された近藤真彦氏、野村義男氏と共に、80年代の男性トップアイドルとして芸能界において揺ぎない地位を築いていた。 
 この頃の原左都子はもう既に「売れ残り」と後ろ指を指される年代に達そうとしていた時期である。 もはや男性アイドルにうつつを抜かす年頃は通り過ぎていたのであるが、そんな私の目にもブラウン管に映るトシちゃんは可愛かったものだ。  しかもトシちゃんのダンスは本物だった。歌に関しては高い評価を得ていなかったように記憶しているが、あの本格的なトシちゃんのダンスには元々ダンス好きの私も唸ったものである。

 マッチこと近藤真彦氏に関しては、80年代アイドルの地位を退いた後も今尚マスメディアを通して見かける機会がある。 彼の場合本業(?)である歌手としてもまだ活躍している傍ら、レーサーやトライアスロンの選手として自身の夢を追いかけ続けているようだ。 その姿や受け答えをメディアを通して垣間見るに、その意思の強さが本物である証拠のごとくの研ぎ澄まされた彼の内面に触れる思いがして、同じく物事に対する達成欲の強い私も刺激をもらったりもする。

 それからヨッちゃんこと、野村義男氏も印象的な人物である。 この人はアイドル絶頂期にして既にアイドルなどやっている場合ではないことを自覚したようで、自分が目指す方向に転換するべく変貌を遂げている。 その後はギタリストとして、そして音楽プロデューサーとして現在に至るまで活躍し続けているようだ。


 さて、いよいよトシちゃんに話を戻そう。

 上記のマッチとヨッちゃんに関しては、上記のごとく今尚その姿に触れる機会はある。 ところが、トシちゃんだけは久しくその姿をメディアを通じて見ることはない。
 そんな折に“世間に忘れ去られている”と思しきトシちゃんを硬派オピニオンページ「耕論」欄という表舞台に引き出した朝日新聞の何とも“粋な計らい”に拍手申し上げたい思いの原左都子である。

 ここで10月26日付朝日新聞朝刊「耕論」に掲載された 現在49歳になられている田原俊彦氏 の “マイケル亡き今、僕が一番” と題するオピニオンを以下に要約して紹介しよう。
 確かに今の僕にはヒット曲はないし、かつてのような人気もない。それを見た側が「テレビに出てないな。逆境なんだろうな。」等々思うのは勝手だが、僕自身は逆境とかどん底だとは思っていない。(小さな枠内ではあるけれど)ライブハウス等で歌もダンスも進化している。マイケル・ジャクソン亡き今、僕が一番との自信もある。 いっぺん田原俊彦をやってごらんよ。それがどのくらい楽しいか。その反面、虚構を演じ切らされ私生活では芸能リポーターに追い掛け回されるというトップアイドルの世界を突っ走ることの厳しさを(きっと君も)思い知るよ。 (そんな世界を経験した後に)33歳で独立した後は苦しいのは当然だ。その後も年に1枚CD出しているがそれが売れるはずもない。でも次は売れると僕は信じている。 今の時代はこんなだから皆苦しいのだろう。でもその感じはよく分からない。だって僕は芸能界しか知らないのだから。 僕より顔立ちが良くて歌が上手い人なんていっぱいいる。でも僕がトップアイドルになれたのは星であり運命だ。じゃあ運命としてどん底や逆境を受け入れるのではなく、それを変えるために頑張るということでしょ。


 トシちゃんに対する世間の評価として以前より、(大変失礼ながらも)“馬鹿”だとか“低脳”だから芸能界で生き残れないのだ、との酷評が存在することは実は私も心得ている。

 ただ今回のトシちゃんのオピニオンを読む限り、決してトシちゃんは馬鹿でも低脳でもない。 トシちゃんにはトシちゃんなりのポリシーがあることはこの記事から明白である。
 しかもトシちゃんはアイドルを引退後結婚して子どもを設けて以降も、自分が若かりし頃に目指した“歌と踊りの世界”のみ全うして生き延びようとしている。 加えて、厳しかったアイドル時代の処遇もよく再考した上で、独立してそれを独力で成し遂げ続けようとの意思が大いに伝わってくる。 メディアに公開されない世界でいいから自分なりに歌と踊りを“マイケル・ジャクソンレベル”に押し上げつつ、まだ歌と踊りに賭けるトシちゃんの思いが大いに伝わるオピニオンである。


 今回の記事は「原左都子エッセイ集」501本目の記事であるのだが、こんな拙いエッセイ集にも“出版”のお話をいただくことが相変わらずある。 だが、私にはその意思は今尚一切ないと言い切れる。 なぜならば計算高い私の第一の理由として、これ程ネットが蔓延っている時代によほどの事がなければ出版物など売れるはずもないと結論付けているためである。 損失を計上してまで出版に踏み切るつもりは私には毛頭ないのだ。

 そして上記のトシちゃんのオピニオンのごとく、人間とは自分が何を目指して生きていくのかをいつも捉えているべきなのである。
 一旦名が売れてしまった有名人があくまでもメディアで名を売り続けたいがために、その後もあくせくしている姿は実にみっともない。 その種の人種とは、自分の真の実力如何よりも名が売れることのみにしか自己の存在意義を見出せないのであろう。 引退宣言したにもかかわらず何故かメディアに戻ってくる著名人の輩が多い現状であるのは、自分の実力を省みる事が出来ず、“著名であるという麻薬”にがんじがらめになるが故に自己の真の存在意義を見出せない現象でしかないのだ。

 そういった意味で、メディアに出ることを志さず、マイケル・ジャクソンに匹敵するレベルの(?)歌と踊りの実力を磨きつつ水面下で精進するトシちゃんとはまさに“ビッグ”であり、原左都子はこんな人こそ応援したいのだ!
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