近頃、「エチケット」という言葉を耳にしなくなった。
「エチケット」とは、“礼儀”“作法”等の意味合いがあるのだが、社会という人間の共同体の中で人々が共に生活する上で、自分の行動が他者に及ぼす不快感をできる限り軽減するための人としての心得の重要な一概念である。
例えば電車に乗ると、公然と化粧をする女性に当たり前に出くわす時代と化している。公道を歩くと、老若男女にかかわらず2、3人が並列で話に夢中になりつつ歩き、後ろの通行人の歩行を妨害していることにまるで気付かない。 悲しいかな、こういった光景を日常的に皆さんもご経験されていることであろう。
自分の周囲の小社会に対して別段大した悪影響はないと判断しての行動なのか、あるいは、自分が社会的共同体の一存在であることにすら思いを馳すことのできない人種が増殖しているのか私には判断が付きにくいのであるが、とにかく心寂しい時代と化している様子だ……
話は変わるが、インフルエンザが例年通り流行する季節に突入している。東京都も先だっての1月29日に“インフルエンザ警報”を発令した模様である。その警報によると、今年のインフルエンザは05年以来4季ぶりとなるほど猛威を振るうそうだ。 皆さんも、どうかくれぐれも予防に留意されますように。
そのようなインフルエンザの流行とも関連するのだが、先だっての朝日新聞日曜版別刷の記事(1月25日)で“咳エチケット”と題する、私に言わせてもらえば一種“奇妙”な記事を発見した。
この記事によると、今の時代は公共の面前で“咳”をする時に口を覆わない人が一般化しているとのことだ。
そこで誕生したのが「咳エチケット」なる新語らしい。
この「咳エチケット」の内容をかいつまむと、まず、咳やくしゃみをしている人はマスクをつけましょう、マスクが無い時には袖口やティッシュペーパー等で鼻や口を覆いましょう、等々……。 こういう「エチケット」を、いい大人に対してマニュアル化して指導しなければならない時代に現在は突入しているという話である。
今は朝夕の満員電車に乗らなくなり、“咳”の洪水の被害を受けなくなって久しい私ではあるが、この記事を読んで、まったく別の場面で私にも似たような経験があることを思い出した。
私は比較的最近、資格取得のために某資格取得受験専門学校に何年が通ったのだが、その学校の自習室において、自習生による上記のような“非常識”に遭遇し難儀した経験がある。
大勢の資格取得を目指す受験生が勉学に集中して静まり返る自習室で、どういう訳か大声での“くしゃみ”や“咳”や“ため息”や、中には“独り言”を言い始める人物がいつも必ずと言っていいほど出現するのである。
これには私もほとほと参った。その資格受験学校が扱っているのは一応国家資格としては名立たるものであり、それらに合格した人物はある程度の社会的地位が得られそうな立場にあるといった類の資格である。 そういう類の資格合格を目指すべく人物達が何故にこれ程周囲に対する“エチケット”の感覚がないのかと、私はいつも呆れイラついたものである。 「あなた、退室して外でくしゃみしなさいよ!!」と怒鳴りたい思いが喉まで出かかったことを何度も経験している。(単に変人扱いされるだけと自分を客観視し、結局は踏みとどまりましたけどね…。)
この朝日新聞記事によると、インフルエンザにおける「咳エチケット」は単なる道徳や礼儀に留まらず、欧米においては社会を守るための最低限の規則と捉えられている、とのことである。
「エチケット」という言葉と普段ほとんど縁のない方がもしもこの記事をお読み下さったならば、一社会人の常識として、少なくともご自身の病気や奇癖を周囲に撒き散らさないようにしなければ、程度の心得を共有しましょうかね。
「エチケット」とは、“礼儀”“作法”等の意味合いがあるのだが、社会という人間の共同体の中で人々が共に生活する上で、自分の行動が他者に及ぼす不快感をできる限り軽減するための人としての心得の重要な一概念である。
例えば電車に乗ると、公然と化粧をする女性に当たり前に出くわす時代と化している。公道を歩くと、老若男女にかかわらず2、3人が並列で話に夢中になりつつ歩き、後ろの通行人の歩行を妨害していることにまるで気付かない。 悲しいかな、こういった光景を日常的に皆さんもご経験されていることであろう。
自分の周囲の小社会に対して別段大した悪影響はないと判断しての行動なのか、あるいは、自分が社会的共同体の一存在であることにすら思いを馳すことのできない人種が増殖しているのか私には判断が付きにくいのであるが、とにかく心寂しい時代と化している様子だ……
話は変わるが、インフルエンザが例年通り流行する季節に突入している。東京都も先だっての1月29日に“インフルエンザ警報”を発令した模様である。その警報によると、今年のインフルエンザは05年以来4季ぶりとなるほど猛威を振るうそうだ。 皆さんも、どうかくれぐれも予防に留意されますように。
そのようなインフルエンザの流行とも関連するのだが、先だっての朝日新聞日曜版別刷の記事(1月25日)で“咳エチケット”と題する、私に言わせてもらえば一種“奇妙”な記事を発見した。
この記事によると、今の時代は公共の面前で“咳”をする時に口を覆わない人が一般化しているとのことだ。
そこで誕生したのが「咳エチケット」なる新語らしい。
この「咳エチケット」の内容をかいつまむと、まず、咳やくしゃみをしている人はマスクをつけましょう、マスクが無い時には袖口やティッシュペーパー等で鼻や口を覆いましょう、等々……。 こういう「エチケット」を、いい大人に対してマニュアル化して指導しなければならない時代に現在は突入しているという話である。
今は朝夕の満員電車に乗らなくなり、“咳”の洪水の被害を受けなくなって久しい私ではあるが、この記事を読んで、まったく別の場面で私にも似たような経験があることを思い出した。
私は比較的最近、資格取得のために某資格取得受験専門学校に何年が通ったのだが、その学校の自習室において、自習生による上記のような“非常識”に遭遇し難儀した経験がある。
大勢の資格取得を目指す受験生が勉学に集中して静まり返る自習室で、どういう訳か大声での“くしゃみ”や“咳”や“ため息”や、中には“独り言”を言い始める人物がいつも必ずと言っていいほど出現するのである。
これには私もほとほと参った。その資格受験学校が扱っているのは一応国家資格としては名立たるものであり、それらに合格した人物はある程度の社会的地位が得られそうな立場にあるといった類の資格である。 そういう類の資格合格を目指すべく人物達が何故にこれ程周囲に対する“エチケット”の感覚がないのかと、私はいつも呆れイラついたものである。 「あなた、退室して外でくしゃみしなさいよ!!」と怒鳴りたい思いが喉まで出かかったことを何度も経験している。(単に変人扱いされるだけと自分を客観視し、結局は踏みとどまりましたけどね…。)
この朝日新聞記事によると、インフルエンザにおける「咳エチケット」は単なる道徳や礼儀に留まらず、欧米においては社会を守るための最低限の規則と捉えられている、とのことである。
「エチケット」という言葉と普段ほとんど縁のない方がもしもこの記事をお読み下さったならば、一社会人の常識として、少なくともご自身の病気や奇癖を周囲に撒き散らさないようにしなければ、程度の心得を共有しましょうかね。
