原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

飲兵衛の心得

2009年02月24日 | 
 いや~~、やってしまった……
 あの影像は見ている方が辛かった… 

 先だってのG7後の「もうろう会見」で世界中に醜態を晒して、財務・金融相を引責辞任したあの方の影像の話である。
 ご本人は風邪薬のせいにしてごまかしたつもりのようだが、あれは大方の指摘通り、どうひいき目に見ても酒の泥酔状態の成せる業である。
 引責辞任してしばらくは社会から姿を隠すしか、あの方の身の置き場はないであろう。

 同じく自他共に認める飲兵衛であるこの私も、長い人生においてあちこちで泥酔して散々醜態を晒しおおしてきている。それが故に、あの醜態の影像を見せられたことはこの私には心底辛かった。我が“飲んだくれ”の恥さらし人生がフラッシュバックするようで、私の方が穴があったら入りたい気持ちにさせられ、我が目を覆ったものである。
 
 
 この機会に、私自身の過去の酒席の反省とご迷惑をお掛けした皆様への謝罪の意味も込めて、我が人生における酒の上での醜態について、少し振り返ってみることにしよう。

 私の場合の泥酔の醜態の失敗は、“暴言”が最多だったであろうか…。
 飲兵衛の悪癖の中でも一番嫌われるパターンであろうが、私は泥酔すると周囲に怒りをぶつけ始める癖がある。決して根も葉もない事柄について怒り始める訳ではなく、怒りの根拠は必ずあるのだが、それにしても言い過ぎであることにはいつも酔いが冷めてから気が付く。“時既に遅し”である。
 ただ親しい相手同士の場合、それを後日相手からとがめられたり、それが元で不仲になったという事はないため、自責の念に怯えるほどの暴言ではなかったのかもしれない。あるいは「また始まったか」程度で、誰も相手にしてくれていなかったというのが正解であろうか。

 それから私特有の泥酔時の奇癖として、相手構わず人に“くっつく”という醜態を独身時代によく晒したものである。これは特に男性は喜ぶ人も多いのだが、大いに誤解を招く醜態であり、後々まで誤解を引きずることも少なくなかった。逆にこれがきっかけで恋愛関係に発展したこともあるのだが…。

 転んだり物にぶつかったりで、怪我をしたこともよくある。
 ある時は、泥酔のあくる日胸に激痛を感じた。どうやら椅子から転げ落ちて胸を打った時に肋骨を痛めてしまったようだ。動いても喋っても痛く寝返りも打てない日々なのだが、酒の上での失敗のため仕事を休む訳にもいかず、完治まで相当の無理をした。自業自得である。 よく今まで命が繋がっているものだ。

 泥酔すると“脱ぎ始める”人もいるようだが、幸いな事にこの奇癖は私にはない。 命拾いである。ホッ

 引責辞任した財務相同様、私も“ろれつ”が回らなくなる方である。私の場合は結構飲み始め早期から回らなくなる。飲みが深まるとむしろ饒舌となり、上記のように周囲に怒りをぶちまけ始めることになる…
 家で飲んでいる時に一番困惑するのは、飲酒中の不意打ちの電話である。独身時代はすべてが自己責任で済んだが、家族のいる現在はナンバーディスプレイの活用により、飲酒中に大事な電話には一切出ず後日対応することにしている。
 引責辞任の財務相についても既に各種報道で叩かれているが、本人は元より、周囲もなぜ泥酔状態の要人を世界に配信される会見に出席させたのかが不可解である。側近に一人として、会見への出席を何らかの理由を付けて取り止めさせるべく決断できる人物がいなかったものなのか。


 最近の若者は外での酒宴を嫌う傾向にあるとのことである。お金を散在するのが痛いというのもひとつの理由であるようだが、それよりも大きな理由は、外で酒に酔って醜態を晒している大人を見飽きているからだそうだ。(骨身に沁みるお言葉で、心より反省申し上げます。誠に申し訳ございません。

 これに関しては、若い世代の論理は正しい。この指摘には私も降参である。酒であれなんであれ、醜態を晒し合うのは信頼関係のある親しい者同士の範囲内で留めるべきである。決して自らの醜態を公の社会に露呈してはいけない。 ましてや、一国の要人が世界に向けて醜態を晒すなど、言語道断の事態である。
 私も過去における酒による醜態を反省し、社会で酒の醜態を晒すことはもうやめにしようという認識は重々ある。


 それにしても我が人生においてお酒は美味しく飲み続けたいから、親しい方々、今後共お酒のお付き合いをよろしくね!  
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