原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

ネット友達は成立し得るか?

2009年02月15日 | 人間関係
 私は本ブログ「原左都子エッセイ集」を、某ブロガーコミュニティに登録させていただいている。

 先週、39度の発熱で“鬼の霍乱”をしている間に、このブロガーコミュニティが“リニューアル”されシステムが大幅に変更されていて、私は現在大いに戸惑っている最中である。

 その戸惑いの第一点は、「読者登録制度」が廃止されたことである。
 この制度のお陰で、大変ありがたいことに、私の拙いブログに対して現在までに400名を超えるコミュニティ会員の方々から読者登録をいただいていた。そして毎記事毎記事にご訪問いただき、ご覧の通りの内容の濃いコメントを下さる会員の方も少なくない人数であった。
 加えて、それら読者の皆様より心温まるブログの紹介文も沢山頂戴していた。私はこのブログ紹介文に大いに励まされ、ブログを綴る原動力ともなるほどのエネルギーを与えていただいていた。 今回の“リニューアル”により、この紹介文がブロガー本人や読者の方々への承諾もないまま、すべて跡形も無く消し去られているのだ。この措置には驚かされると同時に大いに遺憾な事態である。
 ブログあってのコミュニティであるはずなのに、肝心要のブログに対する「読者登録制度」を廃止したり、ブログ紹介文を断りも無く削除するとは、一体全体如何なる趣旨の“リニューアル”であるのか。


 上記のごとく「読者登録制度」を廃止して、このブログコミュニティが今後何を目指すのかというと、それは“友達作り”なのである。
 今回の最大の“リニューアル”ポイントは、「友達申請制度」を導入したことにあるようだ。
 そしてこの私も既に多くの会員の方々より“友達申請”を頂戴し、私はさらに頭を痛めている。この“友達申請”に対し、Yes か No かの回答を強要するシステムとなっているためである。 そしてYes回答を出して双方が友達の“契り”を交わさないと友達関係がシステム上反映されず、他会員に関する何らの情報も届かないシステムとなったようだ。要するに、この「友達申請制度」を利用したくない会員は形骸会員と化し、事実上コミュニティから“村八分”扱いとなるようである。(申請を頂戴している皆様には大変申し訳ございませんが、現在そのすべてを保留状態とさせていただき未だ返答を申し上げておりません。何卒ご容赦下さると共に、是非直接ブログ本体をお訪ね下さいますように。)
 このように、私のこのコミュニティにおける目指すべき方向と、コミュニティ側の趣旨との間に大きなギャップが生じてしまった現状である。


 さて、そもそもネット上で友達関係が成立するのかどうかについて考察してみよう。 私の場合、ネット上の人との付き合いとはこのブログを通じてのみなのであるが、この経験に基づいて私論を述べさせていただくことにする。

 人間という全人格の中の“一部分”において、それは成立し得るかもしれない。それが証拠に、この私もブログに頂戴する有意義なコメントを通じてコメンテイターの方と議論をさせていただくことにより、その人物像の一部に触れさせていただける思いがする。お会いした事はないけれど、何らかの“繋がり”を感じさせていただくことができる。それは、私の生活の一部分として活力を与えてくれていることも確かである。
 こういった関係が短期間で消え去る場合が多いのがネットというバーチャル世界の特徴であろう。そんな中、私の場合はこの関係が長続きする方々も多く、そこには“友達関係”が成立していると考えてよいのかと思う。

 要するに、たとえネット上とは言え、“友達関係”とはある程度の時間的持続を要するのではなかろうか。すなわち、最初から「あなたとはお友達ね」とか、いきなり「友達になって下さい」という制度にはやはり無理が大きく、違和感を抱かざるを得ない。
 友達とは、仲良しの契りを交わして相手に友達でいることを強要するものではなく、2人でよい関係を創り上げていった結果として、“友達関係”が自然と出来上がってくるものではなかろうか。
 

 それにしても、やっぱり私はバーチャルよりも、肉体も伴っていて五感で相手を感じて受け入れることのできる“生身”の人間との関係の方が好きだなあ。  
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