(写真は昨年の秋頃の私。いつも代わり映えのしない“足出し”スタイルでスミマセン…)
私も昔からミニスカートが大好きな人間である。
ギスギスに痩せたミニスカートの元祖スーパーモデル“ツイッギー”が世界を一斉風靡した頃から、私もミニスカートに慣れ親しみ、既にウン十年の年月が流れている。参考のため、ツイッギー氏は現在59歳でご健在のようだ。
私の年齢になると、日頃出歩いている街中を超ミニで公衆の面前を闊歩するのはさすがに気が引ける。そこで私が普段愛用するのは、膝上数センチ程度の控えめな丈のミニスカートに限定される。
そんな私も海外旅行などに出かけると、周囲の迷惑を顧みず、今尚上記写真位の超ミニ姿を披露させていただいたりする。
先だってのインド旅行における美術賞の受賞式典にも、超ミニのドレスで出席させていただいた。ホテルを出発前に、受賞当事者である女性の美術家先生が、同行者である私のその超ミニ姿を見るなり、「本気なの???」と唖然とされたものである。(美術家先生、その節はお騒がせ致しました。何事も無く式典が終了し何よりでした。)
話が大きく変わるが、先だって2月6日(金)の朝日新聞夕刊に「雪道新潟 超ミニの謎」と題する、女子高校生の制服の超ミニ現象について取り上げた記事があった。 この記事には真冬の雪道を歩く超ミニ制服の女子高生の後姿の写真が添付されているのだが、そのあわらに露出された生身の太股を見るだけで、寒そうなのと、大変失礼ながら一種の“不快感”で震え上がった私である。
では、さっそく朝日新聞記事を以下に要約してみよう。
現在、女子高校生の制服のスカート丈が全国一短いのは“新潟県”であるらしい。女子高生の多くが今も太股をあらわに歩くのを見かね、新潟県内の全高校は、今月一斉に生徒指導に乗り出したと言う。
ある新潟の女子高生は、男性からのちらちら視線は平気なのだが、同性の視線は気になると話す。そして、「スカート丈が長い女子もいるけど、そういう子は別グループ。一緒に行動するのは短い子」とのことだ。
“短い”のが定説だった東京でも00年頃から、私立を中心にスカート丈が少しずつ伸びている。学校毎に制服文化が生まれ、多様化が進んでいるのだという。「今の子は、近くの友達におしゃれに見えるかどうかが重要になっている」ということだそうだ。
「スカート丈が短いのは高校の時だけ」と見る大学教授もいる。「人間には『役割獲得』の心理があり、母親になれば母親らしく見られたいと、それらしい服装にぱっと切り替えるんです。」
以下は略すが、以上が朝日新聞記事の要約である。
では、私論に入ろう。
個人が自由感覚としてのお洒落志向でミニスカートを楽しむのと、女子高校生が集団内で制服のスカートを短くするのとは、まったく異質の意思や感覚に基づく行動であると私は捉える。
女子高生の制服の超ミニ志向を支配しているのは、集団従属心理に基盤を置く“同調心理”であると私は考察する。 彼女達は自分には似合ってもいないことを重々承知の上での“太股露出”行動なのであろう。その行動で、自分が存在し得る「共同体」創りを精一杯することにより、そこで安穏としたい一種の“生き残り”心理のせめてもの表現なのだと推測する。
もし私の考察が正しいならば、彼女達のその健気な“生き残り心理”の表現の仕方が幼稚過ぎるがばかりに、自らの“太股”を曝け出さざるを得ない哀れさも漂うようにも思えてくる。
そんな思春期の壊れやすい少女の心を周囲の大人は“生徒指導”という規律により頭から潰そうとするのではなく、対話により救う手立てを考慮するべきではなかろうか。
それにしても、今回取り上げた朝日新聞の記事内で「スカート丈が短いのは高校の間だけ」との私見を述べている大学教授の先生、それはあなたの貧弱な人生経験に基づくご自身の勝手な都合や好みで女性を捉えているだけの話ですよ。
えっ?? 女性とは母親になったら母親らしく見られたい生き物だから、それらしい服装にぱっと切り替える、ですって???
一体、どこの誰が???
そんな女性、私の周囲には今時皆無ですけどね。
あなたの周囲にはそういう女性しか存在しないのかもしれませんが、世間一般においては今時そういう女性は少数派ではないですか? そのような一種男尊女卑の思想に基づくコメントを、全国紙である朝日新聞がこれみよがしに取り上げたセンスも疑いますけどね。
あなた方のように、自分の個人趣味的な女性に対する嗜好を女性に強要しようとする男性が社会において今尚大きな顔をしてるから、今時の女子高生が超ミニ現象に歪んで走ってしまうのではないですか?
とんでもない話です。 私は個人の自由意思で80歳になってもハイヒールで超ミニを着るつもりでいますよ。 それには日々の体型維持の努力が欠かせないと常々思っています。
見ようが見まいが、あなた方の勝手なのですけどね……
私も昔からミニスカートが大好きな人間である。
ギスギスに痩せたミニスカートの元祖スーパーモデル“ツイッギー”が世界を一斉風靡した頃から、私もミニスカートに慣れ親しみ、既にウン十年の年月が流れている。参考のため、ツイッギー氏は現在59歳でご健在のようだ。
私の年齢になると、日頃出歩いている街中を超ミニで公衆の面前を闊歩するのはさすがに気が引ける。そこで私が普段愛用するのは、膝上数センチ程度の控えめな丈のミニスカートに限定される。
そんな私も海外旅行などに出かけると、周囲の迷惑を顧みず、今尚上記写真位の超ミニ姿を披露させていただいたりする。
先だってのインド旅行における美術賞の受賞式典にも、超ミニのドレスで出席させていただいた。ホテルを出発前に、受賞当事者である女性の美術家先生が、同行者である私のその超ミニ姿を見るなり、「本気なの???」と唖然とされたものである。(美術家先生、その節はお騒がせ致しました。何事も無く式典が終了し何よりでした。)
話が大きく変わるが、先だって2月6日(金)の朝日新聞夕刊に「雪道新潟 超ミニの謎」と題する、女子高校生の制服の超ミニ現象について取り上げた記事があった。 この記事には真冬の雪道を歩く超ミニ制服の女子高生の後姿の写真が添付されているのだが、そのあわらに露出された生身の太股を見るだけで、寒そうなのと、大変失礼ながら一種の“不快感”で震え上がった私である。
では、さっそく朝日新聞記事を以下に要約してみよう。
現在、女子高校生の制服のスカート丈が全国一短いのは“新潟県”であるらしい。女子高生の多くが今も太股をあらわに歩くのを見かね、新潟県内の全高校は、今月一斉に生徒指導に乗り出したと言う。
ある新潟の女子高生は、男性からのちらちら視線は平気なのだが、同性の視線は気になると話す。そして、「スカート丈が長い女子もいるけど、そういう子は別グループ。一緒に行動するのは短い子」とのことだ。
“短い”のが定説だった東京でも00年頃から、私立を中心にスカート丈が少しずつ伸びている。学校毎に制服文化が生まれ、多様化が進んでいるのだという。「今の子は、近くの友達におしゃれに見えるかどうかが重要になっている」ということだそうだ。
「スカート丈が短いのは高校の時だけ」と見る大学教授もいる。「人間には『役割獲得』の心理があり、母親になれば母親らしく見られたいと、それらしい服装にぱっと切り替えるんです。」
以下は略すが、以上が朝日新聞記事の要約である。
では、私論に入ろう。
個人が自由感覚としてのお洒落志向でミニスカートを楽しむのと、女子高校生が集団内で制服のスカートを短くするのとは、まったく異質の意思や感覚に基づく行動であると私は捉える。
女子高生の制服の超ミニ志向を支配しているのは、集団従属心理に基盤を置く“同調心理”であると私は考察する。 彼女達は自分には似合ってもいないことを重々承知の上での“太股露出”行動なのであろう。その行動で、自分が存在し得る「共同体」創りを精一杯することにより、そこで安穏としたい一種の“生き残り”心理のせめてもの表現なのだと推測する。
もし私の考察が正しいならば、彼女達のその健気な“生き残り心理”の表現の仕方が幼稚過ぎるがばかりに、自らの“太股”を曝け出さざるを得ない哀れさも漂うようにも思えてくる。
そんな思春期の壊れやすい少女の心を周囲の大人は“生徒指導”という規律により頭から潰そうとするのではなく、対話により救う手立てを考慮するべきではなかろうか。
それにしても、今回取り上げた朝日新聞の記事内で「スカート丈が短いのは高校の間だけ」との私見を述べている大学教授の先生、それはあなたの貧弱な人生経験に基づくご自身の勝手な都合や好みで女性を捉えているだけの話ですよ。
えっ?? 女性とは母親になったら母親らしく見られたい生き物だから、それらしい服装にぱっと切り替える、ですって???
一体、どこの誰が???
そんな女性、私の周囲には今時皆無ですけどね。
あなたの周囲にはそういう女性しか存在しないのかもしれませんが、世間一般においては今時そういう女性は少数派ではないですか? そのような一種男尊女卑の思想に基づくコメントを、全国紙である朝日新聞がこれみよがしに取り上げたセンスも疑いますけどね。
あなた方のように、自分の個人趣味的な女性に対する嗜好を女性に強要しようとする男性が社会において今尚大きな顔をしてるから、今時の女子高生が超ミニ現象に歪んで走ってしまうのではないですか?
とんでもない話です。 私は個人の自由意思で80歳になってもハイヒールで超ミニを着るつもりでいますよ。 それには日々の体型維持の努力が欠かせないと常々思っています。
見ようが見まいが、あなた方の勝手なのですけどね……