原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

敬老の心得

2008年09月14日 | 医学・医療・介護
 身内に“後期高齢者”が二人いる。

 私の母と義母であるが、共にそれぞれ現在一人暮らし中である。体の痛みや生活上の不自由さ等を二人が時々電話等で訴えてはくるが、幸いな事に二人とも辛うじて介護を要する体ではない。

 このうち、私の母は遠隔地の田舎での一人暮らしである。定年まで公務員を全うした元々社会派で行動的な母である。今尚気丈で負けん気が強い。
 片や義母も、会社経営を亡義父の裏で実質的に牛耳ってきた凄腕女実業家であるのだが、数年前に亡義父の介護鬱症を患ってからは意気消沈気味である。 

 二人とも経済的には十二分に自立し、孫の各種お祝い事には一般常識より二桁多い“大金”を祝儀(祝儀というより贈与に近いが)として手渡してくれるような何とも有難くて美味しい存在である。(不謹慎な私です…
 義母も意気消沈しているとは言え自立心は失っていない。こちらは都内に在住しているのだが、よくレストランを予約して我々一家を食事に誘ってご馳走してくれる。
 このように、普段はほとんど手間のかからない子孝行な親二人である。


 という訳で、この二人の身内の“後期高齢者”に対する私の普段の敬老の主たる仕事は、専ら電話で話を聞くことである。
 これが“長い”。そして、同じ事を何度も繰り返して訴えてくるのが共通の特徴である。決して痴呆症という訳ではないのだが、お年寄りの特徴であるようだ。

 そのうち、母とは血縁のある親子でもあり遠慮がないため聞いている私は堪忍袋の緒をよく切らす。一応身内と子どもには遠慮しているらしく、大抵私が一人で家事に励んでいる平日午前中に電話をかけてくる。この長電話の相手をしていると掃除もできないし洗濯物も干せやしない。それでも、重要な用件でもある場合は中断して聞くのだが、そういう訳ではないのだ。この前も聞いた重要性の低い話をまた繰り返す。
 年に一度、田舎に帰省すると大変だ。私が着替えをしていても荷物の片付けをしていても横にやって来て、この長話を機関銃のごとく浴びせてくる。長話も度を過ぎると暴力に近い。2泊程しかしないのだが、私の堪忍袋の緒が切れて必ず大喧嘩となる。一人暮らしの日常で積もる話があるのは理解できるが、年寄りの話し相手は忍耐力を要する重労働である。

 一方、義母の方は一応わきまえてくれている。亡義父介護中はよく取り乱して電話をかけてきたのだが、事情を察して余りあるため誠意を持って対応した。義父が亡くなった後は多少不安定ながら落ち着きを取り戻し、まだ子育て中の私に遠慮し配慮しつつ電話をかけてくる。
 この義母が美人で淑女なのである。もう80歳に近いのだが、たかが近場で私達身内に会う時でも、いつも綺麗にお化粧をしてドレスアップしてハイヒールを履いて颯爽としている。そして会うといつも開口一番娘と私に「○○ちゃん(娘)はどんどん美人になっていくわね。△子さん(私)はいつも綺麗ね。」とリップサービスしてくれる。自身の方が数段美しいにもかかわらず…。これにはいつも頭が下がる思いだ。私も80歳にしてそうありたいものだ。 
 
 二人に共通しているのは、将来不安である。今は何とか一人で暮らしていける体であるが、いつ要介護の身となるやら測り知れない。二人とも異口同音に口にするのは「ポックリ逝きたい。」という言葉だ。元気とは言えずとも何とか一人で生きられる体を維持して、ある日突然倒れそのままあの世に行くのが理想だといつも言う。気持ちはわかるし、介護をする子の立場としては正直なところそうあってくれたら本当に子孝行であるとも思う。


 我が身にとってもそう遠い未来ではない「老後」であるが、身近に“後期高齢者”が2人存在するお陰で、私自身が「老後」に向けて進むべき道程を展望するにあたり、この2人の生き方が大いに参考になる。
 二人に共通しているのは“自立心”である。奇しくも私の身近な両高齢女性はご両人が生きて来た男尊女卑等の時代的背景にもかかわらず、若い頃から自立心が旺盛であったようだ。その延長線上に今があると私は捉える。
 そんな母に育てられた私も“自立心”旺盛な人間であると自負するため、老後は意外と明るいかもしれないなあ、などと敬老の日を前に根拠なく安心する私である。       
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