原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

愛された記憶

2008年03月20日 | 恋愛・男女関係
 本ブログ「原左都子エッセイ集」の“雑記”カテゴリーは、ブログ開設趣旨である“自己のオピニオンの公開”からははずれ、肩の力を抜いて気ままに綴っている記事が多い。
 本ブログの場合、現在の私生活や家族に関する暴露ネタはプライバシー保護、及び個人情報保護の観点から正面きっての記事は避ける方針を貫いている。私の単なる道楽であるブログ公開ごときのために、家族に迷惑がかかることを避けたい思いが強いからである。 前回の年金の記事のように、自己のオピニオンの公開にあたってプライベート情報の中から家族にとって公開しても差し支えのない事柄を補足説明のために持ち出すことはあるのだが。

 “雑記”カテゴリーの主たる内容は、私自身の独身時代の恋愛ものの暴露記事である。自分自身の過去のプライバシーを暴露する分には他者に迷惑をかけることも少ないであろうし、自分で責任を持てる範囲内であるからだ。要するに自己責任の下、ブログを展開したいと考えているのである。

 さてうれしいことに、この“雑記”カテゴリーが一部の読者の方々の間で結構人気があるのだ。
 長い独身時代に私は様々な方々にお世話になっているのだが、そんな私の単身一人暮らしを温かく見守って下さった方々が、現在ブログを覗きに来て下さっている。その時代の私の生き様を垣間見ていた知人が結構この“雑記”を面白がってくれているのだ。 私本人は、息抜き、手抜きで綴っている記事を楽しみにしていてくれる読者の方々がいるということも、私のブログの本来の趣旨からはずれるが、それはそれでブロガーとしてはほくそ笑んでしまうものだ。
 
 そこで、今回の記事では私の“雑記”カテゴリーの恋愛関連記事への思いを綴ってみたいと考える。


 ずい分と前置きが長くなってしまったが、この“雑記”カテゴリーにおいて私が自分自身の過去の恋愛ネタを暴露する理由とは、表題の通りその当時の「愛された記憶」が私にとっては今なお輝きを失わない貴重な思い出であり、一生の宝物であるためだ。もちろん「愛した記憶」も同様だが。

 もしも、いわゆる“適齢期”に普通に恋愛をして結婚をしていたならば、まったく違う人生を歩んだことであろう。
 ところが私の場合幸か不幸かそういう道程ではなく、20歳代半ば頃から“結婚しないかもしれない症候群”であったため、長い独身時代を過ごすこととなった。当時は20歳代後半以降の女が独り身でいると、“ハイミス”だの“売れ残り”だのと呼ばれて後ろ指をさされたものだが、今思えば30歳代なんてほんとにまだまだ若いとつくづく思う。そんな若い女が結婚もせず長い期間一人で生きて、職業や学業や趣味等の形で社会にはびこっていると、様々な男性と巡り会う機会も多くなるものなのだ。
 結婚を強く意識するならば、必然的に一人の男性と懇意の関係になるのであろう。 ところが“結婚”を二の次と捉え、“恋愛”に関しても自分にとっての第一義とは考えずに仕事に学業に集中して生きていると、何が何でも一人の男性に長年執着する必要がないため必然的に別れが早めにやってくる。そして、自ずと恋愛経験の数が豊富になるものなのだ。

 そうは言えども、人を恋すると言う事はすばらしいことである。恋愛中はもちろん私だって真剣だ。一時、仕事や学業が手に付かなくなるものだ。
 恋愛の数を踏んでいると、“気が多い奴”と後ろ指をさされ不埒でいい加減な人間と思われ勝ちだが、決してそうではない。その時はその相手に一途なのだ。恋愛の一本一本がかけがえがなく、すべてが貴重なのだ。こういう考え方自体がアンビリーバブルであろうか? 不謹慎であろうか?

 いずれにせよ、長い独身時代を送ったからこそ経験できた数多い恋愛における「愛された記憶」「愛した記憶」は時間が経過した今でも私にとって輝きを失わない貴重な宝物であり、私の人格を創り上げ支えてくれていると言っても過言ではない。
 また、時々振り返っては“雑記”カテゴリーで過去の恋愛ネタを綴ることとしよう。   
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