原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

生身の人間が恋しい…

2008年03月06日 | 人間関係
 本ブログ「原左都子エッセイ集」を昨年9月6日に開設して本日でちょうど6ヶ月になる。ブログ自体に関する私観については5ヶ月時点で既に振り返っている(当ブログのバックナンバー「コメントの充実に感謝申し上げます。」をご参照下さい。)ので、今回は少し別の側面からこの半年を振り返ってみたいと思う。

 本ブログを開設以来、明らかに私の生活が変化した。特に「原左都子エッセイ集」に対する反響が増えはじめた10月中旬あたりから、私の行動様式が大きく様変わりした。ネット社会への依存度が急激に大きくなってきたのだ。

 それまでももちろんパソコンは使用していた。私は、十余年程前から投書投稿、意見書提出活動をライフワークとしていたため、ワード機能を使用しての文書作成やメールによる投書投稿、そして通常のメールの送受信手段としてパソコンを利用する事等は日常茶飯事であった。

 ブログ開設後の一番大きな変化は、ブログを通じての人との出逢いである。
 私のブログの趣旨は“自己のオピニオンの公開”でありコメントを歓迎しているため、公開した記事に対する反響をいただく。読者が増えるにつれこの反響も増大していくのであるが、その後意見交換のために読者の方とメッセージのやりとりが続いたりする場合もある。それが発展してブログを超えた人対人のお付き合いになったりすることもある。私の場合、まだどなたとも実際にはお会いしたことはないのだが、メール交換やブロガーのコミュニティを通してのメッセージ交換という手段でそのお付き合いが長く続く場合もある。
 そのこと自体はとてもうれしい。いかなる出逢い方をしようが、人との出逢いというものはかけがえのないものである。今後も大事にしていきたいと思っている。

 その一方で、私のブログ生活が半年に及び、メールやメッセージ交換というネットによる人とのお付き合いが生活時間の大きな割合を占めてきた現在、私の頭の片隅にモヤモヤした複雑な思いが交錯し始めているのだ。

 パソコンで携帯でメールにて情報のやり取りをすることは、現在の社会では既に一般的な通信手段である。今やこれを利用していない人の方が少数派であろう。
 元々の知り合いとこのメールのやり取りをすることに関しては私は特に抵抗感はないのだが、ネットで知り合って実際に会うこともない相手とのやり取りに関して、複雑な思いがあるのだ。

 私の頭をもたげる複雑な思いとは、上記のネットで出逢って実際に会うこともない人間関係というのは実は“幻”に過ぎないのではないのか、という観念である。

 人間とは肉体という実体のある存在である。ネット上の付き合いの一番の特徴はこの実体に相対することがない、というところにあろう。
 ブログに費やす時間が長くなり、この“幻”の人間関係が私の生活に占める割合が大きくなるにつれ、生活そのものが“幻”であるような不安感さえ私は持ち始めてしまっている。

 この不安感を払拭する方法は二通り考えられる。
 ひとつの方法はそれらの相手に実際にお会いすればよいということだ。ところがこの方法はまず相手の方にご迷惑であるし、私もそこまで非常識でもなく暇を持て余している訳でもない。
 そこで考えたもうひとつは、ブログをやめて元の生活に戻り、生身の人間とのみお付き合いをしていくという方法である。 より人間らしく生きるためにネットからは完全におさらばしようかと、つい最近ほんの少し真剣に考えてみた程だ。

 だが、やはりそれも極論である。ブログ開設半年が経過した現在、「原左都子エッセイ集」に自己のオピニオンを綴っていくことは今の私にとっては既にはずせない日常と化している。やっぱり綴り続けよう。

 
 それにしても、人間って肉体という実体のある生身の存在が一番魅力的だと思いませんか、皆さん?
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