原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

下戸との飲み会

2008年03月23日 | 
 私は最近外で酒を飲む機会が増えているのだが、昨夜も都内某所の居酒屋で会食をすることとなった。


 いきなり話は変わるが、朝日新聞毎週水曜朝刊に「酒にまじわれば」と題する、歌手のなぎら健壱氏による連載コラムがある。飲兵衛の私はこのコラムに共感する部分が多く、毎週かかさず目を通しては、酒で醜態をさらしてばかりの我が身を鏡に映しているようで苦笑いを繰り返している。

 先週3月19日のこの「酒にまじわれば」は、“自戒せよ”と題して、下戸と酒を飲む場合は下戸に醜態を覚めた目で観察されているので自戒するべき、との話を面白おかしく展開したものであった。
 
 
 さて、私の昨日の飲み会の話に戻って、4名での会合だったのだが私以外の3名が下戸であったり健康上の理由があったり等で酒が飲めない状態なのだ。やむを得ない。一人で飲むしかない。(こういう場合、普通は飲むことを断念するのか?? だが、場所が居酒屋でもあるし、飲兵衛の私がそんなことでへこたれる訳がない。)
「じゃあ、私は一人で飲ませてもらうから。」と宣言すると「どうぞ、どうぞ」とのことで、私は一人で日本酒を注文し飲み始めた。他の皆さんはジュースやお茶を注文して飲んでいる。
 こういう場合にバツが悪いのは、酒を追加注文する時だ。お店の人には女の私が一人だけ飲んでいることは最初からバレている。皆で飲んでいるのなら追加した酒を誰が飲むかは不明だが、一人の場合、追加した酒をすべて私が飲むことがバレバレだ。それをとがめられる訳でもないしその筋合いもないのだが、飲兵衛の私とてやはり羞恥心はある。3合目をお替りした時には、呆れ顔で見られたような気がした。(しかも私、飲むペースが異様に速いんです…。)  被害妄想か??
 一方、不思議なのは飲んでいない3人である。どういう訳か、一人飲んでいる私とのバランスが取れているのだ。決して酔っている私の気のせいではなく、雰囲気はむしろいつもよりもいいくらいだ。 多数決の原理によるものか?
 そうこうしているうちに2時間が経過し、会合はお開きとなったのだが、最後の最後までまったく違和感のない“飲み会”であった。

 ところで、私は昔から下戸と飲む機会が少なくない。
 私の若かりし頃の学生時代の大親友(女性)がパーフェクトな下戸で、一滴たりとて飲めない人だったのだが、どういう訳か彼女は飲み会が好きだった。義理で付き合ってくれる訳でなく、本当に飲み会が好きな人なのだ。何次会まででも夜通し朝まででも付き合ってくれる。そしてどういう訳か、彼女が一番ノリがいいと言っても過言ではないところがおかしい。これは仲間うちでも有名な話で、いつも飲んでいる途中に皆で彼女に「○○ちゃん、お酒も飲まずにほんとに楽しいの?」と確認するのだが、彼女はいつも「すごく楽しい!」と笑顔で応えていたものだ。 そして、理にかなっていると言うのか、納得できるのは、合コンの時などは酔っ払って醜態をさらしている私を含めた馬鹿女どもより、しらふの彼女が一番モテていたということである。


 朝日新聞のなぎら健壱氏のコラムに戻るが、なぎらさんが言う程下戸を警戒しなくてもいいんじゃないかと私は自分の経験から思うのだが。 それを証拠に私は上記の下戸の彼女から酒の上での失言や失態を一度たりとて責められた事はないし、今なおお付き合いが続いている。 彼女が寛容過ぎるだけの話なのか…。 
 
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