本ブログ「原左都子エッセイ集」の“雑記”カテゴリーは、ブログ開設趣旨である“自己のオピニオンの公開”からははずれ、肩の力を抜いて気ままに綴っている記事が多い。
本ブログの場合、現在の私生活や家族に関する暴露ネタはプライバシー保護、及び個人情報保護の観点から正面きっての記事は避ける方針を貫いている。私の単なる道楽であるブログ公開ごときのために、家族に迷惑がかかることを避けたい思いが強いからである。 前回の年金の記事のように、自己のオピニオンの公開にあたってプライベート情報の中から家族にとって公開しても差し支えのない事柄を補足説明のために持ち出すことはあるのだが。
“雑記”カテゴリーの主たる内容は、私自身の独身時代の恋愛ものの暴露記事である。自分自身の過去のプライバシーを暴露する分には他者に迷惑をかけることも少ないであろうし、自分で責任を持てる範囲内であるからだ。要するに自己責任の下、ブログを展開したいと考えているのである。
さてうれしいことに、この“雑記”カテゴリーが一部の読者の方々の間で結構人気があるのだ。
長い独身時代に私は様々な方々にお世話になっているのだが、そんな私の単身一人暮らしを温かく見守って下さった方々が、現在ブログを覗きに来て下さっている。その時代の私の生き様を垣間見ていた知人が結構この“雑記”を面白がってくれているのだ。 私本人は、息抜き、手抜きで綴っている記事を楽しみにしていてくれる読者の方々がいるということも、私のブログの本来の趣旨からはずれるが、それはそれでブロガーとしてはほくそ笑んでしまうものだ。
そこで、今回の記事では私の“雑記”カテゴリーの恋愛関連記事への思いを綴ってみたいと考える。
ずい分と前置きが長くなってしまったが、この“雑記”カテゴリーにおいて私が自分自身の過去の恋愛ネタを暴露する理由とは、表題の通りその当時の「愛された記憶」が私にとっては今なお輝きを失わない貴重な思い出であり、一生の宝物であるためだ。もちろん「愛した記憶」も同様だが。
もしも、いわゆる“適齢期”に普通に恋愛をして結婚をしていたならば、まったく違う人生を歩んだことであろう。
ところが私の場合幸か不幸かそういう道程ではなく、20歳代半ば頃から“結婚しないかもしれない症候群”であったため、長い独身時代を過ごすこととなった。当時は20歳代後半以降の女が独り身でいると、“ハイミス”だの“売れ残り”だのと呼ばれて後ろ指をさされたものだが、今思えば30歳代なんてほんとにまだまだ若いとつくづく思う。そんな若い女が結婚もせず長い期間一人で生きて、職業や学業や趣味等の形で社会にはびこっていると、様々な男性と巡り会う機会も多くなるものなのだ。
結婚を強く意識するならば、必然的に一人の男性と懇意の関係になるのであろう。 ところが“結婚”を二の次と捉え、“恋愛”に関しても自分にとっての第一義とは考えずに仕事に学業に集中して生きていると、何が何でも一人の男性に長年執着する必要がないため必然的に別れが早めにやってくる。そして、自ずと恋愛経験の数が豊富になるものなのだ。
そうは言えども、人を恋すると言う事はすばらしいことである。恋愛中はもちろん私だって真剣だ。一時、仕事や学業が手に付かなくなるものだ。
恋愛の数を踏んでいると、“気が多い奴”と後ろ指をさされ不埒でいい加減な人間と思われ勝ちだが、決してそうではない。その時はその相手に一途なのだ。恋愛の一本一本がかけがえがなく、すべてが貴重なのだ。こういう考え方自体がアンビリーバブルであろうか? 不謹慎であろうか?
いずれにせよ、長い独身時代を送ったからこそ経験できた数多い恋愛における「愛された記憶」「愛した記憶」は時間が経過した今でも私にとって輝きを失わない貴重な宝物であり、私の人格を創り上げ支えてくれていると言っても過言ではない。
また、時々振り返っては“雑記”カテゴリーで過去の恋愛ネタを綴ることとしよう。
本ブログの場合、現在の私生活や家族に関する暴露ネタはプライバシー保護、及び個人情報保護の観点から正面きっての記事は避ける方針を貫いている。私の単なる道楽であるブログ公開ごときのために、家族に迷惑がかかることを避けたい思いが強いからである。 前回の年金の記事のように、自己のオピニオンの公開にあたってプライベート情報の中から家族にとって公開しても差し支えのない事柄を補足説明のために持ち出すことはあるのだが。
“雑記”カテゴリーの主たる内容は、私自身の独身時代の恋愛ものの暴露記事である。自分自身の過去のプライバシーを暴露する分には他者に迷惑をかけることも少ないであろうし、自分で責任を持てる範囲内であるからだ。要するに自己責任の下、ブログを展開したいと考えているのである。
さてうれしいことに、この“雑記”カテゴリーが一部の読者の方々の間で結構人気があるのだ。
長い独身時代に私は様々な方々にお世話になっているのだが、そんな私の単身一人暮らしを温かく見守って下さった方々が、現在ブログを覗きに来て下さっている。その時代の私の生き様を垣間見ていた知人が結構この“雑記”を面白がってくれているのだ。 私本人は、息抜き、手抜きで綴っている記事を楽しみにしていてくれる読者の方々がいるということも、私のブログの本来の趣旨からはずれるが、それはそれでブロガーとしてはほくそ笑んでしまうものだ。
そこで、今回の記事では私の“雑記”カテゴリーの恋愛関連記事への思いを綴ってみたいと考える。
ずい分と前置きが長くなってしまったが、この“雑記”カテゴリーにおいて私が自分自身の過去の恋愛ネタを暴露する理由とは、表題の通りその当時の「愛された記憶」が私にとっては今なお輝きを失わない貴重な思い出であり、一生の宝物であるためだ。もちろん「愛した記憶」も同様だが。
もしも、いわゆる“適齢期”に普通に恋愛をして結婚をしていたならば、まったく違う人生を歩んだことであろう。
ところが私の場合幸か不幸かそういう道程ではなく、20歳代半ば頃から“結婚しないかもしれない症候群”であったため、長い独身時代を過ごすこととなった。当時は20歳代後半以降の女が独り身でいると、“ハイミス”だの“売れ残り”だのと呼ばれて後ろ指をさされたものだが、今思えば30歳代なんてほんとにまだまだ若いとつくづく思う。そんな若い女が結婚もせず長い期間一人で生きて、職業や学業や趣味等の形で社会にはびこっていると、様々な男性と巡り会う機会も多くなるものなのだ。
結婚を強く意識するならば、必然的に一人の男性と懇意の関係になるのであろう。 ところが“結婚”を二の次と捉え、“恋愛”に関しても自分にとっての第一義とは考えずに仕事に学業に集中して生きていると、何が何でも一人の男性に長年執着する必要がないため必然的に別れが早めにやってくる。そして、自ずと恋愛経験の数が豊富になるものなのだ。
そうは言えども、人を恋すると言う事はすばらしいことである。恋愛中はもちろん私だって真剣だ。一時、仕事や学業が手に付かなくなるものだ。
恋愛の数を踏んでいると、“気が多い奴”と後ろ指をさされ不埒でいい加減な人間と思われ勝ちだが、決してそうではない。その時はその相手に一途なのだ。恋愛の一本一本がかけがえがなく、すべてが貴重なのだ。こういう考え方自体がアンビリーバブルであろうか? 不謹慎であろうか?
いずれにせよ、長い独身時代を送ったからこそ経験できた数多い恋愛における「愛された記憶」「愛した記憶」は時間が経過した今でも私にとって輝きを失わない貴重な宝物であり、私の人格を創り上げ支えてくれていると言っても過言ではない。
また、時々振り返っては“雑記”カテゴリーで過去の恋愛ネタを綴ることとしよう。
恋愛とは程遠い状況だった
結婚といえば
世話好きの人がいて 結びつきを強くしてくれた
そういうケースの結婚が 当たり前だった
都会は さまざまな恋愛ができる環境にあり
田舎育ちには うらやましい の一語です
現在 世話好きの人も減り
結婚適齢期を逃す男性が増えているように
私は感じている
恋愛できる環境 田舎では難しそう
田舎には 世話好きの仲人復活 望む声も多い
男性の僕もそうだったから・・そして今も束縛されない自分だけど
確かにinakaさんのおっしゃる通り、都会と田舎との恋愛環境の違いは大きいですね。
それに加えて、個々人の生き方に負う部分も大きいように思います。独身時代の私のように、外的思考で常に人とかかわるような環境に身をおいていると出会いのチャンスも広がります。一方、元々人との付き合いを好まない人は、そもそも恋愛にもさほど興味がないのかもしれません。
私は実はお見合い結婚です。結婚を考えた時は既に高齢でしたし、惚れた腫れたではなく、諸条件が釣り合う相手をお見合いという形であえて冷静に選択しました。これはこれで正解だったと、15年が経過した今実感しています。
それで、館長さんは今後もずっと束縛されない身を通されるのですか?
館長さんの場合、日々の仕事が充実していらっしゃるので、休前日にグラスを傾けながら語り合ったり、休日にドライブできるお相手がいらっしゃれば十分なのでしょうね?
杯を傾けながら恋して、現実に戻ると終ってるのかも
そう言う心って移り気とも違うんですよね
瞬間の恋でもお酒は美味いと思います。
楽しい会話が出来ることも恋の一種かな?なん~んて
私も本当にそう思います。
瞬間に感じる力があれば、その場は楽しい時間が過ごせますよね。
そして、それの延長線上にもしかしたら恋愛ってあるのかもしれませんね!!???
さとちゃんという人物を知らない人が雑記を読んだら、もしかしたら不埒な奴かと思う人もいるかもしれないね。
ところが違うんだよな。さとちゃんは真面目で真剣で何事にも全力投球の人なんだよな。そんな一途さがさとちゃんのいいところだね。
何せ、長い一人暮らしで自己管理力が旺盛だったため、やることなすことすべて頭の中でコントロールした上で一途でしたね。悪く言うと可愛げがなかったかもしれません。でも、お陰で場数を踏んでいる割には危ない目には一度も会ったことはないし、大きな失敗もありません。(あまり自慢にならないかな?)
バン吉さんとはしばらくお会いしてないですが、この人格は今でもほとんど変わっていないと思います。
老いさんは「ませていた」のか、「愛に飢えて」いたのか、小学生から、○○チャンが好き!状態でしたね。それもある時は、Aちゃん、またある時はBちゃん・・・
「原さん」と同じね、その時は《真剣そのもの》
高校時代の日記をみると、笑っちゃいますよ。
内容が女性の事ばっかりなんですもの・・・しかも登場人物が次々と変わるんですよ。
だから拝見していて、同じダア~と・・・
そんな訳で、結婚も22歳と若かったです。
原さんの結婚後の今、以前の《お相手さん》がブログ仲間・・・なんて、「最高に光栄」な事ですし、スバラシイ人間関係だと思いますよ。
中々そういう事って出来ないじゃあないですか。
「別れた相手も財産」・・・これ、老いさんの持論ですが実践しているのは、原さんですね。
「愛された」、「愛した」・・・ですが、「受身」より「能動」であれ!
だから「原さん」には、「愛された」ではなく「愛した記憶」1本で攻めて欲しいです。たとえ「相思相愛」であっても・・・
今現在は「愛する」方が絶対に面白いです。ただ、当時はまだ若気の至りで「愛される」部分がないとやはりつまらかったですね。
幸慶家さん、残念ながら今私にコメントを下さっている過去の知り合いの男性の方とは恋愛関係はありませんでした。あくまでも、お世話になった方々です。何のお世話かというのも微妙かもしれませんが、そしてもしかしたらあちらには下心もあったでしょうが(知り合いの方々、失礼をお許し下さい。)、あちらの名誉のためにも一線は越えていないお付き合いでした。
私、昔から女好きな人って肯定派ですよ。
やっぱり、愛はすばらしい! です。