原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

自己満足の効用

2008年03月04日 | 自己実現
 当ブログ先だっての「資格は取りゃいいってもんでもないが…」の記事の中で、資格取得という行為がたとえ自己満足の域を超えていなかろうが、合格による達成感は合格した者にしか味わえない、云々の私見を述べたところ、この“自己満足”に関して貴重なコメントを頂戴した。

 以下に、いただいたコメントの自己満足に関する部分を抜書きする。(Rさん、ブログ本体への無断転載をお許し下さい。)
 「自己満足?素晴らしいですよ。こんなに良いものはありません。言い切っちゃいます。必ずほかの人も満足させてますよ。自分に満足していないくせに何の努力もする気のない人ほど迷惑な存在はないじゃないですか。負けないで下さいね!」

 Rさんのコメントに対する私の返答コメントも以下に要約する。
 「確かに、私も人間が生きていく基本は自己満足であるように思う。まずは、自分自身が満足感を得たい、という気持ちがなければ何事にも感情移入できないし、努力もしないであろう。おそらく、私はそんな満足感が人一倍欲しい人間であるかもしれない。」


 さて、この“自己満足”という言葉は一般的にはマイナスイメージで使用されている。利己主義的で周囲が見えておらず一人だけ浮いているようなニュアンスさえ感じられる言葉である。 単なる“満足”という言葉とは明らかに区別された別世界の“満足”を表現しているようだ。

 すなわち、“自己満足”と一般的な“満足”との違いは社会性の有無にあるのであろう。
 上記の資格取得の例においては、その取得した資格が社会的に有用であり活用されて社会貢献している場合は、その資格取得行為は“自己満足”の範疇を超えている。だが一方で、そうではなく活用されずに単なる肩書きでしかないような場合は“自己満足”の範囲内と世間一般では認識されているのだと思う。

 それでは、“自己満足”とは社会にとって悪なのか? 
 決してそうではないと私は考える。
 まず、“自己満足”は周囲に波及し影響を及ぼす力を秘めている。これはRさんが「自己満足は必ず他の人も満足させている。」とコメントに書いて下さった通りである。 例えば逆の立場から考えると、不満タラタラの人間が傍らにいること程うっとうしくて迷惑なことはないし、Rさんのおっしゃるように自分に満足もしていないのに努力もしない人間の存在は必ずや周囲の足を引っ張るであろうと思われる。
 そして繰り返しになるが、私がコメントの返答に書いた通り、人間が人間として生きていく根源は満足感の追求にあると考える。たとえそれが“自己満足”の範疇を超えていないとしても、満足したいという欲求がなければ、何事にも感情移入できないし、努力もしないのではなかろうか。

 そして、私はその満足感が人一倍欲しい人間である。多方面、多分野において満足感を得るための試行錯誤の人生を今まで歩み続けてきている。
 きっと私はこれからも一生こうして満足感を追求しながら歩んでいくであろう。たとえそれが“自己満足”に過ぎない、と後ろ指をさされながらも…。
  
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