じんせい2度なし

かほぱぱの独り言

遺言

2024年02月11日 | 本と雑誌

先月、65歳で世を去った人気の経済評論家・山崎元さんの最後の書き下ろし作品『経済評論家の父から息子への手紙』が2月15日(木)に発刊される。

この本は、大学に合格した息子へ手紙を送ったことをきっかけに、闘病中に書き下ろされたもの。
この度、実際に息子へ送った手紙「大人になった息子へ」全文が期間限定で公開されたので、備忘録としてブログに掲載させていただく。
少し偏った考えの部分もあるが、とても素敵だったので。
自分と比較するのもおこがましいが。

▶お祝いの言葉
あらためて、いろいろなことに、「おめでとう」と申し上げます。
先日は、貴君の誕生日だった。
そして、海城中学高等学校を無事に卒業した。
何よりも東京大学に合格して、これから入学を迎える。
考えてみると、入試に臨んでいたのは17歳の時だった。
早生まれの不利を克服してよく合格したものだと思う。
東京大学の合格には複数の大きな意味がある。
私としては、何よりも、自分の息子が目標を立てて、努力してその目標を達成したことを喜びたい。
一連の努力と達成は、人生にあって自信の一つになるはずだ。
この経験を一つ持っていることは大きい。
第一志望の大学でもあったことだし、東大に合格しておくと、将来学歴を気にする必要がなくなることは精神的なメリットだ。
また、実利として、東大の同級生は面白いはずだ。
たとえば、「偏差値66〜70」の人を集めた集団よりも、「偏差値68以上で、上は青天井」が集まると、勉強でも、勉強以外でも多彩な人物が集まる。
傾向として、頭のいい奴は、性格もいいし、面白い。屈折していないし、興味の対象に向かう余裕を持っているからだ。
「頭のいい奴が集まっている面白そうなグループ」があれば、臆せずに首を突っ込むといい。
仮に貴君がその分野の天才でないとしても、貴君には役割があるはずだし、天才君達が可愛がってくれるはずだ。
そして、気がつくと貴君のレベルも上がるし、財産になる人間関係ができる。
合格は、あくまでも貴君が自分のために努力して自分のために獲得したものだ。
そうなのだが、親にも余得がある。
何よりも気分がいい。
ことの善し悪しは別として、特に母親の方だが、世間では「東大生の親」というものにブランド価値がある。
父親の方も、「さすがですね」くらいには褒められることがある。
有り難く受け取っておくことにする。
合格に際しては、毎日弁当を作り、PTA活動などに参加して情報を集め、貴君の話し相手になり、といった日常を積み重ねた母ちゃんの貢献が大きい。
受験生として「母ガチャ」は大当たりだった。
感謝するといい。

▶育児の方針
父親として、貴君の子育てについて考えていることを記しておく。
率直に言って、私は「自分のような息子」が欲しかった。
息子が生まれて大いに喜んだ。
平凡だが事実だ。
自分の息子に対して是非やってみたかったのは、余計なプレッシャーを与えずに育ててみることだった。
子供の方では「プレッシャーはきつかった」と思っていたかも知れないけれども、父親側ではそう思っていた。
ここは、認識にギャップがあるかも知れないが、まあ聞いて欲しい。
私は子供時代に、愛情が深いけれども厳しい母親の「愛と脅しの日々」の下に育った。
そのおかげで頭が働くようになった面もあるし、対人的観察力が養われた面もある。
しかし、物事の見方が悲観的で、自己肯定感が低く、自分にも他人にも厳しい嫌な性格に育った。
もう少しおおらかに育つとどうだったのだろう、と思わなくもない。
私が東大に入ったのは、母親から離れて暮らすことが大きな目的の一つだった。
男の子にとって、早くから母親から離れて暮らすことは有益だ。
母親の物の見方の外に出ることが大事だからだ。
経済的な効率は悪いけれども、貴君に是非とも一人暮らしをさせたいのは、貴君に対する私の最後の教育方針だ。
現在の貴君にはこの方針を適用する価値がある。
何年か早く名実共に大人になるはずだ。
このアドバンテージは大きい。
因みに、私の父親はかつて教師だったこともあり、息子に対して大変よく関わったと思う。
息子の興味の先を見逃さずにあれこれを与えたし、キャッチボールも自転車乗りも気長に指導してくれた。
彼なりの思想や哲学を、頭のいい批判的な息子に対して背伸びをしながらも語ってもくれた。
私は彼が32歳の時の子供なので、富士彦さん(注:著者の父親)には体力が十分あった。
教職を通じて培った子育てへの思いが丁度いい程度にあった。
正直に比較するとして、父親としての息子に対する貢献では、私は私の父に遥かに及ばない。
父親としての私の点数は高くない。
それでも、少しは「男の子の父親」らしいことをさせてもらった。
それらしい気分を味わえた。この点は大いに感謝している。
既に10年前にすっかり肩がへたっていたのは誤算だったけれども息子とキャッチボールができた。
自転車乗りを手伝ったし、サッカーに至っては教えられることが何もなくてボールを目の前に呆然とする経験もあった。
卓球も少しやったか。将棋が共通の趣味になったのは、望外の幸運だった。
金玉の医者にも同行した。
これも父親の仕事だった。
一方、勉強は教えてやれなかったし、勉強を教えることを意図的に遠慮した。
自分の子供に上手く教えられる自信は全くなかったし、きっと逆効果になると思ったからだ。
これは、分かってくれていたと思う。
貴君の勉強については、電車のような興味のある対象を見つけてあれこれを覚えるようになったことで、先ず一安心した。
次に、コンスタントな努力ができて最後に一伸びして本番に強かった中学入試でもう一安心した。
その後は、期待通りの路線を期待以上に伸びてくれた。
貴君自身に底力がある。
受験勉強は辛かっただろうか。もっと別の分野に時間と努力を投入したかっただろうか。
端的に言って、経済的なコストパフォーマンスは、貴君の場合勉強が一番有利だったと思う。
世間一般でもそうした場合は多い。
競争が世界的になっていることを思うと、もう一段階他人に差を付けるための追加的勉強は、これまでの時間と努力の投資を活かす「有効な投資」になるはずだ。
興味のない分野は努力の効率が悪いので、興味のあるテーマを見つけて勉強するといい。

▶貴君の今後について
貴君はこれからどうしたらいいのか。
こちらから指示したり頼んだりしたいことは何もない。
好きなようにやってくれていい。
それがいいと思えば大学を中退してもいいし、学生結婚して孫でも連れてくるなら大変面白いし、才能があるかどうかに疑問があるけれども詩人だのアーティストだのを目指してもいい。
革命でもいい。
仮に、やったことが違法でも、その意図が理解できれば、私は息子の味方だ。
父親である私は、私自身のやりたいことをやればいいし、子供である貴君に引き継いで欲しいと思っている理想なり事業なりがあるわけではない。
貴君は「父の思い」にこだわる必要は全くない。
貴君が将来何をするかは興味を持って大いに楽しみにしているけれども、元気で生きていてくれたら満足以上だ。
親孝行は、18歳の時点でもう十分に済んでいる。
日本では、法的には18歳で大人だそうだが、大半の18歳が話にならないくらい未熟な子供であることを、貴君もご存知だろう。
だが、貴君には早く大人になって欲しい。
まだ慣れないけれども、私としても、息子を一人の大人として尊重したいと思う。
この手紙の宛名に「様」がついていることや、「貴君」という耳慣れない呼びかけは、それを表しているつもりだ。
幸い、息子は順調に育った。
背は父よりも高いし、父がかつて入りたかった東大の理類に入った。
将棋もまあまあ強い。
性格は父よりも遥かにいい。
こうした、自分の言わば「上位互換」の子孫がいることで、不思議な「生物学的安心感」とでも言うべき感情が生じている。
今回、私は癌に罹って、なかなか厳しい状況に立っているのだけれども、気分が暗くならないのはそのおかげだと思う。
一つお勧めを記しておこう。
子供はできるだけ早く持つといい。
私は一巡目の結婚の際も含めてだが、少し遅かった。
自由な時間を手放したくなかったから結婚が遅くなったのだが、結婚しても、子供がいても、自由にするといいのだ。
世間で言うと叱られそうだが、特に息子はいい。
自分の息子が可愛いと思う時に、かつて自分の父親は自分のことをこんなに可愛いと思っていたのかと感じ入ることがあるのだ。
強くお勧めしておく。
仕事は興味が持てて価値観に反しないものなら何でもいい。
面白ければ続けるといいし、面白くなければ変えたらいい。
簡単な話だ。貴君は面接に強いから転職は自在にできるはずだ。
お金の稼ぎ方では「株式」に上手く関わることがコツになる。
起業でも、ベンチャーへの参加でも、ストックオプションをくれる会社への転職でもいい。
私の時代は、出世したり専門家になったりして「労働時間を確実に高く売る」のが無難な道だったが、時代は変わった。
株式性の報酬が有利だ。
「自分を磨き、リスクを抑えて、確実に稼ぐ」ことを目指す古いパターンよりも、「自分に投資することは同じだが、失敗しても致命的でない程度のリスクを積極的に取って、リスクの対価も受け取る」のが、新しい時代の稼ぎ方のコツだ。
リスクに対する働きかけ方が逆方向に変わった。
仕事で株式性のチャンスに恵まれない場合は、インデックスファンドの長期投資が効率のいい株式リスクとの付き合い方になる。
これは、凡人でもできるけれども、一見偉そうな他の投資よりも優れている。
お金にも働いて貰うといい。
以上、平凡だけれども、経済評論家としてアドバイスしておく。
貴君の今後が大いに楽しみだ。

▶私の今後について
私は今後どうするつもりか。
自分の残りの持ち時間を推測しながら、自分の行動選択を最適化するのが基本方針だ。
「やりたいこと」は持ち時間に応じて複数ある。
私のやりたいことは、(1)正しくて、(2)できれば面白いことを、(3)なるべく多くの人に伝える、の3条件に集約できる。
経済の仕組みや金融ビジネスの企みについて、他人よりも先に気づいて、できれば辛辣且つユーモラスに広く伝えることは張り合いがある。
一冊一冊の本や、一本一本の記事の目的はその点にあるつもりだ。
一例を挙げる。
仮に、私に時間とエネルギーがたくさんあれば、「マーケティングの効果を解毒するサービス」をビジネス化することに挑んでみたい。
世間が称えるマーケティングとは、「本来の価値以上の価格でたくさんのモノを売るための技術の集大成」だ。
「ボッタクリのテクニック集」だとも言える。
消費者は、マーケティングのおかげで、無駄なモノや無駄に高いモノを買わされている。
このマーケティングの効果を防ぐ免疫のような機能を果たすサービスがあれば、消費者に経済的な利益をもたらすはずだ。
利益を提供するのだから、ビジネスになり得る。
これを適価で提供する仕組みを考えて事業化したい。
だが、このビジネスを形にして、世界に大きな影響力を持つには、先ずアイデア段階から多大な時間と努力が必要だ。
最低10年は掛かりそうなプロジェクトだが、「余命10年」は今の状況では自信がない。
現状では、もう少し短期間でも効果の得られるプロジェクトに取り組むことになると思う。
私が池袋の家を出て一人で暮らすことにしたのは、時間と自由をより多く確保したいと思ったからだ。
仕事にも、趣味にも、生活にも、「もっとこうしたい」と思うあれこれがある。
例えば、近年、自分の趣味に使う時間が少なくなっていたのは一つの反省材料だ。
どの程度のことができるかは分からないが、父のやることを、興味を持って眺めていてくれたら嬉しい。

以上